万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2138)―和歌山県(2)和歌浦―

和歌浦」については、文化庁「日本遺産ポータルサイト」の「絶景の宝庫 和歌の浦」に詳しく書かれているのでみてみよう。

和歌の浦は、和歌川の河口に広がる干潟を中心に、南は熊野古道の藤白坂から、西は紀伊水道に面する雑賀崎までの、和歌浦湾を取り巻く景勝の地である。万葉の時代にこの思わず持ち帰りたいほどの情景が和歌にうたわれ、和歌の神がまつられ、唯一無二の和歌の聖地となった。・・・1300年前の奈良時代聖武天皇は、即位の年という特別な機会に、当時『若の浦』と記されたこの地を訪れた。遠くに名草山を望み、目の前で刻々と変化する干潟の広がりと、そのなかで沖に向かって連なる玉津島山のながめに感動し、この地の神・明光浦霊に祈りをささげ、そしてこの景色を末永く守るよう命じた。歌聖・山辺赤人の『若の浦に潮満ちくれば潟を無み葦辺を指して鶴鳴なき渡る』(若の浦に潮が満ちて干潟が見えなくなり、干潟にいた鶴が一斉に飛び立ち、葦のはえる岸辺へ鳴きながら飛んでいく)という、躍動感あふれる情景を見事に描きだした歌が、その時の天皇の感動を表している。・・・」

 

 

和歌山市和歌浦中 玉津島神社境内万葉歌碑(巻六 九一七・九一八・九一九)■

和歌山市和歌浦中 玉津島神社境内万葉歌碑(山部赤人) 20200819撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首幷短歌」<神亀(じんき)元年甲子(きのえね)の冬の十月五日に、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)神亀元年:724年

(注)幸(いでま)す時:聖武天皇行幸(10月5日から23日まで)

 

◆安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背匕尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻

         (山辺赤人 巻六 九一七)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大王(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀野(さひかの)  そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代(かみよ)より しかぞ貴(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君、その大君のとこしえに輝く立派な宮として下々の者がお仕え申しあげている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかなる渚に、風が吹けば白波が立ち騒ぎ、潮が引けば美しい藻を刈りつづけてきたのだ・・・、ああ、神代以来、そんなにも貴いところなのだ、沖の玉津島は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)雑賀野:和歌山市南部、和歌の浦の北西に位置する一帯

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)沖つ島:ここでは「玉津島」をさす。

(注)玉津島 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の和歌山県にある山。和歌の浦にある玉津島神社(玉津島明神)の背後にある、風景の美しい所とされた。古くは島であった。(学研)

 

 続いて、反歌二首をみてみよう。

 

≪書き下し≫沖つ島荒礒(ありそ)の玉藻(たまも)潮干(しほひ)満ちい隠(かく)りゆかば思ほえむかも

 

(訳)沖の島の荒磯(あらいそ)に生えている玉藻、この美しい藻は、潮が満ちて来て隠れていったら、どうなったかと思いやられるだろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)い 接頭語:動詞に付いて、意味を強める。「い隠る」「い通ふ」「い行く」。 ※上代語。(学研)

 

 

◆若浦尓 塩滿来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡

       (山部赤人 巻六 九一九)

 

≪書き下し≫若(わか)の浦(うら)に潮満ち来(く)れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る

 

(訳)若の浦に潮が満ちて来ると、干潟(ひがた)がなくなるので、葦の生えている岸辺をさして、鶴がしきりに鳴き渡って行く。(同上)

 

長歌の「風吹けば白波騒ぎ 潮干れば玉藻刈りつつ」を承け、九一八歌ならびに九一九歌で満潮時の思いと情景を述べている。

 

左注は、「右年月不記 但偁従駕玉津嶋也 因今檢注行幸年月以載之焉」<右は、年月を記(しる)さず。ただし、「玉津島に従駕(おほみとも)す」といふ。よりて今、行幸(いでまし)の年月を検(ただ)して載すである>。

 

 長歌(九一七歌)ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その733)」で、短歌(九一八・九一九歌)については、同「同(その734)」で紹介している。

 

 九一七歌

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 九一八・九一九歌

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 九一九歌の歌碑は、和歌山市和歌山市和歌浦中 塩竈神社鳥居横に、歌群は和歌山市和歌浦南 片男波公園・健康館入口壁面にもパネルが掲げられている。            


                           

 

 

