万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1163)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(123)―万葉集 巻五 八二二

●歌は、「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(123)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(123)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 [主人]            (大伴旅人 巻八 八二二)

 

≪書き下し≫我(わ)が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも  主人

 

(訳)この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも:梅花を雪に見立てている。六朝以来の漢詩に多い。

(注)主人:宴のあるじ。大伴旅人

 

 この歌については、これまでも幾度となく紹介してきた。直近ではブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その989)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 「梅花の歌三十二首」には、後で追和した「員外(ゐんぐわい)、故郷を思ふ歌両首」(八四七、八四八歌)ならびに「後(のち)に梅の歌に追和(ついわ)する四首」(八四九~八五一歌)がある。これらをみていこう。

 

 梅花の宴に三十二人が集まり、接遇者なども含めると結構な数になったはずである。賑やかなそしてすべてを忘れさせる充実した宴が終わった後の静寂、妻を亡くした孤独感、さらに老いという現実が旅人を襲ったのであろう。

 現実から逃避するような歌を詠わざるをえなかったのだろう。

 

題詞は、「員外思故郷歌兩首」<員外(ゐんぐわい)、故郷を思ふ歌両首>である。

(注)員外:梅花三十二首の員数外の人。実際は旅人の歌らしい。

 

 

◆和我佐可理 伊多久々多知奴 久毛尓得夫 久須利波武等母 麻多遠知米也母

                  (大伴旅人 巻五 八四七)

 

≪書き下し≫我(わ)が盛(さか)りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬(くすり)食(は)むともまたをちめやも

 

(訳)私の盛りはすっかり過ぎてしまった。飛行長生(ひぎょうちょうせい)の仙薬(せんやく)を飲んでも、再び若返りはしまい。(同上)

(注)くたつ【降つ】:自動詞:①(時とともに)衰えてゆく。傾く。②夕方に近づく。夜がふける。 ※「くだつ」とも。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)雲に飛ぶ薬:飲めば空を自由に飛行して長寿を全うするという霊薬。

(注)をつ【復つ】自動詞:元に戻る。若返る。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

◆久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之

                  (大伴旅人 巻五 八四八)

 

≪書き下し≫雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我(あ)が身またをちぬべし

 

(訳)飛行長生の薬を飲むよりはむしろ奈良の都を一目見たい、そうしたら、この卑しい老爺(ろうや)の身も若返るにちがいない。(同上)

 

 老いの現実からの逃避、「雲に飛ぶ薬(くすり)食(は)むとも」、しかし「またをちめやも」と現実に戻り、夢のような薬を飲むより、「都見ば」と少しは現実味のある世界に己を引き戻し「いやしき我(あ)が身またをちぬべし」と己を納得させつつより強い望郷に念のなかに己を追い込んでいくのである。中心軸が確固たるものがなければ、という極限の心理を見事に詠い上げているのである。

 

 

 次の歌群をみてみよう。

 

題詞は、「後追和梅歌四首」<後(のち)に梅の歌に追和(ついわ)する四首>である。

 

 

◆能許利多留 由棄仁末自例留 宇梅能半奈 半也久奈知利曽 由吉波氣奴等勿

                   (大伴旅人 巻五 八四九)

 

≪書き下し≫残りたる雪に交(まじ)れる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも

 

(訳)消え残る雪に交って咲いている梅の花よ、早々と散らないでおくれ。たとえ雪は消えてしまっても。(同上)

 

 

◆由吉能伊呂遠 有婆比弖佐家流 有米能波奈 伊麻左加利奈利 弥牟必登母我聞

                   (大伴旅人 巻五 八五〇)

 

≪書き下し≫雪の色を奪(うば)ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも

 

(訳)雪の色を奪うかのようにまっ白に咲いている梅、この花は今が花盛りだ。ともに見る人があればいいのに。(同上)

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

(注の注)見む人もがも:二年前に亡くした妻のことを思い浮かべている。

 

 

◆和我夜度尓 左加里尓散家留 宇梅能波奈 知流倍久奈里奴 美牟必登聞我母

                  (大伴旅人 巻五 八五一)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどに盛(さか)りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも

 

(訳)この我が家の庭にいっぱい咲き誇っている梅の花、この花は今にも散りそうだ。ともに見る人がいればいいのに。(同上)

 

 

◆烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈等阿例母布 左氣尓于可倍許曽 <一云 伊多豆良尓 阿例乎知良須奈 左氣尓宇可倍許曽>

                  (大伴旅人 巻五 八五二)

 

≪書き下し≫梅の花夢(いめ)に語らくみやびたる花と我(わ)れ思(も)ふ酒に浮(う)かべこそ<一には「いたづらに我(あ)れを散らすな酒に浮べこそ」といふ>

 

(訳)梅の花が夢の中でこう語った。“私は風雅な花だと自負しています。どうか酒の上に浮かべて下さい”と。<“むなしく私を散らさないでほしい。どうか酒の上に浮かべて下さい”と>

(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)

 

 八五二歌の「梅の花夢(いめ)に語らく」とか、八一〇、八一一歌に添えた書簡の「この琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて日(い)はく」とか言った文言は、現実逃避の夢想の世界に遊ぶ感が否めない。それほどまでに旅人を強く襲った孤独感、老いの現実、そしてより一層高まる望郷の念。

 確固たる己があるから、逆にこのような歌を吐露するのであろう。こういった二面性が旅人の魅力でもある。

 

 八一、八一一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1160)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 旅人の二面性に関連した歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その921)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「奈良時代に中国から九州大宰府漢方薬の『烏梅(ウバイ)』として伝わり、奈良の都にもたらされて宮廷や豪族の邸宅に植えられた落葉高木。松・竹と共に『歳寒の三友』と呼び、極めてめでたい慶事用植物とされる。(中略)万葉歌中の梅は『白梅』で、平安貴族に好まれた『紅梅』は後に渡来。」と書かれている。

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「ウメ」 「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HPより引用させていただきました。)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)