万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2158)―兵庫県(4)加古郡、河東市、加古川市―

加古郡

加古郡稲美町国安 国安天満宮万葉歌碑(巻七 一一七九)■

加古郡稲美町 国安天満宮万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎

        (作者未詳 巻七 一一七九)

 

≪書き下し≫家にして我(あ)れは恋ひむな印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に照りし月夜(つくよ)を

 

(訳)我が家に帰ってから私は懐かしく思い出すことであろうな。昨夜、印南野の浅茅の上に月が皓々(こうこう)と照らしていた光景はまことに見事であったな、と。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)にして 分類連語:…において。…で。…に。▽場所・場合・時などの意を表す。 ⇒なりたち:格助詞「に」+格助詞「して」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その637)」で紹介している。

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加古郡

兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森の歌碑をみていこう。


兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(阿倍大夫)

稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(阿倍大夫) 20200702撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首」<大神大夫(おほみわのまへつきみ)、筑紫(つくし)の国に任(ま)けらゆる時に、阿倍大夫(あへのまへつきみ)が作る歌一首>である。

(注)大神大夫:三輪朝臣高市麻呂。(伊藤脚注)

(注)まく【任く】他動詞①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

 

◆於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓

        (阿倍大夫 巻九 一七七二)

 

≪書き下し≫後(おく)れ居て我(あ)れはや恋ひなむ印南野(いなみの)の秋萩見つつ去(い)なむ子ゆゑに             

 

(訳)あとに残されて私は恋い焦がれることになるのか。印南野の秋萩を見ながら行ってしまういとしい人ゆえに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

 

 

兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(巻三 三〇三)■

稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(柿本人麻呂) 20200702撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。

 

◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

        (柿本人麻呂 巻三 三〇三)

 

≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)

(注)印南の海:播磨灘(伊藤脚注)

(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)

(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)

 

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 一一七二歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その638)」で、三〇三歌ならびに歌碑については、同「同(その639)」で紹介している。

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兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(巻二十 四三〇一)■

加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(安宿王) 20200702撮影

●歌をみていこう。

 

◆伊奈美野之 安可良我之波ゝ 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之

        (安宿王 巻二〇 四三〇一)

 

≪書き下し≫印南野(いなみの)の赤ら柏(がしは)は時はあれど君を我(あ)が思(も)ふ時はさねなし

 

(訳)印南野の赤ら柏は、赤らむ季節が定まっておりますが、大君を思う私の気持ちには、いついつと定まった時など、まったくありません。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 (注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)

(注)かしは【柏・槲】名詞:①木の名。「柏木(かしはぎ)」とも。葉が大きく、食物を包むのに用いた。②上代、食物を盛るのに用いる葉の総称。また、食器の総称。(学研)

 

「干槲(ひがしは)」は、宮中の鎮魂祭や大嘗祭の供神料に全国から献上されたとある。「緋かしは」を「赤らかしは」と懸けたのかと考えたが、「緋色」という言い方は平安以降とわかり、干したカシワ葉の色目をいったのかもしれない。

 

「時はあれど」「時はさねなし」の対句表現など洒落た言い回しである。

 

 

兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(巻七 一一七九)■

兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳) 20200702撮影

●一一七九歌は前述の国安天満宮万葉歌碑と同じであるので省略させていただきます。

 また同歌は、万葉の森「茅月亭」名碑にも刻されている。

万葉の森「茅月亭」名碑に刻された一一七九歌(作者未詳) 20200702撮影

 四二〇一歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その640)」で、一一七九歌ならびに歌碑については、同「同(その641)」で紹介している。

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兵庫県加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(巻十二 三一九八)■

加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳) 20211005撮影

●歌をみていこう。

 

◆明日従者 将行乃河之 出去者 留吾者 戀乍也将有

         (作者未詳    巻十二 三一九八)

 

≪書き下し≫明日(あす)よりはいなむの川の出(い)でて去(い)なば留(と)まれる我(あ)れは恋ひつつやあらむ

 

(訳)明日からは去なむという名の川のように、旅に出て去なれてしまったら、あとに残される私は、どんなに恋い焦がれなければならないことか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)    

(注)いなむの川:兵庫県印南野を流れる加古川か。(伊藤脚注)

(注)上二句「明日従者 将行乃河之」が序。「出去者」を起こす。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1212)」で紹介している。

