万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2137)―和歌山県(1)橋本市・かつらぎ町―

 大和(奈良県)に続き、和歌山県をみていこう。

 前稿が奈良県五條市 飛び越え石東側万葉歌碑の紹介で終わっている。「飛び越え石」は、奈良県和歌山県の県境に位置しているので、和歌山県は、和歌山県橋本市隅田町真土 飛び越え石西側万葉歌碑からスタートしていきます。

 和歌山県は(1)橋本市かつらぎ町、(2)和歌浦 (3)海南市、(4)日高郡白浜町の4つのエリアに分けて紹介していきます。

 

和歌山県橋本市隅田町真土 飛び越え石西側万葉歌碑(巻九 一六八〇)■

和歌山県橋本市隅田町真土 飛び越え石西側万葉歌碑(作者未詳) 20220328撮影

●歌をみていこう。

 

◆乞吾駒 早去欲 亦打山 将待妹乎 去而速見牟

       (作者未詳 巻十二 三一五四)

 

≪書き下し≫いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む

 

(訳)さあ、駒よ、どんどん行っておくれ。国境の真土山を越えて、その名のようにしきりに待っていてくれるあの子に早く逢いたい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いで 感動詞:①さあ。▽相手を行動に誘ったり、促したりするときに発する語。②どれ。さあ。▽自分が行動を起こすときに発する語。③おやまあ。いやもう。▽感動したり驚いたときに発する語。④いや。さあ。▽疑いや否定の気持ちで発する語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)上三句は序。「待つ」を起こす。

(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)

 

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写真の歌碑左面は、「いつしかと 待乳の山の桜花 まちてよそに 聞くが悲しき <後撰和歌集 巻十八 一二五五歌>」である。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1423)」で紹介している。

 ➡ 

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和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石下り入口万葉歌碑(巻四 五四三)■

和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石下り入口万葉歌碑(笠金村) 
20220328撮影

●歌をみてみよう。

 

 題詞は、「神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首幷短歌    笠朝臣金村」<神亀(じんき)元年甲子(きのえね)の冬の十月に、紀伊の国(きのくに)に幸(いで)ます時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむために娘子(をとめ)に誂(あとら)へらえて笠朝臣金村が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。    

(注)神亀元年:724年 聖武天皇紀伊行幸があった。(伊藤脚注)

(注)あとらふ【誂ふ】他動詞:頼んで自分の思いどおりにさせる。誘う。(学研)

 

天皇行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

       (笠金村 巻四 五四三)

 

≪書き下し≫大君の 行幸(みゆき)のまにま もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)と 出で行きし 愛(うるは)し夫(づま)は 天(あま)飛ぶや 軽(かる)の路(みち)より 玉たすき 畝傍(うねび)を見つつ あさもよし 紀伊道(きぢ)に入り立ち 真土(まつち)山 越ゆらむ君は 黄葉(もみちば)の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我(わ)れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙(もだ)もえあらねば 我(わ)が背子(せこ)が 行きのまにまに 追はむとは 千(ち)たび思へど たわや女(め)の 我(あ)が身にしあれば 道守(みちもり)の 問はむ答(こた)へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく

 

(訳)天皇行幸につき従って、数多くの大宮人たちと一緒に出かけて行った、ひときわ端正な私の夫は、軽の道から畝傍山を見ながら紀伊の道に足を踏み入れ、真土山を越えてもう山向こうに入っただろうかが、その背の君は黄葉の葉の散り乱れる風景を眺めながら、朝夕馴(な)れ親しんだ私のことなどは思わずに、旅はいいものだと思っていると、一方では私はうすうす気づいてはいるけれど、さりとてじっと待っている気にもなれないので、あの方の行った道筋どおりに、あとを追って行きたいと何度も何度も思うのだが、か弱い女の身のこととて、関所の役人に問い詰められたらどう答えたらよいのやら、言いわけする手だてもわからなくて、立ちすくんでためらうばかりだ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うるはし【麗し・美し・愛し】形容詞:①壮大で美しい。壮麗だ。立派だ。②きちんとしている。整っていて美しい。端正だ。③きまじめで礼儀正しい。堅苦しい。④親密だ。誠実だ。しっくりしている。⑤色鮮やかだ。⑥まちがいない。正しい。本物である。(学研)ここでは②の意

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。「あまとぶや鳥」。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。「あまとぶや軽の道」。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)真土山:この山を越えると異郷の紀伊の国、妻の心配が増す。(伊藤脚注)

(注)にきぶ【和ぶ】自動詞:安らかにくつろぐ。なれ親しむ。(学研)

(注)旅をよろし:あなたは旅はいいものだと思っているだろと。旅先では一夜妻を楽しむ風があった。その点も意識した表現。(伊藤脚注)

(注)あそそには:薄々とは。「あそ」は「浅」の意か。(伊藤脚注)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考:副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(学研)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1420)」で紹介している。

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▼「飛び越え石」周辺の万葉歌碑▼

橋本市HP「飛び越え石」の地図を引用させていただき加筆作成

 

 

和歌山県橋本市隅田町真土「真土」交差点南側万葉歌碑(巻一 五五)■

和歌山県橋本市隅田町真土「真土」交差点南側万葉歌碑(調首淡海) 
20220328撮影

●歌をみていこう。

 

◆朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母

      (調首淡海 巻一 五五)

 

≪書き下し≫あさもよし紀伊人(きひと)羨(とも)しも真土山(まつちやま)行き来(く)と見らむ紀伊人羨しも

 

