―その2218―
●歌は、「手に取れば袖さへにほふをみなえしこの白露に散らまく惜しも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜
(作者未詳 巻十 二一一五)
≪書き下し≫手に取れば袖(そで)さへにほふをみなへしこの白露(しらつゆ)に散らまく惜(を)しも
(訳)手に取れば袖までも染まる色美しいおみなえしなのに、この白露のために散るのが今から惜しまれてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研) ここでは②の意
(注)白露:漢語「白露」の翻読語。普通秋の露にいう。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1178)」で、おみなえしを詠んだ歌十四首とともに紹介している。
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―その2219―
●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋 或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は 或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ
(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)
「いちしの花」について、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)によると「古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナなど諸説が入り乱れ、万葉植物群のうちでも難解植物とされていた。牧野富太郎氏によりヒガンバナ説が出され・・・山口県にイチシバナ、福岡県にイチジバナという方言があることが確認され、ヒガンバナとする説が定説化された。」と書かれている。
NHK朝ドラ「らんまん」の神木隆之介さんの演じる槙野万太郎のモデルである牧野富太郎氏と万葉集の接点も興味深いところである。
万葉集4516首の歌や題詞・序・左注などに160種の植物が表現されており、三分の一の1500首ほどの歌に詠みこまれているのである。
全国に「万葉植物園」があるのもうなずける。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2051)」で紹介している。
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―その2220―
●歌は、「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」である。
●歌碑(プレート)は名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
(作者未詳 巻十 二一〇四)
≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ
(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。[反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)
現在のアサガオは、この当時渡来していないので、この「朝顔(あさがほ)」については、桔梗(ききょう)説・木槿(むくげ)説・昼顔説などがあるが、木槿も昼顔も夕方には花がしぼむので、「夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ」というのは桔梗であると考えるのが妥当であろうといわれている。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2039)」他で紹介している。
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※歌碑の写真に「20210216撮影」とありますが、これは歌碑巡りの時、デジカメを持参、予備的に携帯でも撮影しているが、これらの歌碑プレートは携帯で撮り、整理して紹介しようとしていたが、忘れてしまったもの。万葉故地シリーズで紹介している時にこのデータが未紹介であったことに気付いたためです。
■■■石川県・富山県万葉歌碑巡り■■■
7月4~6日、石川県・富山県の万葉歌碑巡りを行った。家持の通ったといわれる石川県から富山県にかけての「臼が峰往来」の歌碑巡りはかねてから是非行ってみたいと思い続けていたのである。
コロナ騒動も落ち着き、全国旅行支援の恩恵は受けられなくなったが挑戦したのであった。全行程は下記のとおりです。
■■7月4日■■
自宅→石川県羽咋郡宝達志水町下石→同町石仏峠→臼が峰山頂公園→富山市安養坊 呉羽山公園→同市茶屋町峠茶屋交差点→富山市内ホテル
■■7月5日■■
富山市内ホテル→富山県中新川郡上市町折戸白萩東部公民館→魚津市黒谷 黒谷橋→同市東尾崎 川の瀬団地公園→同市持光寺 大徳寺→同市北中(北鬼江海岸)→同市三ケ 魚津水族館→富山市岩瀬白山町 岩瀬諏訪神社→同市婦中町 鵜坂神社→同町 鵜坂神社東神通川堤防→同市下大久保 八幡宮→松川散策道→富山市内ホテル
■■7月6日■■
富山市内ホテル→(石川県羽咋郡宝達志水町出浜 千里浜なぎさドライブウエイ)→自宅
行程概略は次のとおりである。なお、歌碑と歌は後日あらためてご紹介させていただきます。
■7月4日の行程概略■
夜中の1時半。目覚ましで起床。2時50分、自宅を出発。PA、SAでちょこちょこ仮眠をとりながらのドライブ。
9時現地到着。巻18‐4069の歌碑を撮影、近くの歌碑群5基の撮影を終える。
次は石仏峠である。
万葉時代、大伴家持も通ったといわれている「臼が峰往来」のほぼ中間点がここ石仏峠である。
我々二人以外の人は見かけず。万葉ゆかりの地を独占である。鳥のさえずりを聞きながらの撮影である。地元有志が立てたという家持の歌碑40基以上の撮影を終える。
この地は、時間・空間を超越した万葉ゾーンである。このゾーンに立ち入ることが許されたそんな感じがするのである。
次は富山県側に回り臼が峰山頂公園を目指す。山頂公園には家持の巻17‐4025の歌碑と雄略天皇の巻1‐1の歌碑が立てられている。さらに近くの地蔵園地にも10基余りの歌碑が立てられていた。
石川県側から臼が峰往来を単車で上ってきた青年がいた以外は結局出会わずじまいであった。
ふもとの方に「熊出没注意」看板が立てられていたが、幸いに熊とも遭遇しなかった。万葉ゾーンを独占できるのは歓迎だが、「熊出没注意」の緊張感は避けられない。
予定より早く撮り終えたので、早起きは三文の徳ではないが、2日目に予定していた、呉羽山公園と峠茶屋交差点の歌碑も先取りした。
最後に、富山城址公園の家持の19‐4139歌の歌碑である。簡単に見つかると高を括っていた。しかし、ほぼ城内を一周したが見つけることが出来ない。
富山市まちなか観光案内所に飛び込み教えを乞う。「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」と「松川・歴史クルーズ」なるパンフレットをいただく。
前者を見ると歌碑3基と歌石板15枚のパンフレットである。これはノーマークであった。ホテルに戻り作戦を立て直すことにしたのである。
7月5日と6日の行程概略は次稿で。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」 (富山県文化振興財団発行)