万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2434)―

■むろのき■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘れえめや」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(大伴旅人) 20230926撮影



●歌碑は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首」<天平二年庚午(かのえうま)の冬の十二月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向ひて道に上る時に作る歌五首>

四四六から四五〇歌までであり、四四六から四四八歌の三首の左注が、「右三首過鞆浦日作歌」<右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌>である。そして、四四九、四五〇歌の左注は、「右二首過敏馬埼日作歌」<右の二首は、敏馬の﨑を過ぐる日に作る歌>である。

(注)天平二年:730年。旅人は大納言となって帰京。(伊藤脚注)

 

◆鞆浦之 磯之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方

        (大伴旅人 巻三 四四七)

 

≪書き下し≫鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも

 

(訳)鞆の浦の海辺の岩の上に生えているむろの木。この木をこれから先も見ることがあればそのたびごとに、行く時に共に見たあの子のことが思い出されて、とても忘れられないだろうよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)見むごとに:これからも見ることがあればその度ごとに。将来にかけての言い方。(伊藤脚注)

 

 

 四四六、四四七歌については、広島県福山市鞆町対潮楼石垣下、歴史民俗資料館の歌碑と共に拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1632,1633)」で、四四八歌については、同町医王寺の歌碑と共に拙稿ブログ「同(その2104)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com





 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 


 

 

四四九、四五〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その敏馬神社番外編)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 四四六~四五〇歌を改めてながめてみよう。(題詞と書き下し)

 

天平二年庚午(かのえうま)の冬の十二月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向ひて道に上る時に作る歌五首

■我妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき(四四六歌)

鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも(四四七歌)

■磯の上に根延(ねば)ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか(四四八歌)

 (左注)右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌

 

■妹(いも)と来(こ)し敏馬(みぬめ)の崎を帰るさにひとりし見れば涙(なみた)ぐましも(四四九歌)

■行くさにはふたり我(あ)が見しこの崎をひとり過ぐれば心(こころ)悲しも(四五〇歌)

 (左注)右の二首は、敏馬の崎を過ぐる日に作る歌

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」