●歌は、「しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「沙弥満誓詠綿歌一首 造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也」<沙弥満誓(さみまんぜい)、綿(わた)を詠(よ)む歌一首 造筑紫觀音寺別当、俗姓は笠朝臣麻呂なり>
(注)べったう【別当】名詞:①朝廷の特殊な役所である、検非違使庁(けびいしちよう)・蔵人所(くろうどどころ)・絵所・作物所(つくもどころ)などの長官。②院・親王家・摂関家・大臣家などで、政所(まんどころ)の長官。③東大寺・興福寺・法隆寺などの大寺で、寺務を総括する最高責任者。 ※もと、本官のある者が別の職を兼務する意。「べたう」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典より)
◆白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見
(沙弥満誓 巻三 三三六)
≪書き下し≫しらぬひ筑紫(つくし)の綿(わた)は身に付けていまだは着(き)ねど暖(あたた)けく見ゆ
(訳)しらぬひ筑紫、この地に産する綿は、まだ肌身に付けて着たことはありませんが、いかにも暖かそうで見事なものです。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)
(注)筑紫も捨てたものではないと私見を述べている。
この歌は、三二五から三三七歌の歌群の一首で、小野老が従五位になったことを契機とする宴席の歌のようである。この歌群の歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(506)」で紹介している。
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太宰府観光協会HPに、観世音寺に関して、「日本最古の梵鐘がある西日本一の寺
天智天皇が母斉明天皇の冥福を祈るために発願。80年の歳月をかけて壮大な伽藍が完成。九州の寺院をまとめる『府大寺』として栄えた」と書かれている。
沙弥満誓については、コトバンク 世界大百科事典 第2版に「万葉歌人。生没年不詳。俗名笠朝臣麻呂。和銅年間美濃守として政績を賞せられ,また木曾道を開き,養老年間按察使(あぜち)として尾張・三河・信濃3国を管し,右大弁を経,元明上皇病臥に際して出家,723年(養老7)造筑紫観世音寺別当として西下,大宰帥大伴旅人らと交わり,人間味豊かな短歌7首を《万葉集》にとどめた。(後略)」と記されている。
他の六首をみてみよう。
「梅花の歌三十二首」の一首
◆阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能ゝ知波 知利奴得母與斯 [笠沙弥]
(笠沙弥 巻八 八二一)
≪書き下し≫青柳(あをやなぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬとも良し [笠沙弥(かさのさみ)]
(訳)青柳に梅の花を手折りかざして、相ともに飲んだその後なら、散ってしまってもかまわない。(同上)
(注)笠沙弥:沙弥満誓のこと
題詞は、「造筑紫觀世音寺別當沙弥満誓歌一首」<造(ぞう)筑紫(つくし)觀世音寺(くわんぜおんじ)別当(べつたう)沙弥満誓が歌一首>であう。
◆鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐歸都 安多良船材乎
(沙弥満誓 巻三 三九一)
≪書き下し≫鳥総(ちぶさ)立て足柄山(あしがらやま)に船木(ふなぎ)伐(き)り木に伐り行きつあたら船木を
(訳)鳥総を立てて、足柄山で、船に使える良い木を伐りも伐って、そう、あの男め、なんでもない木として伐って行きおった。むざむざと伐るにはもったいない木だったのに。
(注)とぶさ【鳥総】名詞:樹木の梢(こずえ)や葉の茂った枝先。きこりが木を切ったときに、これを折って、切った跡へ立てて山神を祭る習慣があった。(学研)
(注)足柄山:箱根・足柄の山々。船材の産地として著名。
(注)「船木」は、評判の美女の譬え。
(注)下二句は、人妻になった喩え。
題詞は、「満誓沙弥月歌一首」<満誓沙弥が月の歌一首>である。
◆不所見十方 孰不戀有米 山之末尓 射狭夜歴月乎 外見而思香
(沙弥満誓 巻三 三九三)
≪書き下し≫見えずとも誰(た)れ恋ひざらめ山の端(は)にいさよふ月を外(よそ)に見てしか
(訳)眼にみえないにしても、誰が月に心惹かれないでいられよう。山の端あたりに出かねている月、その月をよそながらにも是非見たいものだ。(同上)
(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)
(注)いさよふ月:深窓の女性の譬え。
題詞は、「沙弥満誓歌一首」<沙弥満誓が歌一首である>
◆世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
(沙弥満誓 巻三 三五一)
≪書き下し≫世間(よのなか)を何(なに)に譬(たと)へむ朝開(あさびら)き漕(こ)ぎ去(い)にし船の跡なきごとし
(訳)世の中、これをいかなる物に譬えたらよいだろうか。それは、朝早く港を漕ぎ出て消え去って行った船の、その跡方が何もないようなものなのだ。(同上)
(注)あさびらき【朝開き】名詞:船が朝になって漕(こ)ぎ出すこと。朝の船出。(学研)
この歌は、旅人の「讃酒歌十三首」に続いて収録されている。讃酒歌を承けて詠んだと考えられる。
林田正男氏は、「大伴旅人―人と作品」(中西 進 編 祥伝社新書)のなかで、三五一歌について、「古来、仏教的無常観を詠んだ歌として著名である。それが、讃酒歌の直後に位置すること。旅人と満誓は親しい関係にあった。(梅花宴 巻五 八二一 旅人との贈答 巻四 五七二-五七五)。さらに伊藤説のように、『世間』の語の使用」等をあげ、讃酒歌が披露されたが故に詠まれた歌であるとされている。<(注)伊藤説とは、伊藤 博氏が三五一歌について言及された考え>
次の二首は、題詞「大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首」<大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓、卿に贈る歌二首>の歌である。
◆真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕尓 左備乍将居
(沙弥満誓 巻四 五七二)
≪書き下し≫まそ鏡見飽(みあ)かぬ君に後(おく)れてや朝(あした)夕(ゆうへ)にさびつつ居(を)らむ
(訳)いくらお逢(あ)いしても見飽きることのない君に取り残されて、何ともまあ不思議なほど、朝に夕にさびしい気持ちを抱き続けていることでございます。(同上)
(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)
(注)さぶ【荒ぶ・寂ぶ】自動詞:荒れた気持ちになる。(学研)
◆野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来
(沙弥満誓 巻四 五七三)
≪書き下し≫ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢(あ)ふ時ありけり
(訳)黒髪が変わって真っ白になる年になっても、こんなに恋にさいなまれることもあるものなのですね。(同上)
五七二、五七三歌は、女の恋歌のような歌に仕立てている。
この二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(916)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 世界大百科事典 第2版」