―その2242―
●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念
(播磨娘子 巻九 一七七七)
≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず
(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なぞ【何ぞ】副詞;①どうして(…か)。なぜ(…か)。▽疑問の意を表す。②どうして…か、いや、…ではない。▽反語の意を表す。 ⇒語法:「なぞ」は疑問語であるため、文中に係助詞がなくても、文末の活用語は連体形で結ぶ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典))ここでは②の意
(注)くしげ 【櫛笥】:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)
題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。
この一七七七歌に関して、中西 進氏は、その著「万葉の心(毎日新聞社)」のなかで、「名さえも伝えられない娘子だが、石川の某という官人が帰京するときに、こうした歌をよんだ。娘子階層のもので櫛を持っているなどというのは上等なことなのだが、その上に黄楊の小櫛という高級品を、娘子は大切に匣に入れて持っていた。せい一杯身を飾るときに、彼女はそのとっておきの櫛で髪をすくのである。石川某が訪れてくる時は、いつもそうであった。ところがもう帰ってしまうと、美しく装う必要はない。黄楊の小櫛も、もはや空しいのである。・・・所詮、娘子は娘子にすぎなかったろう。そうした身分の中での切情が遊女の歌にはこめられていて、一首はかぎりなく、いとおしい。」と書いておられる。
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遊行女婦といわれた彼女たちの歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。
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一七七六、一七七七歌の歌碑は、兵庫県姫路市本町 日本城郭研究センター前に立てられている。
―その2243―
●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。
◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(志貴皇子 巻八 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
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この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。
巻一から巻二〇までの巻頭歌については次の拙稿ブログで紹介している。
■巻一~巻四
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■巻五~巻八
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■巻九~巻十二
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■巻十三~巻十六
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■巻十七~巻二十
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志貴皇子の歌六首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1216)」で紹介している。
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一四一八歌の歌碑は、奈良市矢田原町 田原西陵前に立てられている。
―その2244―
●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右
(作者未詳 巻十一 二七五〇)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに
(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(学研)
(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もる。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學万葉の花の会発行)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2052)」で紹介している。
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「ダイダイ」と「クネンボ」について
■だいだい【橙/臭橙/回青橙】: ミカン科の常緑小高木。葉は楕円形で先がとがり、葉柄(ようへい)に翼がある。初夏、香りのある白い花を開く。実は丸く、冬に熟して黄色になるが、木からは落ちないで翌年の夏に再び青くなる。実が木についたまま年を越すところから「代々」として縁起を祝い、正月の飾りに用いる。果汁を料理に、果皮を漢方で橙皮(とうひ)といい健胃薬に用いる。《季 花=夏 実=冬》(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■くねんぼ【九年母】:ミカン科の常緑低木。葉は大形で楕円形。初夏、香りの高い白い花をつけ、秋、黄橙色の甘い実を結ぶ。果皮は厚く、種子が多い。インドシナの原産。香橘(こうきつ)。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)」
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」