万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1216)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(14)―万葉集 巻八 一四一八

●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(14)万葉陶板歌碑(志貴皇子



●万葉陶板歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(14)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。

 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。

 

◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

         (志貴皇子 巻八 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(28改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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 志貴皇子は、天智天皇の皇子。光仁(こうにん)天皇の父で、追尊して春日宮天皇、また田原天皇とも称される。陵は田原西陵である。なお息子の光仁天皇の陵は田原東陵である。

田原東陵についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1091)」で紹介している。

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 志貴皇子の歌は、万葉集には六首収録されている。他の五首もみてみよう。

 

題詞は、「従明日香宮遷居藤原京之後志貴皇子御作歌」<明日香(あすか)の宮より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。

 

◆婇女乃(うねめの) 袖吹反(そでふきかへす) 明日香風(あすかかぜ) 京都乎遠見(みやこをとほみ) 無用尓布久(いたづらにふく)

           (志貴皇子 巻一 五一)

 

(訳)采女の袖(そで)をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、 都が遠のいて今はただ空しく吹いている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うねめ【采女】名詞:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった。後宮(こうきゅう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で紹介している。

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 題詞は、「慶雲三年丙午幸于難波宮時」<慶雲(きやううん)三年丙午(ひのえうま)に、難波(なにわ)の宮に幸(いでま)す時>とあり、この歌は「志貴皇子御作歌」<志貴皇子の作らす歌>とある。

 

◆葦邊行(あしへゆく) 鴨之羽我比尓(かものはがひに) 霜零而(しもふりて) 寒暮夕(さむきゆふべに) 倭之所念(やまとしおもほゆ)

            (志貴皇子 巻一 六四)

 

(訳)枯草のほとりを漂い行く羽がいに霜が降って、寒さが身にしみる夕暮れは、とりわけ故郷大和が思われる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)はがい(羽交):鳥の左右の翼が打ちちがうところ 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その272)」で紹介している。

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◆牟佐ゝ婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨

                  (志貴皇子 巻三 二六七)

 

≪書き下し≫むささびは木末(こぬれ)求(もと)むとあしひきの山のさつ男(を)にあひにけるかも

 

(訳)巣から追い出されたむささびは、梢(こずえ)を求めて幹を駆け登ろうとして、あしひきの山の猟師に捕えられてしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さつを(猟夫):猟師

 

 何か童話か童謡の世界の歌の感じがする。しかし、このムササビは誰で、木末(こぬれ)は誰で、山の猟師は誰かと考えると、重大な歴史的なことを言っているのかもしれないとも思える。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その29改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

巻八 一四六六歌についても紹介している。

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◆大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳

        (志貴皇子 巻四 五一三)

 

≪書き下し≫大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも

 

(訳)大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)大原:奈良県高市郡明日香村

(注)上二句は序。類音で「いつしかと」を起こす。 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その179)」で紹介している。

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◆神名火乃 磐瀬乃杜之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴

          (志貴皇子 巻八 一四六六)

 

≪書き下し≫神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の社(もり)のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ

 

(訳)神なびの石瀬の森の時鳥(ほととぎす)よ、この時鳥は、毛無(けなし)の岡にはいつ来て鳴いてくれるのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りてきてよりつく場所。山や森など。「かみなび」「かんなび」ともいう。(学研)

 

 上述の巻三 二六七歌に同じくブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その29改)」で紹介している。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」