万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その844)―高岡市伏木古府 「氣多神社口」交差点―万葉集 巻十七 三九四三

●歌は、「秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折い来るをみなへしかも」である。

 

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「氣多神社口」交差点万葉歌碑(大伴家持

 

●歌碑は、高岡市伏木古府 交差点にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三九四三から三九五五歌の歌群の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である

 

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

               (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折(たお)り来(く)るをみなへしかも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻(みまわ)りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね。この女郎花(おみなえし)は。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:客をさす。大伴池主か。

(注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たをる【手折る】他動詞:手で折り取る。(学研)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作」<右の一首は。守大伴宿禰家持作る>である。

 

 家持が都を出発して一か月後ぐらいに、越中に赴任してほどなく家持を歓迎する宴が開かれたのである。この歌群の歌は、その折の歌である。越中歌壇発足の宴と言っても過言ではない。

 

他の歌をすべてみてみよう。

 

◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

              (大伴池主 巻十七 三九四四)

 

≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ

 

(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(同上)

(注)たもとほる【徘徊る】自動詞:行ったり来たりする。歩き回る。 ※「た」は接頭語。上代語。(学研)

 

 「をみなえし」は万葉びとに好まれ「女郎花」、「娘部志」、「美人部師」と書かれている。いずれも美しい少女をイメージさせている。

 

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

               (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着むよしもがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖(そで)、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

 

◆保登等藝須 奈伎氐須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓

               (大伴池主 巻十七 三九四六)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴きて過ぎにし岡(をか)びから秋風吹きぬよしもあらなくに

 

(訳)時鳥が鳴き声だけ残して飛び去ってしまった岡のあたりから、秋風が寒々と吹いてくる。あの子の袖を重ねる手だてもありはしないのに。(同上)

(注)をかび【岡傍】名詞:「をかべ」に同じ。 ※「び」は接尾語。(学研)

(注)よし【由】名詞:手段。方法。手だて。(学研)

 

左注は、「右三首掾大伴宿祢池主作」<右の三首は、掾(じよう)大伴宿禰池主作る>である。

 

◆家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

               (大伴家持 巻十七 三九四七)

 

≪書き下し≫今朝(けさ)の朝明(あさけ)秋風寒し遠(とほ)つ人雁(かり)が来鳴かむ時近みかも

 

(訳)「秋の夜は暁寒し」との仰せ、たしかに今朝の夜明けは秋風が冷たい。遠来の客、雁が来て鳴く時が近いせいであろうか。(同上)

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)

 

◆安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓

                (大伴家持 巻十七 三九四八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)に月経(へ)ぬしかれども結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解(と)きも開(あ)けなくに

 

(訳)都離れたこの遠い鄙の地に来てから、月も変わった。けれども、都の妻が結んでくれた着物の紐、この紐を解き開けたことなどありはしない・・・。(同上)

 

左注は、「右二首守大伴宿祢家持作」<右の二首は、守大伴宿禰家持作る>である。

 

◆安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比母登吉佐氣氐 於毛保須良米也

                 (大伴池主 巻十七 三九四九)

 

≪書き下し≫天離る鄙にある我れをうたがたも紐解(と)き放(さ)けて思ほすらめや

 

(訳)都離れたこの遠い田舎で物恋しく過ごしているわれら、このわれらを、紐解き放ってくつろいでいるなどと思っておられるはずがあるものですか。(同上)

(注)うたがたも 副詞:①きっと。必ず。真実に。②〔下に打消や反語表現を伴って〕決して。少しも。よもや。 ※上代語。(学研)

(注)らめ :現在推量の助動詞「らむ」の已然形。(学研)

(注)めや 分類連語:…だろうか、いや…ではない。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」(学研)

 

左注は、「右一首掾大伴宿祢池主」<右の一首は掾大伴宿禰池主>

 

◆伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母

               (大伴家持 巻十七 三九五〇)

 

≪書き下し≫家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも

 

(訳)奈良の家で妻が結んでくれた紐、この紐を解き開けることなく思いつめているが心、さびしいこの心のうちを誰がわかってくれるのであろうか。(同上)

(注)か 係助詞《接続》種々の語に付く。〔反語〕…か、いや…ではない。(学研)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作」<右の一首は、守大伴宿禰家持作る>である。

 

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

                (秦忌寸八千島 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をしっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)女郎花を持ち出し、望郷の思いが支配的になっている場を現地への関心に引き戻す。越中のをみな<【女】名詞:若く美しい女性。女。>の意をこめる。

 

左注は、「右一首大目秦忌寸八千嶋」<右の一首は、大目(だいさくわん)秦忌寸八千嶋(はだのみきやちま)>

 

題詞は、「古歌一首 大原高安真人作 年月不審 但随聞時記載茲焉」<古歌一首、大原高安真人作る 年月審(つまび)らかにあらず。 ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。>である。

 

◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟

               (僧玄勝伝 巻十七 三九五二)

 

≪書き下し≫妹(いも)が家に伊久里(いくり)の社(もり)の藤(ふぢ)の花今来む春も常(つね)かくし見む

 

(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にはいつもこのようにして賞(め)でよう。(同上)

(注)妹家に(読み)いもがいえに 枕詞: 妹が家に行くという意で、「行く」と同音を含む地名「伊久里(いくり)」にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)伊久里:富山県砺波市井栗谷か。

 

左注は、「右一首傳誦僧玄勝是也」<右の一首、伝誦(でんしよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ。>である。

 

◆鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓

                (大伴家持 巻十七 三九五三)

 

≪書き下し≫雁(かり)がねは使ひに来(こ)むと騒(さわ)くらむ秋風寒みその川の上に

 

(訳)雁たちは消息を運ぶ使いとしてやって来ようと、今頃鳴き騒いでいることであろう。秋風が寒くなってきたので、懐かしいあの川べりで。(同上)

(注)その川:奈良の佐保川であろう。 宴の望郷の歌をまとめたもの。

 

◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇未尓 与須流奈弥見尓

               (大伴家持 巻十七 三九五四)

 

≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に

 

(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べにうち寄せる波を見に。(同上)

(注)渋谿:富山県高岡市太田(雨晴)の海岸。 宴の現地賛美をまとめる歌。

 

左注は、「右二首守大伴宿祢家持」<右の二首は、守(かみ)大伴宿禰家持。>である。

 

◆奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴

                (土師道良 巻十七 三九五五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に月かたぶきぬ

 

(訳)集うこの夜はすっかり更けたようです。玉櫛笥のあの二上山に、月が傾いてきました。(同上)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。

たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

 

左注は、「右一首史生土師宿祢道良」<右の一首は、史生(ししやう)土師宿禰道良(はにしのすくねみちよし)>である。

(注)史生:国府の記録係。

 

 

 バス停「伏木一宮」の奥の田辺福麻呂の歌碑から北へ50mほど行くと「氣多神社口」交差点である。交差点の北西角に歌碑があった。北西角には「氣多神社」の神社名碑が、南西角には「大伴神社」の神社名碑があった。

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氣多神社名碑

 

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大伴神社名碑

 ここから氣多神社・大伴神社に歩いて行くのは相当きつそうなので、国道415号線沿いの歌碑をあと2基巡ってから、駅前の駐車所まで引き返すことにする。

土地勘のない悲しさ。結構無駄な動きをしてしまった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)