万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2586の4)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名(大伴旅人 5-871)」、「我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(大伴旅人 3-331)」、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため(大伴旅人 3-334)」、「しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(大伴旅人    6-969)」他である。

 

「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「大伴旅人」を読み進んでいこう。

「祖先の英雄大伴佐提比古(さでひこ)の征韓の船を見送って領巾(ひれ)を振ったという佐用姫の伝説を取り上げた旅人の気持には、引きかえてあまりにもいたましい現実の大伴氏の姿があったのではないか。『万代(よろづよ)に語り継(つ)げ』と領巾を振ったのかと、旅人はいう。大伴氏栄光の日のロマンを、万代に忘れがたいものとしたいのである。しかしこの五首の中四首までに『けむ』『けらし』という過去推量の言葉が用いられている。過去は結局過去でしかなかったことも、旅人は知っていたのだった。」(同著)

 松浦佐用姫(まつらさよひめ)の歌(巻五、八七一~八七五。ただし全部が旅人の作かどうかは不明)をみてみよう。

 

■■巻五、八七一~八七五歌■■

■巻五、八七一歌■

題詞は、「大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦<佐用嬪面> 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝黯然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰」<大伴佐提比古郎子(おほとものさでひこのいらつこ)、ひとり朝命を被(かがふ)り、使(つかひ)を藩国(はんこく)に奉(うけたま)はる。 艤棹(ふなよそひ)してここに帰(ゆ)き、やくやくに蒼波(そうは)に赴(おもぶ)く。 妾(せふ)松浦(まつら)<佐用姫> 、この別れの易(やす)きことを嗟(なげ)き、その会(あ)ひの難(かた)きことを歎(なげ)く。すなはち高き山の嶺(みね)に登り、離(さ)り去(ゆ)く船を遥望(えうぼう)し、悵然(ちやうぜん)肝(きも)を断(た)ち、黯然(あんぜん)魂(たま)を銷(け)つ。つひに領巾(ひれ)を脱(ぬ)きて麾(ふ)る。 傍(かたはら)の者(ひと)涕(なみた)を流さずといふことなし。 よりて、この山を号(なづ)けて、領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)といふ。 すなはち歌を作りて曰はく。

 

(前文訳)大伴佐提比古郎子(おほとものさでひこのいらつこ)、この人はとくに朝廷の命を受けて、御国(みくに)の守りに任那(みなま)に使いすることになった。船装いをして出発し、次第次第に青海原へと進んで行った。ここに、妾(つま)の松浦佐用姫(まつらさよひめ)は、かくも別れのたやすいことを嘆き、かくも逢うことの難しいことを悲しんだ。そこで高い山の嶺(みね)に登り、遠ざかって行く船を遥(はる)かに見やり、悲しに肝も絶え、苦しさに魂も消える思いであった。ついにたまらず領巾(ひれ)を手に取って振った。それを見て、傍らの人は挙(こぞ)って泣いた。これによって、この山を名づけて「領巾振の嶺」と呼ぶようになったという。そこで作った歌。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)大伴佐提比古郎子:宣化紀(せんかき)に、大伴狭手彦が父金村と共に新羅遠征のため渡海したとある。「郎子」は若い男子の称。(伊藤脚注)

(注)蕃国:日本の守りとなる国。(伊藤脚注)

(注の注)ばんこく【蛮国/蕃国】:①未開の国。②外国。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)そうは【蒼波】:あおい波。蒼浪。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ちやうぜん【悵然】[文][形動]:悲しみ嘆くさま。がっかりしてうちひしがれるさま。weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)黯然:眼前が真っ暗になるさま。(伊藤脚注)

 

◆得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈

       (大伴旅人 巻五 八七一)

 

≪書き下し≫遠つ人松浦佐用姫夫恋(つまご)ひに領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名

 

(訳)遠くにいる人を待つという名の松浦佐用姫が夫恋しさに領巾を振ったその時から、名づけられた名である。この山の名は。(同上)

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。「とほつひと松の」。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)ここでは①の意

 

 

 

■巻五 八七二歌■

題詞は、「後人追和」<後人の追和>である。

(注)実作者は大宰府某官人であろう。旅人作と見る説もある。(伊藤脚注)

 

◆夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家牟

       (大伴旅人? 巻五 八七二)

 

≪書き下し≫山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領巾(ひれ)を振りけむ

 

(訳)のちの世の人びとも山の名として言い継ぎにせよというつもりで、佐用姫はこの山の上で領巾を振ったのであろうか。(同上)

(注)とか 分類連語:①〔(文中にあって)不確定な推量を表す〕…と…であろうか。②〔(文末にあって)伝聞を表す〕…とかいうことだ。 ⇒なりたち:格助詞「と」+係助詞「か」(学研)ここでは①の意

 

 

 

■巻五 八七三歌■

題詞は、「最後人追和」<最後人(さいこうじん)追和>である。

(注)最後人:前歌の作者とは別の大宰府官人らしい。(伊藤脚注)

 

◆余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面

       (大伴旅人? 巻五 八七三)

 

≪書き下し≫万世(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領巾振りけらし松浦佐用姫

 

(訳)万代の後までも語り継ぎにせよとて、この山の嶺で領巾を振ったものらしい。松浦佐用姫は。(同上)

 

 

 

■■巻五 八七四・八七五歌■■

題詞は、「最ゝ後人追和二首」<最最後人(さいさいこうじん)の追和二首>である。

(注)廻り持ちで詠まれた八七一~八七三が最最後人に廻されて閉じられる。以下八八二まで、作者は憶良らしい。この部分に限り歌数の明記がある。(伊藤脚注)

 

■巻五 八七四歌■

◆宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣

       (大伴旅人? 巻五 八七四)

