万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その919)―太宰府市観世音寺 太宰府市役所―万葉集 巻八 八一八

●歌は、「春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ」である。

 

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太宰府市役所万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、太宰府市観世音寺 太宰府市役所にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武  [筑前守山上大夫]

                (山上憶良 巻八 八一八)

 

≪書き下し≫春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ [筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上大夫(やまのうへのまへつきみ)]

 

(訳)春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(902)」で紹介している。

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歌の解説案内板

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太宰府市役所

 

 山上憶良に関しては、これまでも旅人との関係や独自の歌風等に触れて来た。

 大伴家持は、年少の頃、大宰府で父旅人を介して、憶良の人となり、歌風等には接しており、このことが後々いろいろな面で強い影響を受けていたと考えられる。

 本稿では、大伴家持が憶良の歌を追和しているので、それらを取り上げてみる。

(注)追和(読み)ついわ 〘名〙: 前人をしのんだり、志を継承したりして、その歌や詩を受けて、歌を詠んだり、和韻したりすること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 巻十九 四一六〇から四一六三歌がそれである。順にみてみよう。

 

題詞は、「悲世間無常歌一首幷短歌」<世間(よのなか)の無常を悲しぶる歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)憶良の八〇四、八〇五歌を踏まえる歌である。

 

◆天地之 遠始欲 俗中波 常無毛能等 語續 奈我良倍伎多礼 天原 振左氣見婆 照月毛 盈▼之家里 安之比奇能 山之木末毛 春去婆 花開尓保比 秋都氣婆 露霜負而 風交 毛美知落家利 宇都勢美母 如是能未奈良之 紅能 伊呂母宇都呂比 奴婆多麻能 黒髪變 朝之咲 暮加波良比 吹風能 見要奴我其登久 逝水能 登麻良奴其等久 常毛奈久 宇都呂布見者 尓波多豆美 流渧 等騰米可祢都

    ▼は「呉」の「口のところが日」である。「盈▼」で「みちかけ」

               (大伴家持 巻十九 四一六〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の 遠き初めよ 世間(よのなか)は 常なきものと 語り継(つ)ぎ 流らへ来(きた)れ 天(あま)の原(はら) 振り放(さ)け見れば 照る月も 満ち欠(か)けしけり あしひきの 山の木末(こねれ)も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜(つゆしも)負(を)ひて 風交(まじ)り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅(くれなゐ)の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変(かは)り 朝の咲(ゑ)み 夕(ゆふへ)変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止(と)まらぬごとく

常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙(なみた) 留(とど)めかねつも

 

(訳)天地の始まった遠き遥かなる時代の初めから、この俗世は常無きものだと、語り継ぎ言い伝えてきたものだが・・・。そのとおり、天空遠く振り仰いで見ると、照る月も満ちたり欠けたりしてきた。山々の梢(こずえ)も、春が来ると花は咲き匂うものの、秋ともなれば、冷たい露を浴びて、風交じりに色づいた葉がはかなく散る。この世の人の身もみんなこれと同じでしかないらしい。まさに、紅(くれない)の頬もたちまち色褪(あ)せ、黒々とした髪もまっ白に変わり、朝の笑顔も夕方には消え失せ、吹く風が見えないように、流れ行く水が止まらないように、あっけなく物すべてが移り変わって行くのを見ると、にわだずみではないが、溢(あふ)れ流れる涙は、止めようにも止めるすべがない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ながらふ 自動詞:(一)【流らふ】流れ続ける。静かに降り続ける。 ※上代語。

(二)【永らふ・長らふ・存らふ】①ずうっと続く。長続きする。②長生きする。生きながらえる。 ⇒参考 下二段動詞の「流る」に反復継続の意を表す上代の助動詞「ふ」の付いたものかという。「ふ」は、ふつう四段動詞に付いて四段に活用するが、下二段動詞に付いて下二段に活用するのは異例のことである。なお、(一)と(二)をまったくの別語と見る説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にはたづみ【行潦・庭潦】分類枕詞:地上にたまった水が流れることから「流る」「行く」「川」にかかる。(学研)

 

 

◆言等波奴 木尚春開 秋都氣婆 毛美知遅良久波 常乎奈美許曽 <一云 常无牟等曾>

               (大伴家持 巻十九 四一六一)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散(ぢ)らくは常(つね)をなみこそ <一には「常なけむとぞ」といふ>

 

(訳)物言わぬ木でさえ、春は花が咲き、秋ともなれば色づいて散るのは、物なべて常というものがないからなのだ。<物なべて、常にありようがないということなのだ>(同上)

(注)常をなみこそ:世間無常の姿なのだ。長歌の前半を受ける。

 

 

◆宇都世美能 常无見者 世間尓 情都氣受弖 念日曽於保伎 <一云 嘆日曽於保吉>

              (大伴家持 巻十九 四一六二)

 

≪書き下し≫うつせみの常なき見れば世間(よのなか)に心つけずて思ふ日ぞ多き <一には、「嘆く日ぞ多き」といふ>

 

(訳)この世の人の身常とてないのを見ると、こんな無常な世に心をかかわらせないでいたい、だが、物思いに耽(ふけ)る日ばかりが重なる。<嘆く日ばかりが重なる>(同上)

(注)心つけづて:心を打ちこまないでいたいのに。長歌の後半を受けている。

 

 家持の無常感がにじみ出る歌は「春愁三歌」と呼ばれるものである。

 これについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(551、831)」で紹介している。

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 次をみてみよう。

 

題詞は、「豫作七夕歌一首」<予(あらかじ)め作る七夕(しちせき)の歌一首>である。

 

◆妹之袖 和礼枕可牟 河湍尓 霧多知和多礼 左欲布氣奴刀尓

               (大伴家持 巻十九 四一六三)

 

≪書き下し≫妹(いも)が袖(そで)我れ枕(まくら)かむ川の瀬に霧(きり)立ちわたれさ夜更(よふ)けぬとに

 

(訳)あのいとしい人の袖、その袖を私は枕にして寝よう。川の渡り瀬に、霧よ一面に立ち渡っておくれ。夜が深くなってしまわないうちに。(同上)

(注)世更けぬとに:世更けてしまわぬうちに。夜霧にまぎれて一刻も早く織女のもとへ行きたいという心か。「と」は外。

(注)憶良の一五二七歌を心に置く歌。

 

 憶良の一五二七歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その913)」で紹介している。

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次の、題詞は、「慕振勇士之名歌一首并短歌」<勇士の名を振(ふ)るはむることを慕(ねが)ふ歌一首并(あわ)せて短歌>である。

 

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

               (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)さし【差し】接頭語:動詞に付いて、意味を強めたり語調を整えたりする。「さし仰(あふ)ぐ」「さし曇る」(学研)

(注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

 

短歌の方もみてみよう。

 

◆大夫者 名乎之立倍之 後代尓 聞継人毛 可多里都具我祢

              (大伴家持 巻十九 四一六五)

 

≪書き下し≫ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね

 

(訳)ますらおたる者は、名を立てなければならない。のちの世に聞き継ぐ人も、ずっと語り伝えてくれるように。(同上)

 

左注は、「右二首追和山上憶良臣作歌」<右の二首は、追和山上憶良臣(やまのうえのおくらのおみ)が作る歌に追(お)ひて和(こた)ふ>である。

(注)憶良の九七八歌に追和する歌である。

 

 四一六四、四一六五歌ならびに憶良の九七八歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(607)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市