万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1350)―小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(5表)―万葉集 巻十七 三九四七

●歌は、「今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも」である・

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(5表)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(5表)にある。

 

●歌をみていこう。

 題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。三九四三~三九五五歌までが収録されている。

家持を歓迎する宴で、越中歌壇の出発点となったとも言われている。

 

◆家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

      (大伴家持 巻十七 三九四七)

 

≪書き下し≫今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠(とほ)つ人雁(かり)が来鳴かむ時近みかも

 

(訳)「秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し」との仰せ、たしかに今朝の夜明けは秋風が冷たい。遠来の客、雁が来て鳴く時が近いせいであろうか。(同上)

(注)秋風は前の歌の秋風を受けている。

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)

(注)ここは都の消息を運ぶ鳥として用いた。(伊藤脚注)

                           

 

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

     (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たお)り来(け)る女郎花(をみなへし)かも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ほむき【穂向き】名詞:実った稲の穂が一方向になびいていること。(学研)

(注)みがてら【見がてら】[連語]《「がてら」は接続助詞》見ながら。見ついでに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)我が背子:客の大伴池主をさしている。

(注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

     (大伴池主 巻十七 三九四四)

 

≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ

 

(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(同上)

(注)た廻(もとほ)り来(き)ぬ:廻り道をしてわざわざ立寄ってしまいました。このように歌うのが客の挨拶歌の型。(伊藤脚注)

 

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

       (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着む縁(よし)もがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

(注)前の二首が土地の物をもちあげているが、これは都の妻を思う歌になっている。(伊藤脚注)

 

 

◆保登等藝須 奈伎氐須疑尓 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓

      (大伴池主 巻十七 三九四六)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴きて過ぎにし岡(おか)びから秋風吹きぬよしもあらなくに

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が鳴き声だけ残して飛び去ってしまった岡のあたりから、秋風が寒々と吹いてくる。あの子の袖を重ねる手立てもありはしないのに。(同上)

(注)よしもあらなくに:妻の着物を重ね着るてだてもないのに。前歌の望郷を深めて結ぶ。(伊藤脚注)

 

 

◆安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓

     (大伴家持 巻十七 三九四八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)に月経(へ)ぬしかれども結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解きも開(あ)けなくに

 

(訳)都離れたこの遠い鄙の地に来てから、月も変わった。けれども、都の妻が結んでくれた着物の紐、この紐を解き開けたことなどありはしない・・・。(同上)

(注)結ひてし紐:都の妻が結んでくれた紐。望郷の念を深めた。(伊藤脚注)

 

 

◆安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比母毛登吉佐氣氐 於毛保須良米也

      (大伴池主 巻十七 三九四九)

 

≪書き下し≫天離る鄙にある我(わ)れをうたがたも紐解(と)き放(さ)けて思ほすらめや

 

(訳)都離れたこの遠い田舎で物恋しく過ごしてわれら、このわれらを、紐解き放ってくつろいでいるなどと思っておられるはずがあるものですか。

(注)うたがたも 副詞:①きっと。必ず。真実に。②〔下に打消や反語表現を伴って〕決して。少しも。よもや。※上代語。(学研)

(注)めや 分類連語:…だろうか、いや…ではない。※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」(学研)

(注)思ほすらめや;都の方も思っておられることなどがあるものですか。(伊藤脚注)

 

 

◆伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母

      (大伴家持 巻十七 三九五〇)

 

≪書き下し≫家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも

 

(訳)奈良の家で妻が結んでくれた紐、この紐を解き開けることなく思いつめている心、さびしいこの心のうちを誰がわかってくれるのであろうか。(同上)

(注)誰れか知らむも:誰がわかってくれるのだろうか。カは反語。わかってくれるのはあなた方だけの意がこもる。(伊藤脚注)

 

 

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

      (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三,三九四四歌の「をみなへし」を承ける。越中のヲミナの意をこめ、望郷の念の深まりを現地への関心に引き戻す。(伊藤脚注)

 

 題詞は「古歌一首 大原高安真人作る 年月審らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。」である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1148)」で紹介している。

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◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟

      (大原高安真人 巻十七 三九五二)

 左注は、「右の一首、伝誦(でんしよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ」である。

 ※ この歌は、題詞と左注にあるように、僧玄勝が伝承・披露した大原高安真人作の古歌である。

 

≪書き下し≫妹が家に伊久里(いくり)の社(もり)の藤(ふぢ)の花今(いま)来(こ)む春も常(つね)かくし見む

 

(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里(いくり)の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にもいつもこのように賞(め)でよう。(同上)

(注)いもがいえに いもがいへ【妹が家に】( 枕詞 )妹の家に行くの意から同音の地名「伊久里」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 

「いくりのもり」については、國學院大學デジタル・ミュージアム「万葉神事語辞典」に詳しい解説があるので転記させていただく。

「伊久里の森:地名。所在未詳。『代匠記』は、『或者』の語として平城京十町ばかりの傍らに『いくり』と称する大明神のあったことを伝える。『全釈』は、富山県砺波市井栗谷の地とする説(森田柿園『万葉事情余情』)を可とする。万葉集では、大伴家持越中に赴任した746(天平18)年の8月7日に催された家持邸での宴で、僧玄勝が伝承・披露した大原高安真人作の古歌(17-3952)の中で、『妹が家に(行く)』という枕詞を受けて『伊久里の森』が歌われ、その森の藤の花をまた来る春もずっとこうして見たいと歌う。越中の地名を詠み込んだ歌を新任の国守家持に歌って聞かせるという意図を持つといわれる。『森』は本文『母理』。『もり』は『神なびの 石瀬の社』(8-1419)『妻の社』(9-1679)などのように『社』字で表記される場合があり、神の寄りつく森の意。樹木が森をなすところに神は好んで依り憑くとされた。」

(注)『神なびの 石瀬の社』(8-1419):ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その189)」で紹介している。

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(注)『妻の社』(9-1679):ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介している。

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◆鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓

      (大伴家持 巻十七 三九五三)

 

≪書き下し≫雁(かり)がねは使ひに来(こ)むと騒(さわ)くらむ秋風寒みその川の上(へ)に

 

(訳)雁たちは消息を運ぶ使いとしてやって来ようと、今頃鳴き騒いでいることであろう。秋風が寒くなってきたので、なつかしいあの川べりで。(同上)

(注)その川:佐保川のことと思われる。三九四七歌を承ける。宴の望郷歌のまとめ。(伊藤脚注)

 

 

◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇末尓 与須流奈弥見尓

     (大伴家持 巻十七 三九五四)

 

≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に

 

(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べに打ち寄せる波を見に。(同上)

(注)渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ):富山県高岡市太田(晴雨)の海岸。宴の現地讃美をまとめる歌。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その847)」で紹介している。

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◆奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴

     (土師道良 巻十七 三九五五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に月かたぶきぬ

 

(訳)集うこの夜はすっかり更けたようです。玉櫛笥(たましげ)のあの二上山に、月が傾いてきました。(同上)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。

(注)二上山高岡市北方の山。国府の西。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタル・ミュージアムHP)

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)