●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。
●歌をみてみよう。
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」
≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
四一三九、四一四〇歌の題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」<天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺曯(なが)めて作る歌二首>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その825)」で高岡万葉館の家持と大嬢のブロンズ像とともに紹介している。
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石清水八幡宮のHPに「祭神:應神天皇・仲哀天皇・神功皇后 創建:天平11年(798年)8月15日 九州宇佐八幡宮より別御霊を御勧請申上げ時の変轉あるも、御神禮は当時のまま奉安申上げ現在に至る。」と書かれている。
歌碑は、同神社の境内分社「謡乃神社」の脇にある。「謡乃神社」の謂れなど調べようとするも「カラオケ神社」とも言われているやの文言が飛び込んでくる。
これには、家持もびっくりであろう。
巻十九について、四一三九、四一四〇歌の題詞の脚注において、伊藤 博氏は、「巻十九は、この年(天平勝宝二年<750年>)三月から天平勝宝五年二月までの歌を収める。家持が自信を誇った歌巻で、末四巻は巻十九を核にしつつ成立したらしい。」と書かれ、さらに、四一三九歌の脚注で「二日の歌四一七四歌まで一まとまりで、巻十九の巻頭歌群。」と書かれている。
天平勝宝元年(749年)六月から同二年二月中旬の間のある時期に家持の妻の坂上大嬢が越中に来たのではないかと言われている。
翌年には都に帰れるという気持ちと妻が越中にやってきたことで心の充実感が相乗効果となって、「苦労や苦悩というものとは全く別の世界の美のピークを作り出した」(犬養孝 著「万葉の人びと(新潮文庫)」のである。
越中生活も見方を変えれば、都での権力争いの苦悩から好むと好まらずとにかかわらず、離れていたことも大きな要因であったと考えられる。
「巻十九の巻頭歌群」に加え三月三日の歌まで加えると、四一三九から四一五三歌、十五首も作っているのである。
四一四〇から四一五三歌を改めてみてみよう。<ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その819)」では、書き下しを紹介している。>
■四一四〇歌■
◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母
(大伴家持 巻十九 四一四〇)
≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも
(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(同上)
(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(学研)<はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その497)」で紹介している。
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■四一四一歌■
題詞は、「見飜翔鴫作歌一首」<飜(と)び翔(かけ)る鴫(しぎ)を見て作る歌一首>である。
◆春儲而 物悲尓 三更而 羽振鳴志藝 誰田尓加須牟
(大伴家持 巻十九 四一四一)
≪書き下し≫春まけてもの悲(がな)しきにさ夜(よ)更(ふ)けて羽振(はぶ)き鳴く鴫(しぎ)誰が田にか棲(す)む
(訳)春を待ちうけて物悲しい気分のする折も折、夜も更けてから、羽ばたきして鳴く鴨、あれは誰の田んぼに心を残してまだ棲みついているのか。(同上)
(注)春まけて:季節が春になって、という意味(weblio辞書 季語・季題辞典)
■四一四二歌■
題詞は、「二日攀柳黛思京師歌一首」<二日に、柳黛(りうたい)を攀(よ)ぢて京師(みやこ)を思ふ歌一首>である。
(注)りうたい【柳黛】〘名〙: (「黛」は眉墨) 柳の葉のように細く美しい眉。柳眉(りゅうび)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
◆春日尓 張流柳乎 取持而 見者京之 大路所念
(大伴家持 巻十九 四一四二)
≪書き下し≫春の日に萌(は)れる柳を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ
(訳)春の昼日中(ひるひなか)に、芽吹いている柳の枝を、手に取り持って、しげしげ見ると、奈良の都の大路がまざまざと思いだされる。(同上)
■四一四三歌■
題詞は、「攀折堅香子草花歌一首」<堅香子草(かたかご)の花を攀ぢ折る歌一首>である。
◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(同上)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)
■四一四四歌■
四一四四、四一四五歌の 題詞は、「見歸鴈歌二首」<帰雁(きがん)を見る歌二首>である。
◆燕来 時尓成奴等 鴈之鳴者 本郷思都追 雲隠喧
(大伴家持 巻十九 四一四四)
≪書き下し≫燕(つばめ)来(く)る時になりぬと雁(かり)がねは国偲ひつつ雲隠(くもがく)り鳴く
(訳)燕がやって来る時節になったと、雁は遠くの故郷を偲(しの)びながら、雲隠れに鳴き渡って行く。(同上)
(注)来燕と帰雁は漢詩に多い取り合わせ。次歌と共に、越中を去る雁への感慨。(伊藤脚注)
■四一四五歌■
◆春設而 如此歸等母 秋風尓 黄葉山乎 不超来有米也 <一云 春去者 歸此鴈>
(大伴家持 巻十九 四一四五)
≪書き下し≫春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来(こ)ずあらめや<一には「春されば帰るこの雁」といふ>
(訳)春を待ちうけてこのように帰って行っても、やがて吹く秋風にもみじする山、その山を越えてまたここに来ないことがあろうか。<春になると帰って行く雁、この雁も>(同上)
(注)もみづ【紅葉づ・黄葉づ】自動詞:紅葉・黄葉する。もみじする。 ※上代は「もみつ」。(学研)
■四一四六歌■
四一四六,四一四七歌の題詞は、「夜裏聞千鳥喧歌二首」<夜裏に千鳥の喧(な)くを聞く歌二首>である。
◆夜具多知尓 寐覺而居者 河瀬尋 情毛之努尓 鳴知等理賀毛
(大伴家持 巻十九 四一四六)
≪書き下し≫夜(よ)ぐたちに寝覚(ねざ)めて居(を)れば川瀬(かわせ)尋(と)め心もしのに鳴く千鳥かも
