万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2194)―富山県(10)小矢部市<2>―

小矢部市2⃣>

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(巻十九 四一四二、四一四三、四一五一、四一五二四一五九)■

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(表)(大伴家持

 歌碑②表には、大伴家持の歌が五首(巻十九 四一四二、四一四三、四一五一、四一五二、四一五九)が刻されている。順にみていこう。

 

【巻十九 四一四二】

 題詞は、「二日攀柳黛思京師歌一首」<二日に、柳黛(りうたい)を攀(よ)ぢて京師(みやこ)を思ふ歌一首>である。

(注)りうたい【柳黛】〘名〙: (「黛」は眉墨) 柳の葉のように細く美しい眉。柳眉(りゅうび)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

◆春日尓 張流柳乎 取持而 見者京之 大路所念

      (大伴家持 巻十九 四一四二)

 

≪書き下し≫春の日に萌(は)れる柳を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ

 

(訳)春の昼日中(ひるひなか)に、芽吹いている柳の枝を、手に取り持って、しげしげ見ると、奈良の都の大路がまざまざと思いだされる。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 


【巻十九 四一四三】

◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花

     (大伴家持 巻十九 四一四三)

     ※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花

 

(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(同上)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)

 


【巻十九 四一五一】

◆今日之為等 思標之 足引乃 峯上之櫻 如此開尓家里

     (大伴家持 巻十九 四一五一)

 

≪書き下し≫今日(けふ)のためと思ひて標(し)めしあしひきの峰(を)の上(うえ)の桜かく咲きにけり

 

(訳)今日の宴のためと思って私が特に押さえておいた山の峰の桜、その桜は、こんなに見事に咲きました。(同上)

(注)しるす【標す】他動詞:目印とする。(学研)

 


【巻十九 四一五二】

◆奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒

      (大伴家持 巻十九 四一五二)

 

≪書き下し≫奥山の八(や)つ峰(を)の椿(つばき)つばらかに今日は暮らさねますらをの伴(とも)

 

(訳)奥山のあちこちの峰に咲く椿、その名のようにつばらかに心ゆくまで、今日一日は過ごしてください。お集まりのますらおたちよ。(同上)

(注)やつを【八つ峰】名詞:多くの峰。重なりあった山々。(学研)

(注)つばらかなり 「か」は接尾語>つばらなり【委曲なり】形容動詞:詳しい。十分だ。存分だ。(学研)

 


【巻十九 四一五九】

 題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

 

◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

      (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(同上)

 

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)

 

 


 上述の大伴家持の歌五首(巻十九 四一四二、四一四三、四一五一、四一五二、四一五九)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1347表①~⑤)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(裏)(巻十九 四一七四、四一八六、四一八八、四二〇五、四二二五、四二二六)■

 

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(裏)(大伴家持

 歌碑②裏には、大伴家持の歌が五首(巻十九 四一七四、四一八六、四一八八、四二〇五、四二二五、四二二六)が刻されている。順にみていこう。

 

【巻十九 四一七四】

題詞は、「追和筑紫大宰之時春苑梅歌一首」<筑紫(つくし)の大宰(だざい)の時の春苑梅歌(しゆんゑんばいか)に追ひて和(こた)ふる一首>である。

(注)筑紫の大宰の時の春苑梅歌:天平二年(730年)正月の梅花の宴。八一五~八四六歌。(伊藤脚注)

 

◆春裏之 樂終者 梅花 手折乎伎都追 遊尓可有

      (大伴家持 巻十九 四一七四)

 

≪書き下し≫春のうちの楽しき終(をへ)は梅の花手折(たお)り招(を)きつつ遊ぶにあるべし

 

(訳)春の中でのいちばんの楽しみは、梅の花、この花を手折って客として迎えて、楽しく遊ぶことにあるのだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をふ【終ふ】自動詞:終わる。果てる。(学研)

(注)春のうちの楽しき終(をへ)は:春の中での楽しさの極限は。上二句は八一五歌の結句「楽しき終へめ」を承ける。(伊藤脚注)

(注)「招(を)く」は梅を客として迎える意。八一五歌の第四句「梅を招きつつ」を承ける。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首廿七日依興作之」<右の一首は、二十七日に興に依りて作る>である。

 

