●歌は、「山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛なりけり」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(108)にある。
●歌をみてみよう。
◆山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利
(高田女王 巻八 一四四四)
≪書き下し≫山吹(やまぶき)の咲きたる野辺(のへ)のつほすみれこの春の雨に盛(さか)りなりけり
(訳)山吹の咲いている野辺のつぼすみれ、このすみれは、この春の雨にあって、今が真っ盛りだ。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)つぼすみれ【壺菫】名詞:草の名。たちつぼすみれ。 ※「すみれ」を花の形から呼んだものともいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「高田女王歌一首 高安之女也」<高田女王(たかだのおほきみ)が歌一首 高安が女なり>
(注)高田女王は高安王の娘
この歌ならびに「高田女王贈今城王歌六首」(五三七~五四二歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その90改)で紹介している。
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今城王に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1078)」で大伴家持との関係について紹介している。
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歌碑(プレート)に万葉名「つぼすみれ」、現代名「ツボスミレ(ニョイスミレ)」と書かれている。
「ツボスミレ(ニョイスミレ)」については、「検索入門 野草図鑑⑤すみれの巻」(長田武正 著/長田喜美子 写真 保育社)に、「湿った草地にはえる多年草。(中略)花は有茎種のスミレの中では最も小さく、長さ9mmほど、白色で紫色のすじがある。(後略)」と書かれている。
「つぼすみれ」を詠んだ歌は、万葉集にはもう一首収録されている。こちらもみてみよう。
題詞は、「大伴の田村家の大嬢、妹坂上大嬢に与ふる歌一首」である。
◆茅花抜 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波
(大伴田村大嬢 巻八 一四四九)
≪書き下し≫茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原(はら)のつほすみれ今盛(さか)りなり我(あ)が恋ふらくは
(訳)茅花を抜き取る浅茅が原に生えているつぼすみれ、そのすみれのように今真っ盛りです。私があなたに恋い焦がれる気持ちは。(同上)
(注)上三句は序。「今盛りなり」を起こす。
(注)つばな【茅花】名詞:ちがやの花。ちがや。つぼみを食用とした。「ちばな」とも。(学研)
(注)つぼすみれ【壺菫】名詞:草の名。たちつぼすみれ。 ※「すみれ」を花の形から呼んだものともいう。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。
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一四四四歌の題詞に、「高田女王は高安王の娘」とあったが、高安王についてみてみよう。
「高安王>大原高安 (おおはらのたかやす)は、「天武天皇の曾孫(そうそん)。川内王の子。はじめ高安王と称した。和銅6年従五位下にすすみ、養老3年伊予守(いよのかみ)のとき按察使(あぜち)を兼任。のち衛門督(かみ)。天平(てんぴょう)11年弟の桜井王らとともに大原真人(まひと)の氏姓をあたえられた。「万葉集」に歌3首がおさめられている。天平14年12月19日死去。とある。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
高安王の歌三首をみてみよう。
題詞は、「高安王褁鮒贈娘子歌一首 高安王者後賜姓大原真人氏」<高安王(たかやすのおほきみ)、褁(つつ)める鮒(ふな)を娘子(をとめ)に贈る歌一首 高安王は後に姓大原真人の氏を賜はる>である。
◆奥弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒
(高安王 巻四 六二五)
≪書き下し≫沖辺(おきへ)行き辺(へ)を行き今や妹(いも)がため我(わ)が漁(すなど)れる藻臥(もふし)束鮒(つかふな)
(訳)沖の方を漕(こ)ぎ岸辺を漕ぎして、たった今、あなたのために私がとってきた、藻の中に潜んでいるちっぽけな鮒です。これは。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)すなどる【漁る】他動詞:漁をする。魚貝をとる。(学研)
(注)もふしつかふな【藻臥束鮒】〘名〙 (「もぶしつかぶな」とも。「つか」は一束で手でつかんだほどの長さ) 藻の中に潜んでいる小鮒。もふしおぶな。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
題詞は、「高安歌一首」<高安が歌一首>である。
◆暇無 五月乎尚尓 吾妹兒我 花橘乎 不見可将過
(高安王 巻八 一五〇四)
≪書き下し≫暇(いとま)なみ五月(さつき)をすらに我妹子(わぎもこ)が花橘(はなたちばな)を見ずか過ぎなむ
(訳)暇(ひま)がないので、橘を賞(め)でるのに一番よい五月だというのに、あの子の家の花橘をついに見ないで終わってしまうのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)すらに 分類連語:…でさえも。▽「すら」を強めた語。 ⇒なりたち 副助詞「すら」+間投助詞「に」(学研)
三九四三から三九五五歌の標題は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、集于守(かみ)大伴宿禰家持が舘(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。
三九五二歌の題詞は、「古歌一首 大原高安真人作 年月不審 但随聞時記載茲焉」<古歌一首 大原高安真人作る 年月審らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す>である。
◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟
(大原高安真人 巻十七 三九五二)
≪書き下し≫妹(いも)が家に伊久里(いくり)の社(もり)の藤(ふぢ)の花今来む春も常(つね)かくし見む
(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にはいつもこのようにして賞(め)でよう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)妹家に(読み)いもがいえに 枕詞: 妹が家に行くという意で、「行く」と同音を含む地名「伊久里(いくり)」にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
左注は、「右一首傳誦僧玄勝是也」<右の一首、伝誦(でんしよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ。>である。
この前の三九五一歌が、「をみなえし」と秋の歌を詠ったので、春の花(藤)を詠った古歌(大原高安真人作)を持ち出したものである。
この「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その844)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「検索入門 野草図鑑⑤すみれの巻」 長田武正 著/長田喜美子 写真 (保育社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」
★「長野県諏訪郡富士見町HP」
※20221119アイキャッチ画像更新