万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1256)ー兵庫県加東市 県立播磨中央公園(3)―万葉集 巻六 九四六、九四七

●歌は、「御食向ふ淡路の島に直向ふ敏馬の浦の沖辺には深海松採り浦みにはなのりそ刈る・・・」と「須磨の海女の塩焼き衣のなれなかば一日も君を忘れて思はむ」である。

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兵庫県加東市 県立播磨中央公園(3)万葉歌碑(山部赤人



●歌碑は、兵庫県加東市 県立播磨中央公園(3)にある。

この歌碑には、九四六歌ならびに九四七歌が刻されている。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)敏馬(みぬめ):神戸市東部、灘(なだ)区の西郷(さいごう)川河口付近の古地名。埋立てによる摩耶埠頭(まやふとう)一帯の地で、国道2号沿い(岩屋中町)に汶売(みぬめ)(敏馬)神社がある。『万葉集』には「玉藻(たまも)刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))のほか、「敏馬の浦」「敏馬の崎」として多く詠まれている。敏馬神社の境内には柿本人麻呂の万葉歌碑がある。かつては難波津(なにわづ)と淡路島の中間にある港であったのであろう。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

(注)敏馬神社の境内の柿本人麻呂の万葉歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その563)」で紹介している。

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◆御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二

      (山部赤人 巻六 九四六)

 

≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ 淡路(あはじ)の島に 直(ただ)向(むかふ 敏馬の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採(と)り 浦(うら)みには なのりそ刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しけど なのりその おのが名惜しみ 間使(まつかひ)も 遣(や)らずて我(わ)れは 生けりともなし

 

(訳)大御食(おおみけ)に向かう粟(あわ)ではないが、その淡路(あわじ)の島にまともに向き合っている敏馬の浦、その浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、あの方を見たいと思うけれど、なのりその名のように、我が名の立つのが惜しいので、使いの者すら遣(や)らずにいて、私はまったく生きた心地もしない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)。(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)なのりそ 名詞:海藻のほんだわらの古名。正月の飾りや、食用・肥料とする。 ※和歌では「な告(の)りそ(=告げるな)」の意をかけて用い、また、「名(な)」を導く序詞(じよことば)の一部を構成する。

(注)間使:二人の間を行き来する使い。

(注)とも 接続助詞《接続》動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。中世以降、動詞型・形容動詞型活用語の連体形にも付く。:①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても。②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが。たとえ…でも。 ⇒語法 (1)上代において、上一段動詞「見る」に付くとき、「見とも」となることがあった。「君が家の池の白波磯(いそ)に寄せしばしば見とも飽かむ君かも」(『万葉集』)〈あなたの家の池の白波が水辺に(しきりに)打ち寄せるように、しばしば会ったとしても飽きるようなあなたであろうか。〉(2)中世には、連体形にも付く。「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなむ」(『徒然草』)〈このぐらい(の高さ)になったら、飛び降りても降りられるだろう。〉(3)形容詞型の活用語・打消の助動詞「ず」に付く場合、それらを未然形と見る立場もある。 ⇒参考 語源については[ア] 格助詞「と」+係助詞「も」、[イ] 接続助詞「と」+係助詞「も」の二説がある。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1201)」で紹介している。

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短歌もみてみよう。

 

◆為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念

       (山部赤人 巻六 九四七)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼き衣(きぬ)のなれなかば一日(ひとひ)も君を忘れて思はむ

 

(訳)須磨の海女が塩焼の作業に着る衣が穢(な)れているように、相見ることに馴れるようになったなら、せめて一日だけでもあの方のことを忘れていることができるであろうか。(同上)

(注)しほやきぎぬ【塩焼き衣】名詞:海水を煮て塩を作る人が着る粗末な衣。「しほやきごろも」とも。(学研)

(注)上二句は序。「穢(な)れる」を起こす。

(注)君:女官の立場でこう言ったと考えられる。「君」は女言葉で男への敬称である。

 

 

左注は、「右作歌年月未詳也 但以類故載於此次」<右は、作歌の年月いまだ詳(つばひ)らかにあらず。ただし、類(たぐひ)をもちての(ゆゑ)に、この次(つぎて)に載(の)す>である。

(注)類:ここでは山部赤人の九三五から九四五歌とこの二首も、同じ「摂津・播磨」の作である。

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歌の書き下し説明板



 

 九四七歌に詠われている「塩焼き衣」を詠った歌をみてみよう。

 

◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

                  (大網公人主 巻三 四一三)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢごろも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず

 

(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着るだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)須磨:神戸市須磨区一帯。

(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)

(注の注)藤衣の目が粗いことから逢う感覚が遠く馴染の浅い意を譬える。

(注)まどほ【間遠】名詞:①間隔があいていること。②編み目や織り目があらいこと。(学研)

 

 「藤衣」という響きからくるイメージと異なり「織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた」とは。四一三歌は、自分の恐らく新妻をおとしめて譬えたのであろうが、譬えられた妻の気持ちや如何。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1161)」で紹介している。

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もう一首みてみよう。

 

◆志賀乃白水郎之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛

        (作者未詳 巻十一 二六二二)

 

≪書き下し≫志賀(しか)の海人(あま)の塩焼(しおや)き衣(ころも)なれぬれど恋(こひ)といふものは忘れかねつも

 

(訳)志賀の海人の塩焼きの衣、その仕事着が褻れ汚れているように。馴れ親しんだ仲だというのに、恋の苦しみというものからはなかなか逃げられない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)上二句は序。「なれ」(馴れ親しむ)を起こす。

 

 都人にとって、海女(海人)の塩を焼く作業着は、「褻れ汚れて」いるので、強烈な印象を持ったと考えられる。貴重なまっ白なあの塩を、褻れ汚れた作業着で作っていることにすこぶる驚きの目をもって見つめていたのであろう。

 強烈であるだけに、それを「馴れ」の譬喩にもってくるあたりのセンスには驚かされる。

 いろいろなことに感心を持つ、鋭い観察力と感性の組み合わせが洒落た歌を生み出す原動力となっているのだと思う。

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「県立播磨中央公園」の碑



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いしぶみの丘」の碑



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」