●歌は、「やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ」である
●歌をみていこう。
◆八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念
(大伴旅人 巻六 九五六)
≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の食(を)す国は大和(やまと)もここも同(おな)じとぞ思ふ
(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君がお治めになる国、その国は、大和もここ筑紫(つくし)も変わりはないと思っています。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。
(注)をす【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)
題詞は、「帥大伴卿和歌一首」< 帥(そち)大伴卿(おほとものまへつきみ)が和(こた)ふる歌一首>である
どのような問いかけに和(こた)えたかというと、題詞「大宰少貮石川朝臣足人歌一首」<大宰少貮(だざいのせうに)石川朝臣足人(いしかはのあそみたるひと)が歌一首>の次の歌に対してである。
◆刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君
(石川足人 巻六 九五五)
≪書き下し≫さす竹の大宮人(おほみやひと)の住む佐保(さほ)の山をば思(おも)ふやも君
(訳)奈良の都の大宮人たちが、自分の家として住んでいる佐保の山、その山のあたりを懐かしんでおられますか、あなたは。(同上)
(注)さすたけの【刺す竹の】分類枕詞:「君」「大宮人」「皇子(みこ)」「舎人男(とねりをとこ)」など宮廷関係の語にかかる。「さすだけの」とも。竹の旺盛(おうせい)な生命力にかけて繁栄を祝ったものか。(学研)
(注)佐保の山:山麓に大伴氏はじめ貴族の邸宅があった。
どのタイミングで問うてきたのかわからないが、いわば「左遷」されてきた上司に、このような問いを投げかけるとは、と思ってしまう。
旅人の立場で、本音で答えるわけがない。
歌の解説案内板
旅人も、石川某に対しては、あまり親しみは持っていないようである。ズバッと建前で切り返している。梅花の宴にも石川某の名前はあがっていない。
気の許す仲間達との宴席で、同じような問いかけが、大伴四綱から投げかけられた時には、旅人は、本音で答えている。
歌で追ってみよう。
◆安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
(大伴四綱 巻三 三二九)
≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思ほゆ
(訳)安らかに見そなわす我が大君がお治めになっている国、その国々の中では、私はやはり都が一番懐かしい。(同上)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)
まず四綱が本音で「都し思ほゆ」と述べて次の問いかけを行っている。
◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
(大伴四綱 巻三 三三〇)
≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ
これに対して、旅人は、題詞「帥大伴卿歌五首」<帥大伴卿(そちのおほとものまへつきみ)が歌五首>で答えているのである。
◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
(大伴旅人 巻三 三三一)
≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない、ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(同上)
(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)
(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)
(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ➡語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)
◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為
(大伴旅人 巻三 三三二)
≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川(をがわ)を行きて見むため
(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川、あの清らかな流れを、もう一度行って見るために。(同上)
◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
(大伴旅人 巻三 三三三)
≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも
(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと想い出される。(同上)
(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる(学研)
(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。(学研)
◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為
(大伴旅人 巻三 三三四)
≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)
◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛
(大伴旅人 巻三 三三五)
≪書き下し≫我(わ)が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にはならずて淵(ふち)しありこそ
(訳)私の筑紫在任はそんなに長くはあるまい。あの吉野のわだよ、浅瀬なんかにならず深い淵のままであっておくれ。(同上)
(注)「我(わ)が行き」:私の旅、大宰府在任をいう。
(注) わだ【曲】名詞:入り江など、曲がった地形の所。(学研)
本音どころか、弱弱しい面までさらけだしているような歌である。日頃の緊張感から、気の許す仲間たちの宴席であるので、さすがの旅人も場にあまえてしまったのだろう。
九五六歌のように、「八隅知之 吾大王乃 御食國者」と。マクロ的にみて、大和も大宰府も同じと言い切る、旅人の姿は、ここにはない。
旅人の人間味が感じられひきつけられるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集講義 最古の歌集の素顔」 上野 誠 著 (中央公論新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」