 

≪書き下し≫海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫(まつらさよひめ)

 

(訳)海原の沖を遠ざかって行く船、その船に、戻って戻ってと領巾を振られたのであろうか。松浦佐用姫は。(同上)

(注)沖行く船を帰れ:沖行く船よ帰れ。ヲは格助詞だが詠嘆もこもる。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻五 八七五歌■

◆由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯苦阿利家武 麻都良佐欲比賣

       (大伴旅人? 巻五 八七五)

 

≪書き下し≫行く船を振り留(とど)みかねいかばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫

 

(訳)遠ざかって行く船、その船を領巾で振り留めきれずに、どんなに切なかったことであろうか。松浦佐用姫は。(同上)

 

 

 

 「そして、この寂寥(せきりょう)をいやすものは都に帰ることしかない。望郷の念はここに生ずる。『平城(なら)の京師(みやこ)』を思う(巻三、三三一)と同時に、旅人は香具山を思い(巻三、三三四)、また後には平城の都にあって故郷飛鳥の神名火(かんなび)の淵や来栖(くるす)の小野を思っている(巻六、九六九・九七〇)。その子家持も越中にあって同様の思いを抱いたが、それはただ一つ、奈良の都だった。その父旅人には、なお飛鳥への思慕が生きていた。大和への思慕が彼の寂寥をなぐさめたのであった。」(同著)

 

 三三一・三三四歌を含む「帥大伴卿が歌五首」をみてみよう。

■■巻三 三三一~三三五歌■■

題詞は、「帥大伴卿歌五首」<帥大伴卿(そちおほとものまえつきみ)が歌五首>である。

 

■巻三 三三一歌■

◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成

        (大伴旅人 巻三 三三一)

 

≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

 

(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない。ひょっとして、奈良の都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(同上)

(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ➡語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)

 

 

 

■巻三 三三二歌■

◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為

        (大伴旅人 巻三 三三二)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)も常にあらぬか昔見し象(さき)の小川(をがは)を行きて見むため

 

(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川、あの清らかな流れを、もう一度行ってみるために。(同上)

(注)昔見し:前歌で四綱の歌に答え終り、以下、吉野・明日香への望郷に主題を移す。(伊藤脚注)

(注)象の小川(きさのおがわ)については、奈良県吉野町HP「記紀万葉」に次のように書かれている。「象の小川(きさのおがわ):喜佐谷の杉木立のなかを流れる渓流で、やまとの水31選のひとつ。吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ流れがこの川となって、吉野川に注ぎます。万葉集歌人大伴旅人もその清々しさを歌に詠んでいます。」

 

 

 

■巻三 三三三歌■

◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞

        (大伴旅人 巻三 三三三)

 

≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも

 

(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと想い出される。(同上)

(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる(学研)

(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。(学研)

 

 

 

■巻三 三三四歌■

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

        (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付(つ)く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)忘れ草:萱草。憂いを忘れるとされた。(伊藤脚注)

(注)香具山以下二句、前歌の第四句を承ける。(伊藤脚注)

 

 

太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(大伴旅人 3-334) 20201117撮影

 

 

 

■巻三 三三五歌■

◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛

        (大伴旅人 巻三 三三五)

 

≪書き下し≫我(わ)が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にはならずて淵(ふち)にしありこそ

 

(訳)私の筑紫在住はそんなに長くはあるまい。あの吉野の夢のわだよ。浅瀬なんかにならず深い淵のままであっておくれ。(同上)

(注)夢のわだ瀬:象川が吉野川に注ぐ所か。三三二の「象の小川」を承ける。(伊藤脚注)

(注)わだ【曲】名詞:入り江など、曲がった地形の所。(学研)

 

 三三一~三三五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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巻六、九六九・九七〇をみてみよう。

■■巻六 九六九・九七〇歌■■

題詞は、「三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首」<三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首>である。

 

■巻六 九六九歌■

◆須臾 去而見壮鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武

      (大伴旅人 巻六 九六九)

 

≪書き下し≫しましくも行きて見てしか神(かむ)なびの淵(ふち)はあせにて瀬にかなるらむ

 

(訳)ほんのちょっとの間だけでも行ってみたいものだ。神なびの川の淵は、浅くなって、背になっているのではなかろうか。(伊藤脚注)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)神なびの淵:橘寺南東のミハ山か。この山に沿って飛鳥川が流れる。(伊藤脚注)

(注)あす【浅す・褪す】自動詞:①(海・川・池などが)浅くなる。干上がる。②(色が)さめる。あせる。③(勢いが)衰える。(学研)ここでは①の意

(注)天平三年:731年。旅人はこの秋七月二十五日に他界。年六七。(伊藤脚注)

(注)故郷:明日香古京。旅人が生まれ、三〇歳になるまで過ごした地。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻六 九七〇歌■

◆指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六

       (大伴旅人 巻六 九七〇)

 

≪書き下し≫さすすみの栗栖(くるす)の小野(をの)の萩(はぎ)の花散らむ時にし行きて手向(たむ)けむ

 

(訳)来栖の小野の萩の花、その花が散る頃には、きっと出かけて行って神祭りをしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ささすみの:「来栖」の枕詞。墨縄を繰り寄せる意か。(伊藤脚注)

(注)来栖:そこに生まれ育った者だけが知っている明日香の小地名であろう。(伊藤脚注)

(注)萩:旅人が死のまぎわまで関心を寄せた花。(伊藤脚注)

(注)手向けむ:神に幣を捧げて願い事をしよう。(伊藤脚注)

 

 九六九・九七〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2518)」で紹介している。

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茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(大伴旅人 6-970) 20230927撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「奈良県吉野町HP」