万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2155)―兵庫県(1)伊丹市・尼崎市・神戸市東灘区―

 兵庫県は、犬養 孝著「万葉の旅 下」(平凡社)によると、万葉歌所出地名は142にものぼり、奈良県大阪府滋賀県に次いでいる。例えば、神戸市の平磯緑地には、「万葉歌碑の道」と名付けられた散策路に6つの歌碑があり、明石市柿本神社は、柿本人麻呂を祭っているとともに歌碑も2つ境内にあり、加古郡稲美町の万葉の森には万葉集にゆかりの植物が植えられ「いなみ野」が読まれた歌碑がある。 相生市の万葉の岬は、山部赤人らが詠んだという金ヶ崎で、3つの歌碑がある。淡路島にも7つの歌碑がある。

兵庫県は、(1)伊丹市尼崎市・神戸市灘区、(2)神戸市垂水区明石市、(3)淡路市、(4)加古郡・河東市・加古川市、(5)姫路市たつの市相生市と5つのエリアに分けてみていこう。

 

<(1)伊丹市尼崎市・神戸市灘区>

兵庫県伊丹市 緑が丘公園万葉歌碑(巻七 一一四〇)■

兵庫県伊丹市 緑が丘公園万葉歌碑(作者未詳) 20201002撮影

●歌をみていこう。

 

◆志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而  <一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者>

        (作者未詳 巻七 一一四〇)

 

≪書き下し≫しなが鳥(どり)猪名野(ゐなの)を来(く)れば有馬山(ありまやま)夕霧(ゆふぎり)立ちぬ宿(やど)りはなくて  <一本には「猪名の浦みを漕ぎ来れば」といふ>

 

(訳)猪名の野をはるばるやって来ると、有馬山に夕霧が立ちこめて来た。宿をとるところもないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しながとり【息長鳥】分類枕詞:①鳥が「ゐならぶ」ことから地名「猪那(ゐな)」にかかる。②地名「安房(あは)」にかかる。かかる理由未詳。 ※息の長い鳥の意で、具体的な鳥名には諸説ある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いなの〔ゐなの〕【猪名野】:兵庫県伊丹市から尼崎市にかけての猪名川沿いの地域。古来、名勝の地で、笹の名所。[歌枕](weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)有間山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県神戸市の六甲山北側にある有馬温泉付近の山々。「有馬山」とも書く。(学研)

(注)やどり【宿り】名詞:①旅先で泊まること。宿泊。宿泊所。宿所。宿。②住まい。住居。特に、仮の住居にいうことが多い。③一時的にとどまること。また、その場所。 ※参考「宿り」は、住居をさす「やど」「すみか」とは異なり、旅先の・仮のの意を含んでいる。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その787)」で紹介している。歌にあった有間山(有馬山)を詠った大伴坂上郎女の歌も紹介している。

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兵庫県伊丹市 昆陽池公園万葉歌碑(巻三 二七九)■

兵庫県伊丹市 昆陽池公園万葉歌碑(高市黒人) 20201002撮影

●歌をみていこう。

 

◆吾妹兒二 猪名野者令見都 名次山 角松原 何時可将示

        (高市黒人 巻三 二七九)

 

≪書き下し≫吾妹子(わぎもこ)に猪名野(ゐなの)は見せつ名次山(なすきやま)角(つの)松原(まつばら)しいつか示さむ

 

(訳)いとしきこの人に猪名野(いなの)をみせることができた。名次山や角の松原をはいつこれがそれだと示すことができるのだろうか。早く連れて行ってやりたい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いなの〔ゐなの〕【猪名野】:兵庫県伊丹市から尼崎市にかけての猪名川沿いの地域。古来、名勝の地で、笹の名所。[歌枕](weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)名次山:西宮市名次町の丘陵。(伊藤脚注)

(注)角の松原:西宮市松原町津門の海岸。(伊藤脚注)。

 

 題詞は、「高市連黒人歌二首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が歌二首>である。

 

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 この歌および二八〇歌、ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その788)で紹介している。

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尼崎市東園田 猪名川公園万葉歌碑(巻七 一一四〇)■

尼崎市東園田 猪名川公園万葉歌碑(作者未詳) 20201002撮影

●歌は、上述の緑が丘公園万葉歌碑と同じであるので省略させていただきます。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その789)」で紹介している。

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■神戸市東灘区 処女塚古墳万葉歌碑(巻九 一八〇二)■

神戸市東灘区 処女塚古墳万葉歌碑(田辺福麻呂) 20201002撮影

●歌をみていこう。

 

◆古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奥城叙此

       (田辺福麻呂 巻九 一八〇二)

 

≪書き下し≫いにしへの信太壮士(しのだをとこ)の妻(つま)どひし菟原娘子(うなひをとめ)の奥(おく)つ城(き)ぞこれ

 

