大和を中心に全国に広がる万葉故地の万葉歌碑を見て行っているが、今回が、大和(奈良県)の最終章である。葛城市・御所市・五條市をとりあげてみよう。
巡って来た万葉歌碑はすべて紹介したいが、紙面の都合もあり、独断と偏見で選択していきます。
<葛城市>
●歌をみていこう。
◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)
≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ
(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)上三句は序、「立ち」を起こす。(伊藤脚注)
この歌は、人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる歌で、「春楊葛山發雲立座妹念」と各句二字ずつ、全体では十字で表記されている。
あ
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。
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葛城市HPの「柿本神社」に「祭神は『万葉集』第一級の歌人と称される柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)です。石見国(島根県益田市)で没した人麻呂を770年に改葬して、かたわらに社殿を建てたのが始まりといわれています。」書かれている。
この歌の歌碑は、御所小学校正門近くに、また近鉄新庄駅付近を場がれる葛城川の人麻呂橋欄干にも刻されている。
■葛城市当麻 奈良県当麻健民運動場万葉歌碑(巻二 一〇七)■
●歌をみていこう。
題詞は、「大津皇子贈石川郎女御歌一首」<大津皇子、石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈る御歌一首>である。
◆足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二
(大津皇子 巻二 一〇七)
≪書き下し≫あしひきの山のしづくに妹待つと我(わ)れ立ち濡れぬ山のしづくに
(訳)あなたをお待ちするとてたたずんでいて、あしひきの山の雫(しずく)に私はしとどに濡れました。その山の雫に。(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)
(注)男が女性を待つのは珍しい。尋常な関係でないことが知られる。(伊藤脚注)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その436)」で紹介している。
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<御所市>
■奈良県御所市高天 高天寺橋本院駐車場万葉歌碑(巻七 一三三七)■
●歌をみていこう。
◆葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭
(作者未詳 巻七 一三三七)
≪書き下し≫葛城(かづらき)の高間(たかま)の草野(かやの)早(はや)知りて標(しめ)刺(さ)さましを今ぞ悔(くや)しき
(訳)葛城の高間の萱野(かやの)、そこをいち早く見つけて刈標(かりしめ)を刺しておけばよかったものを。それができなくて、今になって悔やまれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)早知りて:いち早く見つけて。(伊藤脚注)
(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。(学研)
(注)標刺さましを:約束しておけばよかったのに。(伊藤脚注)
(注)高間山は、今の金剛山をいう。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その440)」で紹介している。
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■奈良県御所市森脇 葛城一言主神社万葉歌碑(巻十一 二六三九)■
●歌をみていこう。
◆葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼
(作者未詳 巻十一 二六三九)
≪書き下し≫葛城(かづらき)の襲津彦(そつびこ)真弓(まゆみ)新木(あらき)にも頼めや君が我(わ)が名告(の)りけむ
(訳)葛城(かつらぎ)の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その材の新木さながらにこの私を信じ切ってくださった上で、あなたは私の名を他人(ひと)にあかされたのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)葛城襲津彦:4世紀後半ごろの豪族。大和の人。武内宿禰(たけのうちのすくね)の子。大和朝廷に仕え、その娘、磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后とされる。(コトバンク デジタル大辞泉)葛城氏の祖とされる。
(注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。(学研)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その439)」で紹介している。
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■奈良県御所市古瀬 阿吽寺万葉歌碑(巻一 五四)■
●歌をみていこう。
歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その296)でも紹介している。重複するが、みてみよう。
◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
(坂門人足 巻一 五四)
≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(学研)
(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。
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●歌をみていこう。
◆玉剋春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
(中皇命 巻一 四)
≪書き下し≫たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて朝(あさ)踏(ふ)ますらむその草(くさ)深野(ふかの)
(訳)魂の打ち漲(みなぎ)る宇智(うち)の荒野で、この朝、我が大君は馬を勢揃いして、今しも獲物を追い立てておられるのだ、ああその草深い大野よ。(同上)
(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(学研)
(注)宇智の大野(読み)うちのおほの:奈良県五條市の吉野川沿いにあった野。古代の猟地。宇智の野。(コトバンク デジタル大辞泉)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その446)」で紹介している。
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■奈良県五條市大野新田 阿太峯神社万葉歌碑(巻十 二〇九六)■
●歌をみていこう。
◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散
(作者未詳 巻十 二〇九六)
≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る
(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。「大野」は原野の意。(伊藤脚注)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。
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●歌をみていこう。
題詞は、「後人歌二首」<後人(こうじん)の歌二首>である。
(注)後人:旅に出ず残った人。待つ妻。(伊藤脚注)
◆朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
(作者未詳 巻九 一六八〇)
≪書き下し≫あさもよし紀伊(き)へ行く君が真土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)ぞ雨な降りそね
(訳)紀伊の国に向けて旅立たれたあの方が、真土山、あの山を越えるのは今日なのだ。雨よ、降らないでおくれ。(同上)
(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)
(注)まつちやま【真土山】:奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1424)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」