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三種類のパンフレット(園内巡り必携がお勧め)

 

<河東市>

 次は、兵庫県河東市 県立播磨中央公園いしぶみの丘の万葉歌碑である。


兵庫県河東市 県立播磨中央公園万葉歌碑(巻六 九四六・九四七)■

兵庫県河東市 県立播磨中央公園万葉歌碑(山部赤人

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)敏馬(みぬめ):神戸市東部、灘(なだ)区の西郷(さいごう)川河口付近の古地名。埋立てによる摩耶埠頭(まやふとう)一帯の地で、国道2号沿い(岩屋中町)に汶売(みぬめ)(敏馬)神社がある。『万葉集』には「玉藻(たまも)刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))のほか、「敏馬の浦」「敏馬の崎」として多く詠まれている。敏馬神社の境内には柿本人麻呂の万葉歌碑がある。かつては難波津(なにわづ)と淡路島の中間にある港であったのであろう。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

 

◆御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二

      (山部赤人 巻六 九四六)

 

≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ 淡路(あはじ)の島に 直(ただ)向(むかふ 敏馬の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採(と)り 浦(うら)みには なのりそ刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しけど なのりその おのが名惜しみ 間使(まつかひ)も 遣(や)らずて我(わ)れは 生けりともなし

 

(訳)大御食(おおみけ)に向かう粟(あわ)ではないが、その淡路(あわじ)の島にまともに向き合っている敏馬の浦、その浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、あの方を見たいと思うけれど、なのりその名のように、我が名の立つのが惜しいので、使いの者すら遣(や)らずにいて、私はまったく生きた心地もしない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)。(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)なのりそ 名詞:海藻のほんだわらの古名。正月の飾りや、食用・肥料とする。 ※和歌では「な告(の)りそ(=告げるな)」の意をかけて用い、また、「名(な)」を導く序詞(じよことば)の一部を構成する。

(注)間使:二人の間を行き来する使い。

(注)とも 接続助詞《接続》動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。中世以降、動詞型・形容動詞型活用語の連体形にも付く。:①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても。②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが。たとえ…でも。 ⇒語法 (1)上代において、上一段動詞「見る」に付くとき、「見とも」となることがあった。「君が家の池の白波磯(いそ)に寄せしばしば見とも飽かむ君かも」(『万葉集』)〈あなたの家の池の白波が水辺に(しきりに)打ち寄せるように、しばしば会ったとしても飽きるようなあなたであろうか。〉(2)中世には、連体形にも付く。「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなむ」(『徒然草』)〈このぐらい(の高さ)になったら、飛び降りても降りられるだろう。〉(3)形容詞型の活用語・打消の助動詞「ず」に付く場合、それらを未然形と見る立場もある。 ⇒参考 語源については[ア] 格助詞「と」+係助詞「も」、[イ] 接続助詞「と」+係助詞「も」の二説がある。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1256)」で紹介している。

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 播磨中央公園いしぶみの丘には、あと2基の万葉歌碑がある。


 志貴皇子の巻八 一四一八歌と舒明天皇の巻八 一五一一歌の歌碑である。

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1254)」で紹介している。

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 同公園いしぶみの丘の歌碑の位置は次のとおりである。

兵庫県立播磨中央公園HP「いしぶみの丘」略地図を引用、加筆させていただきました。

 

加古川市

加古川市木村宮本 泊神社万葉歌碑(巻三 二五三)■

加古川市木村宮本 泊神社万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見  一云湖見

      (柿本人麻呂 巻三 二五三)

 

≪書き下し≫稲日野(いなびの)も行き過ぎかてに思へれば心恋(こころこひ)しき加古(かこ)の島そ見ゆ  一には「水門(みと)見ゆ」といふ

 

(訳)印南野(えなみの)も素通りしがてに思っていたところ、行く手に心ひかれる加古の島が見える。(「万葉集 一:「印南野(いなみの)」に同じ。(学研)

(注の注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)

(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ➡なりたち可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(学研)

(注)加古の島:加古川河口の島、三角州か。「古」に「子」を連想している。(伊藤脚注)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その807)」で紹介している。

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宮本武蔵の養子の宮本伊織が、泊神社を再建したという。

歌碑は、泊神社前駐車場の端、神社を背にした右手橋のたもとにある。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「兵庫県立播磨中央公園HP」