(訳)夜中過ぎに眠れずにいると、川の浅瀬伝いに、我が心もうちしおれるばかりに鳴く千鳥よ、ああ。(同上)
(注)よぐたち【夜降ち】:夜がふけること。また、その時刻。夜ふけ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■四一四七歌■
◆夜降而 鳴河波知登里 宇倍之許曽 昔人母 之努比来尓家礼
(大伴家持 巻十九 四一四七)
≪書き下し≫夜(よ)くたちて鳴く川千鳥(かはちどり)うべしこそ昔の人も思(しの)ひきにけれ
(訳)夜中過ぎになって鳴く川千鳥よ、なるほどもっともなことだ、昔の人もこの声のせつなさに心引かれてきたのは。(同上)
■四一四八歌■
題詞は、「聞暁鳴▼歌二首」<暁(あかとき)に鳴く雉(きざし)を聞く歌二首>である。
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
(注)きじ【雉・雉子】名詞:鳥の名。「きぎし」「きぎす」とも。(学研)
◆椙野尓 左乎騰流▼ 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母
(大伴家持 巻十九 四一四八)
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
≪書き下し≫杉(すぎ)の野にさ躍(おど)る雉(きざし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)杉林の野で鳴き立てて騒いでいる雉(きざし)よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(同上)
(注)をどる【踊る・躍る】自動詞:飛び跳ねる。跳ね上がる。はやく動く。(学研)
(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語
>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考 古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は頭語。(学研)
(注)こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)
■四一四九歌■
◆足引之 八峯之▼ 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母
(大伴家持 巻十九 四一四九)
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
≪書き下し≫あしひきの八(や)つ峰(を)の雉(きざし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞(かすみ)見れば悲しも
(訳)あちこちの峰々の雉、その雉が鳴き立てる明け方の霞、この霞を見るとやたらと悲しい思いにかきたてられる。(同上)
(注)あしひきの【足引きの】分類枕詞:「山」「峰(を)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。 ※中古以後は「あしびきの」とも。(学研)
四一四八、四一四九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その845)」で紹介している。
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■四一五〇歌■
題詞は、「遥聞泝江船人之唱歌一首」<遥(はる)かに、江(こう)を泝(さかのぼ)る舟人(ふなびと)の唱(うた)ふを聞く歌一首>である。
◆朝床尓 聞者遥之 射水河 朝己藝思都追 唱船人
(大伴家持 巻十九 四一五〇)
<書き下し>朝床(あさとこ)に聞けば遥けし射水川(いみずかは)朝漕(こ)ぎしつつ唄(うた)ふ舟人
(訳)朝床の中で耳を澄ますと遠く遥かに聞こえて来る。射水川、この川を朝漕ぎして泝(さかのぼ)りながら唱(うた)う舟人の声が。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その819)」で紹介している。
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■四一五一歌■
題詞は、「三日守大伴宿祢家持之舘宴歌三首」<三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首>である。
◆今日之為等 思標之 足引乃 峯上之櫻 如此開尓家里
(大伴家持 巻十九 四一五一)
≪書き下し≫今日(けふ)のためと思ひて標(し)めしあしひきの峰(を)の上(うえ)の桜かく咲きにけり
(訳)今日の宴のためと思って私が特に押さえておいた山の峰の桜、その桜は、こんなに見事に咲きました。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しるす【標す】他動詞:目印とする。(学研)
■四一五二歌■
◆奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒
(大伴家持 巻十九 四一五二)
≪書き下し≫奥山の八(や)つ峰(を)の椿(つばき)つばらかに今日は暮らさねますらをの伴(とも)
(訳)奥山のあちこちの峰に咲く椿、その名のようにつばらかに心ゆくまで、今日一日は過ごしてください。お集まりのますらおたちよ。(同上)
(注)上二句は序。「つばらかに」を起こす。(伊藤脚注)
(注)やつを【八つ峰】名詞:多くの峰。重なりあった山々。(学研)
(注)つばらかなり 「か」は接尾語>つばらなり【委曲なり】形容動詞:詳しい。十分だ。存分だ。(学研)
■四一五三歌■
◆漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽和我勢故 花縵世奈
(大伴家持 巻十九 四一五三)
≪書き下し≫漢人(からひと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶといふ今日ぞ我が背子(せこ)花(はな)かづらせな
(訳)唐の国の人も筏を浮かべて遊ぶという今日この日なのです。さあ皆さん、花縵(はなかずら)をかざして楽しく遊ぼうではありませんか。(同上)
四一五一歌から四一五三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その827)」で紹介している。
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家持の生涯の歌は四百八十五首あるが、越中で作られた歌は二百二十首と半数に近い。その中でもこの三日間で十五首も作られているのである。充実ぶりがうかがわれるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「石清水八幡宮HP」