(訳)麻裳(あさも)の国、紀伊(き)の人びとは羨ましいな。この真土山を行くとて来(く)とていつもいつも眺められる、紀伊の人びとは羨ましいな。(同上)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

(注)ともし【羨し】 形容詞: ①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)

(注)真土山:大和・紀伊の国境、紀ノ川右岸にある山。飛鳥から一泊目の地。

(注)ゆきく【行き来】自動詞:行ったり来たりする。往来する。(学研)

 

左注は、「右一首調首淡海」<右の一首は調首淡海(つきのおびとあふみ)>である。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1419)」で紹介している。

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 「真土」交差点北側にも万葉歌碑(巻九 一六八〇)がある。

 こちらは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1418)」で紹介している。

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和歌山県橋本市妻 妻の森神社西社万葉歌碑(巻九 一六七九)■

和歌山県橋本市妻 妻の森神社西社万葉歌碑(作者未詳) 20220328撮影

●歌をみていこう。

 

◆城國尓 不止将徃来 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄<一云 嬬賜尓毛 嬬云長良>

       (作者未詳 巻九 一六七九)

 

≪書き下し≫紀伊の国にやまず通(かよ)はむ妻(つま)の杜(もり)妻寄(よ)しこせに妻といひながら<一には「妻賜はにも妻といひながら」といふ>

 

(訳)この紀伊の国にはいつもいつも通って来よう。妻の社の神よ、妻を連れて来て置いて下さい。妻という名をお持ちなのですから。<妻をお授け下さい。妻という名をお持ちなのですから>(同上)

(注)妻の社:橋本市妻の神社。(伊藤脚注)

(注)こす 助動詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔希望〕…してほしい。…してくれ。 ⇒語法:未然形の「こせ」と終止形の「こす」は次の形で用いられる。 参考:(1)主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。(2)相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある。⇒こせぬかも(学研)

(注)に 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。 ※上代語。(学研)

(注)ながら 接続助詞《接続》動詞型活用の語の連用形、体言、副詞、形容詞・形容動詞の語幹などに付く。:①〔状態の継続〕(ア)…のまま。…のままで。(イ)そっくりそのまま。そのまま全部。②〔二つの動作の並行〕…ながら。…つつ。③〔逆接〕…けれども。…のに。④〔その本質・本性に基づくことを示す〕…そのままに。…としてまさに。 ⇒参考:接続助詞は活用する語に付くのが普通なので、名詞や形容詞・形容動詞の語幹に付く場合の「ながら」を副助詞または接尾語とする説もある。(学研)ここでは④の意

 

左注は、「右一首或云坂上忌寸人長作」<右の一首は、或いは、「坂上忌寸人長(さかのうえのいみきひとをさ)が作」といふ>である。

 

 

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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1413)」で紹介している。

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和歌山県かつらぎ町窪 道の駅「紀の川万葉の里」万葉歌碑(巻七 一二〇八)■

和歌山県かつらぎ町窪 道の駅「紀の川万葉の里」万葉歌碑(作者未詳)
 20220328撮影

●歌をみていこう。

 

◆妹尓戀 余越去者 勢能山之 妹尓不戀而 有之乏左

       (作者未詳 巻七 一二〇八)

 

≪書き下し≫妹(いも)に恋ひ我(あ)が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨(とも)しさ

 

(訳)家に残してきたいとしい子に恋い焦がれながら私が山道を越えて行くと、背の山が妹の山と並んで、恋い焦がれることもなく立っているのが羨ましくてならぬ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)恋ひずてある:夫婦仲良く並んでいるさまをいう。(伊藤脚注)

 

 

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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1412)」で紹介している。かつらぎ町HPには、「十五首も詠まれた歌枕は、全国第2番目である。」と書かれている。「背の山」「妹の山」に関する十五首すべてもここで紹介している。

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和歌山県かつらぎ町島 厳島神社船岡山)万葉歌碑(巻七 一一九三)■

和歌山県かつらぎ町島 厳島神社船岡山)万葉歌碑(作者未詳) 20220328撮影

●歌をみていこう。

 

◆勢能山尓 直向 妹之山 事聴屋毛 打橋渡

       (作者未詳 巻七 一一九三)

 

≪書き下し≫背(せ)の山(やま)に直(ただ)に向(むか)へる妹(いも)の山(やま)事許(ゆる)せやも打橋(うちはし)渡す

 

(訳)背の山にじかに向かい合っている妹の山、この山は、背の山の申し出を許したのであろうか。間を隔てる川に打橋が渡してある。(同上)

(注)打橋渡す:背の山と妹山の中間にある紀ノ川の川中島船岡山)」をいう。(伊藤脚注)

(注の注)うちはし【打ち橋】名詞:①板を架け渡しただけの仮の橋。②建物と建物との間の渡り廊下の一部に、取り外しができるように架け渡した板。(学研)ここでは①の意

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1409)」で紹介している。

 ➡ 

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 ここ厳島神社側の堤防護岸には巨大な万葉歌碑パネルがある。



万葉時代の真土(まつち)は、古代の紀伊国大和国との境界に位置し、現在の奈良県五條市和歌山県橋本市の間にある。海抜100mほどの低山の山中に落合川の深い渓谷がある。真土の地は、万葉時代には都から遠く離れた異国として憧れられていたと同時に、旅人にとっては故郷や恋人との別れを意味する寂しくも美しい場所であったと考えられる。その思いは、万葉集に残る歌が物語っている。

飛び越え石を渡ると時間的・空間的スリップをした感覚にとらわれ万葉びととすれ違えたような感動に包まれる。

不思議な空間である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「橋本市HP」

★「かつらぎ町HP」