(訳)はるか遠くの時代の信太壮士が、はるばると妻どいにやって来た菟原娘子、その娘子の奥つ城なのだ、これは。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)信太壮士:和泉の国信太(大阪府和泉市)の男。娘にとってはよそ者なので、心が傾いても受け入れることができなかったのである。(伊藤脚注)。

(注)おくつき【奥つ城】名詞:①墓。墓所。②神霊をまつってある所。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「き」は構え作ってある所の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「過葦屋處女墓時作歌一首并短歌」<葦屋(あしのや)の娘子(をとめ)が墓を過ぐる時に作る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 長歌(一八〇一歌)と反歌(一八〇二、一八〇三歌)の構成である。

 

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 この歌および長歌(一八〇一歌)ともう一首の反歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で紹介している。

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 菟原娘子伝説を詠った歌は、四二一一・四二一二歌(大伴家持)、一八〇九~一八一一歌(高橋虫麻呂)がある。

 

 大伴家持の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1346表②)で紹介している。

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 高橋虫麻呂の歌は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1088)」で紹介している。

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■神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社万葉歌碑(巻三 二五〇)■

神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社万葉歌碑(柿本人麻呂) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

◆珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴

     一本云 處女乎過而 夏草乃 野嶋我埼尓 伊保里為吾等者

         (柿本人麻呂 巻三 二五〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)の崎に船近づきぬ

 一本には「処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島が崎に廬(いほり)す我(わ)れは」といふ

 

(訳)海女(あま)たちが玉藻を刈る敏馬(みぬめ)、故郷の妻が見えないという名の敏馬を素通りして、はや船は夏草茂るわびしい野島の崎に近づきつつある。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもかる【玉藻刈る】分類枕詞:玉藻を刈り採っている所の意で、海岸の地名「敏馬(みぬめ)」「辛荷(からに)」「乎等女(をとめ)」などに、また、海や水に関係のある「沖」「井堤(ゐで)」などにかかる。(学研) 

(注)敏馬(みぬめ):神戸港の東、岩屋町付近。「見ぬ女」の意を匂わす。(伊藤脚注)

(注)処女:芦屋市から神戸市にかけての地。(伊藤脚注)。

(注)のじまがさき【野島が崎】:兵庫県淡路市北部にある岬。[歌枕](weblio辞書 デジタル大辞泉

 

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■神戸市東灘区岩屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(巻六 一〇六五)■

神戸市東灘区岩屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(田辺福麻呂 長歌

●歌をみていこう

 

題詞は、「過敏馬浦時作歌一首并短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に作る歌一首并せて短歌>である。

 

◆八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六五)

 

≪書き下し≫八千桙(やちほこ)の 神の御世(みよ)より 百舟(ものふね)の 泊(は)つる泊(とまり)と 八島国(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の 定(さだ)めてし 敏馬(にぬめ)の浦は 朝風(あさかぜ)に 浦浪騒(さわ)き 夕波(ゆふなみ)に 玉藻(たまも)は来寄る 白(しら)真砂(まなご) 清き浜辺(はまへ)は 行き帰り 見れども飽(あ)かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継(つ)ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代(ももよ)経(へ)て 偲(しの)はえゆかむ 清き白浜

 

(訳)国造りの神、八千桙の神の御代以来、多くの舟の泊まる港であると、この大八島の国の国中の舟人が定めてきた敏馬の浦、この浦には、朝風に浦波が立ち騒ぎ、夕波に玉藻が寄って来る。白砂の清らかな浜辺は、行きつ戻りついくら見ても見飽きることはない。さればこそ、見る人の誰しもが、この浦の美しさを口々に語り伝え、賞(め)で偲んだのであるらしい。百代ののちまでも長く久しく、いとしまれてゆくにちがいない。この清らかな白砂の浜辺は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)やちほこのかみ【八千矛神】:大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)白真砂(読み)シラマナゴ:白いまさご。白砂。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)うべし【宜し】副詞:いかにももっとも。なるほど。 ※「し」は強意の副助詞。(学研)

(注)けらし 助動詞特殊型:《接続》活用語の連用形に付く。①〔過去の事柄の根拠に基づく推定〕…たらしい。…たようだ。②〔過去の詠嘆〕…たのだなあ。…たなあ。 ➡参考:(1)過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化した語。(2)②は近世の擬古文に見られる。(学研)

 

 

■神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(巻六 一〇六六)■

神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(巻六 一〇六六) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

◆真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六六)

 

≪書き下し≫まそ鏡敏馬(みぬめ)の浦は百舟(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに

 

(訳)よく映る鏡を見るというその敏馬の浦は、ここを通る舟という舟が素通りして行くことのできるような浜ではないのに。(同上) 

(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

 

 

 二五〇歌、長歌(一〇六五歌)・反歌(一〇六六歌)ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その563~565」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下」 犬養 孝 著 (平凡社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