万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2553)―書籍掲載歌を中軸に―

 今回から、まず、中西 進著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)<以下、同著>の歌を中軸に、今までに巡って来た歌碑とともに万葉集の世界に飛び込んで行こうと考えている。

 これまでは、精力的に万葉歌碑を巡り、その歌碑を中心に紹介してきたが、体力的にも無理がきかなくなってきたことも踏まえ、これまで巡った歌碑をベースにいろいろと紹介していきたい。

 同著のはしがきに、「わたしたちは『万葉のこころを未来へ』という運動をすすめています。ほんとうに万葉の心がこれからの世界中の人たちに必要だと思うからです。その一歩として、まず日本人に『万葉集』を知っていただくための書物ができたことを喜んでいます。どうか、この書物を入門書として全『万葉集』の味読に入ってください。」と書かれている。

 万葉集の歌の、時間軸、空間的広がりを理解する点でも同著は万葉集の世界に誘ってくれる最適な本であると思っている。入門書としてとあるが、なかなかハードルが高いのである。

 手始めに、同著を中軸に万葉集の世界に改めて飛び込んで行こう。

 機会があれば、万葉歌碑を訪れ、それはそれで紹介していくつもりである。

 これからのよろしくお願い申し上げます。

 

●歌は、「葛城の襲津彦真弓新木にも頼めや君が名告りけむ」である。

御所市森脇 葛城一言主神社万葉歌碑(作者未詳) 20200226撮影

●歌碑は、御所市森脇 葛城一言主神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼

       (作者未詳 巻十一 二六三九)

 

≪書き下し≫葛城(かづらき)の襲津彦(そつびこ)真弓(まゆみ)新木(あらき)にも頼めや君が我(わ)が名告(の)りけむ

 

(訳)葛城(かつらぎ)の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その材の新木さながらにこの私を信じ切ってくださった上で、あなたは私の名を他人(ひと)にあかされたのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)葛城の襲津彦真弓:磐姫皇后の父で著名な武将。葛城の襲津彦の持ち弓。(伊藤脚注)

(注の注)葛城襲津彦:4世紀後半ごろの豪族。大和の人。武内宿禰(たけのうちのすくね)の子。大和朝廷に仕え、その娘、磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后とされる。(コトバンク デジタル大辞泉)葛城氏の祖とされる。

(注)新木にも頼めや:その新木の弓さながらに私を頼みにするから。ヤは反語的疑問。(伊藤脚注)

(注)我が名告りけむ。:私の名を人に言ったのですか。そんなはずはないの意がこもる。(伊藤脚注)

(注の注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その439)」で葛城一言主神社とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 



 

 同著には、「万葉集の最初にむかえる主人公は、仁徳の皇后磐姫(いわのひめ)である。古事記および日本書紀によれば磐姫は葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)(曾都比古とも書かれる)の娘であり、昭和の史家の研究によって襲津彦は実在がたしかめられている。」と書かれ、万葉集では、その名は、巻十一 二六三九歌に登場する。

 「襲津彦は・・・奈良朝後期の庶民にまで名を伝えられた武将だった。書紀には三度新羅征伐にしたがった記事がみえるが、これも武勇の伝承である。襲津彦を中心とする葛城氏は、当時大和(やまと)における最大の豪族であった。・・・天皇家はこの葛城の力と結託(けったく)しなければ、王権の樹立ができなかった。磐姫というひとりの女性が仁徳のもとに嫁いだのは、そうした政略結婚のひとつだったのである。」(同著)

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