万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2565)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「大名児彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや(草壁皇子 2-110)」、「あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに (大津皇子 2-107)」、「我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを (石川女郎 2-108)」ならびに「大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し(大津皇子 2-109)」である。

香芝市下田西 中央公民館万葉歌碑(大津皇子) 20190710撮影



香芝市下田西 中央公民館万葉歌碑(石川郎女) 20190710撮影

●一〇七・一〇八歌の歌碑は、香芝市下田西 中央公民館にある。

 

●それぞれの歌を万葉集収録の順にみていこう。         

 

■一〇七歌■

題詞は、「大津皇子石川郎女御歌一首」<大津皇子石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈る御歌一首>である。

◆足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二

        (大津皇子 巻二 一〇七)

 

≪書き下し≫あしひきの山のしづくに妹待つと我(わ)れ立ち濡れぬ山のしづくに

 

(訳)あなたをお待ちするとてたたずんでいて、あしひきの山の雫(しずく)に私はしとどに濡れました。その山の雫に。(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あしひきの【足引きの】分類枕詞:「山」「峰(を)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。 ※中古以後は「あしびきの」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)妹:女性に対する愛称。男が女性を待つのは珍しい。尋常な関係でないことが知られる。(伊藤脚注)

 

 

 

■一〇八歌■

題詞は、「石川郎女奉和歌一首」<石川郎女、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。 

 

◆吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎

        (石川郎女 巻二 一〇八)

 

≪書き下し≫我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

 

(訳)私をお待ちくださるとてあなたがお濡れになったという、そのあしひきの山の雫になることができたらよいのに。(同上)

 

 

 

■一〇九歌■

題詞は、「大津皇子竊婚石川郎女時津守漣通占露其事皇子御作歌一首 未詳」<大津皇子、竊(ひそ)かに石川郎女に婚(あ)ふ時に、津守漣通(つもりのむらじとほる)占(うら)へ露(あら)はすに、皇子の作らす歌一首 未詳

(注)竊(ひそ)かに:草壁皇子の妻と密通したことを示す。(伊藤脚注)

(注)津守漣通:陰陽道の達人。当時の秘密警察、占星台の役人だったらしい。(伊藤脚(注)占(うら)へ露(あら)はすに:公の占いによって暴露した意。(伊藤脚注)

 

◆大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之

       (大津皇子 巻二 一〇九)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)の津守が占(うら)に告(の)らむとはまさしに知りて我(わ)がふたり寝(ね)し

 

(訳)大船の泊(は)てる津(つ)というではないが、その津守めの占いによって占い露わされようなどということは、こちらも、もっと確かな占いであらかじめちゃんと承知の上で、われらは二人で寝たのだ。(同上)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)まさし:まさしく。「まさ」は占いの確かさをいう。(伊藤脚注)

(注の注)まさし【正し】形容詞:①見込みどおりである。(予想したことが)本当である。②正当である。正しい。◇「まさしい」はイ音便。③確かだ。(学研)ここでは③の意

 

 一〇七から一〇九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その172)」で紹介している。

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■一一〇歌■

題詞は、「日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首 女郎字曰大名兒也」<日並皇子尊(ひなみしみこのみこと)、石川郎女の贈り賜ふ御歌一首 郎女、字を大名児といふ>

(注)日並皇子尊:草壁皇子。(伊藤脚注)

(注)字:本名以外の呼び名。(伊藤脚注)

 

◆大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八

       (草壁皇子 巻二 一一〇)

 

≪書き下し≫大名児(おほなこ)彼方野辺(をちかたのへ)に刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も我(わ)れ忘れめや

 

(訳)大名児よ、彼方(おちかた)の野辺で刈るかやの一束(ひとつか)の、そのつかの間も私はそなたのことを忘れるものではない。(同上)

(注)大名児:地名か。第二、三句は序。握りの意で、「束の間」を起す。(伊藤脚注)

 

 

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)に「大津皇子事件」の項があり「大津皇子は天武と大田皇女との間の皇子で、大田皇女は天智の娘、鵜野の姉にあたる。」一方「草壁は鵜野(うの)皇后(のちの持統)との間の子である。」「天武には書紀に記されているだけで十人の妻があり、・・・十人の皇子が生れたが、」そのなかで「いきおい、重きをなすのは、大津皇子草壁皇子・長皇子・弓削皇子・舎人皇子であるが、・・・皇子の年齢は草壁が大津より一歳年長であった。」(壬申の乱の時)「大津の葉は大田皇女はすでに病没していた。・・・天武即位に際して、もし生きていればとうぜん皇后になったのは大田であったが、姉の病没にともなって皇后には鵜野讃良皇女が立った。爾来(じらい)十四年間、皇女によく助けられて天武の政治はおこなわれる。その子草壁は皇太子に立てられた。・・・病弱な草壁に対し・・・大津は絶大な人気をもった。」

そしてこの「二人はまことに運命的に、一人の女性に恋した。石川郎女(いしかわのいらつめ)というその女性に対して、草壁は、巻二、一一〇歌(歌は省略)を贈った。・・・その答えの歌は知られない。ということは郎女に気がなかったとも解することができる。一方大津も、巻二、一〇七歌(歌は省略)を贈る。・・・答えて郎女は、巻二、一〇八歌(歌は省略)・・・というコケティッシュな機知は、かえって男心をそそったの、大津はついに郎女と契りをかわず。ところが、このことを万葉集は『竊(ひそ)かに石川郎女に婚(あ)ひし時』としるしている。『竊』という書きかたは当時の通例からいうと、道ならぬ場合をさす。・・・大津の魅力にまけてこの事となった。そしてこの事は、じつは皇后がわによって、大津を窮地におとしいれようとするわなだったのではないか。・・・大津の巻二、一〇九歌(歌は省略)の・・・毅然たることか。これを口実として大津を失脚させようとする皇后がわの計略は、失敗に帰したとみたい。・・・天武の死に際して、皇太子の即位を実現するためには、大津排斥は皇后の焦眉(しょうび)の問題となってきた。第二の口実は、密通などという生ぬるいことではなく、謀反をはかっているということだった。・・・川島という天智の子の、天武朝廷における生きにくさが利用された。川島は大津と「莫逆の交(ばくぎゃくのまじわり)」(親友としての関係)を結んでいたという。これも、大津に近づいて生きようとする保身の術と、とれなくもない。この保身の術を逆手に皇后がわは利用した。大津の『謀反』は川島によって密告される。しかし、書紀は十月二日の突如として謀反発覚、大津ら三十余人の逮捕をしるし、翌三日には死を賜っている。この迅速さ、謀反の内容のまったく知られないこと、そしてこれが天武の死後二十日あまりのことであることをもって、皇后がわの陰謀だったことは疑いない。逮捕者のリストはとっくにでき上っていたのである。」と書かれている。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」