■もみ■
●歌は、「すめろきの神の命の敷きいます・・・木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり鳴く鳥の・・・」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷せて短歌>である。
◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處
(山部赤人 巻三 三二二)
≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ
(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の:歴代の天皇を神話的観相でとらえた表現。(伊藤脚注)
(注の注)すめろき【天皇】名詞:天皇(てんのう)。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意
(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)
(注)こごしかも:険しく聳え立つ。カモは詠嘆。(伊藤脚注)
(注の注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)
(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1223)」で、日本の三古泉に因んだ歌と共に紹介している。
➡
この歌の歌い出しに関して、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)のなかで、「・・・人麻呂において類型的ですらある、かつそれに先立って伝統的に賛歌が踏襲して来た『やすみしし わご大君』という冒頭は、吉野の三首のほか紀伊・印南野の二首、計五首にしか用いられていない。・・・赤人は故意にこの常套句を避けたのである。この技巧に、人麻呂の伝統からの脱却を試みようとした八世紀宮廷歌人の面目があった。」と書かれ、「・・・人麻呂は天皇の所業も述べたが、その体をまねる赤人はつねにその地の状態・風景の美しさを詠んで感動の原因とした。」とも書かれている。
赤人の賛歌の歌い出しをみてみよう。
■三二二歌 すめろきの 神の命の 敷きいます 国のことごと・・・
■三二四歌 みもろの 神なび山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の・・・
■九一七歌 やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉る 雑賀野ゆ・・・
■九二三歌 やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は・・・
■九二六歌 やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の・・・
■九三三歌 天地の 遠きがごとく 日月の 長きがごとく おしてる 難波の宮に・・・
■九三八歌 やすみしし 我が大君の 神ながら 高知らせる 印南野の・・・
■一〇〇五歌 やすみしし 我が大君の 見したまふ 吉野の宮は・・・
柿本人麻呂の歌い出しをみてみよう。
■三六歌 やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも・・・<吉野>
■三八歌 やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川・・・
■四五歌 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと・・・
■二三九歌 やすみしし 我が大君 高光る 我が日の御子の 馬並めて・・・<挽歌>
■二六一歌 やすみしし 我が大君 高光る 日の御子 敷きいます・・・
田辺福麻呂の歌い出しもみてみよう。
■一〇四七歌 やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国は すめろきの・・・
■一〇六二歌 やすみしし 我が大君の あり通う 難波の宮は 鯨取り・・・
その他、長歌では次のような歌もある。
藤原の役民の作る歌
■五〇歌 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤原が上の・・・
藤原の宮の御井の歌
■五二歌 やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤井が原に・・・
短歌でも見られる。
■三二九歌 やすみしし 我が大君の 敷きませる 国の中には 都し思ほゆ(大伴四綱)
■九五六歌 やすみしし 我が大君の 食す国は 大和も ここも同じとぞ思ふ(大伴旅人)
柿本人麻呂の類型的な常套句、さらにそれに先立って伝統的に賛歌が踏襲して来た『やすみしし わご大君』という冒頭句に着目し、時間軸、空間軸的に歴史的背景や歌い手の考えまでに深耕する万葉集の歌の見方には頭が下がる思いである。
山部赤人の三二四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その505)」で紹介している。
➡
また、九三三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1945)」で紹介している。
➡
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」