万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2586の3)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「験なきものを思はずは一圷の濁れる酒を飲むべくあるらし(大伴旅人 3-338)」他である。

 

 「旅人はなぜこのように夢想的にならなければならないのか。実は『酒を讃(ほ)むるの歌』という風変わりな十三首をつくるのも、それにほかならないだろう。その第一首、(巻三、三三八)(歌は省略)『思ってもかいない物思いをやめて、酒を飲むのがよい』というのは、彼の本心である。」(同著)

 

 「酒を讃(ほ)むるの歌』十三首をみていこう。

 

■■巻三 三三八~三五〇歌■■

三三八から三五〇歌の歌群の題詞は、「大宰帥大伴卿讃酒歌十三首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿、酒を讃(ほ)むる歌十三首>である。

(注)三三八、三四四、三四七、三五〇が柱となり、その間にある二首ずつがふすまの形で組をなす。(伊藤脚注)

 

■巻三 三三八歌■

◆驗無 物乎不念者 一坏乃 濁酒乎 可飲有良師

        (大伴旅人 巻三 三三八)

 

≪書き下し≫験(しるし)なきものを思はずは一圷(ひとつき)の濁(にご)れる酒を飲むべくあるらし

 

(訳)この人生、甲斐なきものにくよくよとらわれるよりは、一杯の濁り酒でも飲む方がずっとましであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しるし【験】名詞:効果。かい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)濁れる酒:「濁酒」の翻読語。どぶろく。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三三九歌■

◆酒名乎 聖跡負師 古昔 大聖之 言乃宜左

       (大伴旅人 巻三 三三九)

 

≪書き下し≫酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せしいにしへの大き聖(ひじり)の言(こと)の宣(よろ)しさ

 

(訳)酒の名を聖(ひじり)と名付けたいにしえの大聖人の言葉、その言葉の何と結構なことよ。(同上)

(注)魏志徐邈伝(ぎしじょばくでん)に、太祖(魏の曹操)の禁酒令に対し、酔客が清酒を聖人、濁酒を賢人と呼んだとある。(伊藤脚注)

(注)大き聖(ひじり)の言(こと)の宣(よろ)しさ:徐邈らのことをおどけていったもの。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三四〇歌■

◆古之 七賢 人等毛 欲為物者 酒西有良師

                 (大伴旅人 巻三 三四〇)

 

≪書き下し≫いにしえの七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしあるらし

 

(訳)いにしえの竹林の七賢人たちさえも、欲しくて欲しくてならなかったものはこの酒であったらしい。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)七賢>竹林の七賢:中国の後漢(ごかん)末から魏(ぎ)を経て西晋(せいしん)に至る間(2世紀末から4世紀初め)に、文学を愛し、酒や囲碁や琴(こと)を好み、世を白眼視して竹林の下に集まり、清談(せいだん)を楽しんだ、阮籍(げんせき)、山濤(さんとう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)(以上河南省)、嵆康(けいこう)(安徽(あんき)省)、劉伶(りゅうれい)(江蘇(こうそ)省)、王戎(おうじゅう)(山東省)の7人の知識人たちに与えられた総称。彼らは、魏晋の政権交替期の権謀術数の政治や社会と、形式に堕した儒教の礼教を批判して、偽善的な世間の方則(きまり)の外に身を置いて、老荘の思想を好んだ方外の士である。彼らの常軌を逸したような発言や奇抜な行動は、劉義慶(ぎけい)の『世説新語』に記されている。そこには、たとえば、阮籍は、母の葬式の日に豚を蒸して酒を飲んでいたが、別れに臨んでは号泣一声、血を吐いた、とある。彼らの態度は、人間の純粋な心情をたいせつにすべきことを訴える一つの抵抗の姿勢であり、まったくの世捨て人ではなかった。すなわち、嵆康は素志を貫いて為政者に殺され、山濤は出仕して能吏の評判が高かった。(コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)

 

太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(大伴旅人 3-340) 20201117撮影



 

 

■巻三 三四一歌■

◆賢跡 物言従者 酒飲而 酔哭為師 益有良之

       (大伴旅人 巻三 三四一)

 

≪書き下し≫賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣(な)きするしまさりたるらし

 

(訳)分別ありげに小賢(こざか)しい口をきくよりは、酒を飲んで酔い泣きをするほうが、ずっとまさっているらしい。(同上)

(注)さかし【賢し】形容詞:①賢明だ。賢い。②しっかりしている。判断力がある。気丈である。③気が利いている。巧みだ。④利口ぶっている。生意気だ。こざかしい。(学研)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)

 

 

 

■巻三 三四二歌■

◆将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之

       (大伴旅人 巻三 三四二)

 

≪書き下し≫言はむすべ為(せ)むすべ知らず極(きは)まりて貴(たふと)きものは酒にしあるらし

 

(訳)なんとも言いようも、しようもないほどに、この上もなく貴い物は酒であるらしい。(同上)

(注)極(きは)まりて貴(たふと)き:漢語「極貴」の翻読語。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三四三歌■

◆中々尓 人跡不有者 酒壷二 成而師鴨 酒二染甞

       (大伴旅人 巻三 三四三)