和歌山市和歌浦中 玉津島神社鳥居横万葉歌碑(巻七 一二二二)■

和歌山市和歌浦中 玉津島神社鳥居横万葉歌碑(巻七 一二二二) 20200819撮影

●歌をみていこう。

 

◆玉津嶋 雖見不飽 何為而 褁持将去 不見人之為

         (藤原卿 巻七 一二二二)

 

≪書き下し≫玉津島(たまつしま)見れども飽(あ)かずいかにして包(つつ)み持ち行かむ見ぬ人のため

 

(訳)玉津島はいくら見ても見飽きることがない。どのようにして包んで持って行こうか。まだ見たことがない人のために。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

一二一八から一一九五歌までの歌群の左注は、「右七首者藤原卿作 未審年月」<右の七首は、藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)が作 いまだ年月審(つばひ)らかにあらず>である。

 

 

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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

次は、「片男波公園」の万葉歌碑をみてみよう。

片男波公園については、一般財団法人 和歌山県文化振興財団HPに、「万葉集にも多くの風光美が詠まれている和歌公園内の片男波地区に位置している。この地区は、和歌浦湾に注ぐ和歌川の河口部に沿うようにできた延長千数百メートルにも及ぶ狭長の砂州半島である。」と書かれている。

 

 

和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(1)万葉歌碑(巻十二 三一六八)■

和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(1)万葉歌碑(作者未詳) 
20200819撮影

●歌をみていこう。

 

◆衣袖之 真若之浦之 愛子地 間無時無 吾戀钁

        (作者未詳 巻十二 三一六八)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで)の真若の浦の真砂(まなご)地(つち)間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは             

 

(訳)真若の浦の真砂の浜、その名のような愛子(まなご)、あのかわいい子に、のべつまくなしだ。私が恋い焦がれるのは。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)衣手の(読み)コロモデノ [枕]:袖に関する「手(た)」「真袖(まそで)」「ひるがえる」などの意から、「た」「ま」「わく」「かへる」「なぎ」などにかかる。(コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

(注)まなし【間無し】形容詞:①すき間がない。②絶え間がない。とぎれることがない③間を置かない。即座である。(学研)

(注)ま 【真】接頭語:〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕①完全・真実・正確・純粋などの意を表す。「ま盛り」「ま幸(さき)く」「まさやか」「ま白し」。②りっぱである、美しい、などの意を表す。「ま木」「ま玉」「ま弓」(学研)

(注)まなごつち【真砂地】:細かい砂地。まさごじ。まなごじ。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その737)」で紹介している。

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和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(3)万葉歌碑(巻七 一二一三)■

和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(3)万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆名草山 事西在来 吾戀 千重一重 名草目名國

        (作者未詳 巻七 一二一三)

 

≪書き下し≫名草山(なぐさやま)言(こと)にしありけり我(あ)が恋ふる千重(ちへ)の一重(ひとへ)も慰(なぐさ)めなくに                        

 

(訳)名草山とは言葉の上だけのことであったよ。私が故郷に恋い焦がれる心の千重に重なるその一つさえも慰めてくれないのだから。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)名草山:和歌山県紀三井寺のある山。(伊藤脚注)

(注)千重の一重(読み)ちえのひとえ:数多くあるうちのほんの一部分。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その739)」で紹介している。

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 この歌の歌碑は、紀三井寺境内にもある。


和歌山市 紀三井寺本堂前万葉歌碑(作者未詳) 20200915撮影

 

 紀三井寺に関しては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その764)」で紹介している。

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和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(5)万葉歌碑(巻七 一二一九)■

和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(5)万葉歌碑(巻七 一二一九)

●歌をみていこう。

 

◆若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念

        (藤原卿 巻七 一二一九)

 

≪書き下し≫若(わか)の浦(うら)に白波立ちて沖つ風寒き夕(ゆうへ)は大和(やまと)し思ほゆ

 

(訳)和歌の浦に白波が立って、沖からの風が肌寒いこの夕暮れ時には、家郷大和が偲ばれる。(同上)

(注)藤原卿:不比等か。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その741)」で紹介している。

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 片男波公園・万葉の小路の歌碑と歌の解説案内碑は次のとおりである。



 次稿では、和歌山県海南市の歌碑をみていこう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「一般財団法人 和歌山県文化振興財団HP」

★「日本遺産ポータルサイト」 (文化庁HP)