 

≪書き下し≫なかなかに人とあらずは酒壺(さかつぼ)になりにてしかも酒に染(し)みなむ

 

(訳)なまじっか分別くさい人間として生きてなんかいずに、いっそ酒壺になってしまいたい。そうしたらいつも酒浸りになっていられよう。(同上)

(注)なかなかに 副詞:なまじ。なまじっか。中途半端に。(学研)

(注)呉の鄭泉(ていせん)は、死後自分の屍が土と化して酒壷に作られるように、窯の側に埋めよと言い残したという。(琱玉集)テシカモは願望。(伊藤脚注)

(注の注)てしかも 終助詞:《接続》活用語の連用形に付く。〔詠嘆をこめた自己の願望〕…(し)たいものだなあ。 ※上代語。願望の終助詞「てしか」に詠嘆の終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

 

■巻三 三四四歌■

◆痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見者 猿二鴨似

       (大伴旅人 巻三 三四四)

 

≪書き下し≫あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む

 

(訳)ああみっともない。分別くさいことばかりして酒を飲まない人の顔をつくづくと見たら、小賢しい猿に似ているのではなかろうか。(同上)

(注)前歌の「人」を承ける。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三四五歌■

◆價無 寳跡言十方 一坏乃 濁酒尓 豈益目八

       (大伴旅人 巻三 三四五)

 

≪書き下し≫価(あたひ)なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁(にご)れる酒にあにまさめや

 

(訳)たとえ値のつけようがないほど貴い宝珠でも、一杯の濁った酒にどうしてまさろうか。とてもまさりはしない。(同上)

(注)価なき宝:「無価宝珠」の翻読語。(伊藤脚注)

(注)あに【豈】副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。少しも。②〔下に反語表現を伴って〕どうして。なんで。 ⇒参考 中古以降は漢文訓読体にもっぱら用いられ、ほとんどが②の用法となった。(学研)ここでは②の意

 

 

 

■巻三 三四六歌■

◆夜光 玉跡言十方 酒飲而 情乎遣尓 豈若目八方

       (大伴旅人 巻三 三四六)

 

≪書き下し≫夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣(や)るにあに及(し)かめやも

 

(訳)たとえ夜光る貴い玉でも、酒を飲んで憂さ晴らしをするのにどうして及ぼうか、とても及びはしない。(同上)

(注)夜光る玉:極めて貴い玉。文選等に「夜光玉」の語がある。(伊藤脚注)

(注)こころをやる【心を遣る】分類連語:気晴らしをする。心を慰める。(学研)

 

 

 

■巻三 三四七歌■

◆世間之 遊道尓 怜者 酔泣為尓 可有良師

       (大伴旅人 巻三 三四七)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)の遊びの道に楽(たの)しきは酔(ゑ)ひ泣(な)きするにあるべかるらし

 

(訳)この世の中のいろんな遊びの中で一番楽しいことは、一も二もなく酔い泣きすることにあるようだ。(同上)

(注)上二句は前歌の第四句「心を遣る」(憂いを晴らす)を承ける。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三四八歌■

◆今代尓之 樂有者 来生者 蟲尓鳥尓毛 吾羽成奈武

        (大伴旅人 巻三 三四八)

 

≪書き下し≫この世にし楽しくあらば来(こ)む世には虫に鳥にも我(わ)れはなりなむ

 

(訳)この世で楽しく酒を飲んで暮らせるなら、来世には虫にでも鳥にでも私はなってしまおう。(同上)

(注)この世:現世。「来世」の対。前歌の「世間」を承ける。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻三 三四九歌■

◆生者 遂毛死 物尓有者 今生在間者 樂乎有名

       (大伴旅人 巻三 三四九)

 

≪書き下し≫生ける者(ひと)遂(つひ)にも死ぬるものにあればこの世(よ)にある間(ま)は楽しくをあらな

 

(訳)生ある者はいずれ死ぬものであるから、せめてこの世にいる間は酒を飲んで楽しくありたいものだ。(同上)

(注)「生者 遂毛死 物尓有者」は、仏説の「生者必滅」による。(伊藤脚注)

 

 

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■巻三 三五〇歌■

◆黙然居而 賢良為者 飲酒而 酔泣為尓 尚不如来

       (大伴旅人 巻三 三五〇)

 

≪書き下し≫黙(もだ)居(を)りて賢(さか)しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣(な)きするになほ及(し)かずけり

 

(訳)黙りこくって分別くさく振る舞うのは、酒を飲んで酔い泣きをするのに、やっぱり及びはしないのだ。(同上)

(注)もだ【黙】名詞:黙っていること。何もしないでじっとしていること。▽「もだあり」「もだをり」の形で用いる。(学研)

(注)なほ及かずけり:熟慮反省の結果として、「酔ひ泣き」の賞揚すべきことを確認した表現。以上一三首、大宰府の宴席で公表されたらしい。(伊藤脚注)

 

 三三八~三四四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その898-1)」で、三四五~三五〇歌については、同「同(その898-2)」で紹介している。

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太宰府歴史スポーツ公園「万葉の散歩道」の碑 2020117撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>」