 四一七四歌は、大伴家持が少年時代に過ごした太宰府大伴旅人の家で天平二年(730年)に開かれた「梅花の宴」(八一五から八四六歌)を懐かしく思い出しながら追和した歌である。

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【巻十九 四一八六】

◆山吹乎 屋戸尓殖弖波 見其等尓 念者不止 戀己曽益礼

      (大伴家持 巻十九 四一八六)

 

≪書き下し≫山吹をやどに植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ

 

(訳)山吹を庭に移し植えては見る、が、見るたびに、物思いは止むことなく、人恋しさがつのるばかりです。(同上)

 


【巻十九 四一八八】

◆藤奈美能 花盛尓 如此許曽 浦己藝廻都追 年尓之努波米

       (大伴家持 巻十九 四一八八)

 

≪書き下し≫藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕(こ)ぎ廻(み)つつ年に偲(しの)はめ

 

(訳)藤の花房のまっ盛りの頃、このように浦から浦へと漕ぎめぐっては、来る年も来る年も賞でよう。この水海を。(同上)

 

伊藤氏は脚注で「眼前の藤の花に焦点を絞りつつ、長歌の末尾を要約して全体を結ぶ。」と書いておられる。

 


【巻十九 四二〇五】

◆皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寳我之波

        (大伴家持 巻十九 四二〇五)

 

≪書き下し≫すめろきの遠御代御代(とほみよみよ)はい重(し)き折り酒(き)飲(の)みきといふぞこのほおがしは

 

(訳)古(いにしえ)の天皇(すめらみこと)の御代御代(みよみよ)では、重ねて折って、酒を飲んだということですよ。このほおがしわは。(同上)

 


【巻十九 四二二五】

◆足日木之 山黄葉尓 四頭久相而 将落山道乎 公之超麻久

      (大伴家持 巻十九 四二二五)

 

≪書き下し≫あしひきの山の黄葉(もみち)にしづくあひて散らむ山道(やまぢ)を君が越えまく

 

(訳)険しい山のもみじに、雫(しずく)とともにもみじの散る山道、そんな山道をあなたは越えて行かれるのですね。(同上)

(注)しづくあひて:雫も一緒になって。(伊藤脚注)

 


【巻十九 四二二六】

◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見

      (大伴家持 巻十九 四二二六)

 

≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む

 

(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(同上)

(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。(学研)

 

題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。

 

左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。

 

 



 上述の大伴家持歌六首(巻十九 四一七四、四一八六、四一八八、四二〇五、四二二五、四二二六)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1347裏①~⑥)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(表)(巻十七 三九五七の一部、三九七三の一部、三九九一の一部、四〇〇六の一部、四一〇六の一部、三月二日書簡の一部、四一一六の一部)■

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(表)(大伴家持、大伴池主)

 

【巻十七 三九五七の一部】

題詞は、「哀傷長逝之弟歌一首 幷せて短歌」<長逝(ちやうせい)せる弟(おとひと)を哀傷(かな)しぶる歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)弟:家持の弟。書持。

 

◆・・・波之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之波安良牟乎 波太須酒吉 穂出秋乃 芽子花・・・

      (大伴家持 巻十七 三九五七の一部)

 

≪書き下し≫・・・はしきよし 汝弟(なおと)の命(みこと) なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出(い)づる秋の 萩(はぎ)の花・・・

 

(訳)・・・ああいとしい我が弟よ、いったいどんな気持で、ほかの時はいくらでもあろうに、すすきが穂を出す秋の、萩の花・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)はしきよし【愛しきよし】分類連語:「はしきやし」に同じ。「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒なりたち:形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「よし」(学研)

(注の注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。(学研)

(注)汝弟の命:「汝」は親愛の接頭語、「命」は尊称。(伊藤脚注)

(注)なにしかも【何しかも】[連語]:「なにしか」を強めた言い方。なんでまあ…か。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研)

(注の注)はだすすき【はだ薄】分類枕詞:すすきの穂の意から「穂」「末(うれ)(=穂の先)」「うら」にかかる。(学研)

 

 


 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)」で紹介している。

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【巻十七 三九七三の一部】

◆・・・春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理・・・

       (大伴池主 巻十七 三九七三)

 

≪書き下し≫・・・春の野に すみれを摘むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり・・・

 

(訳)・・・その春の野で菫を摘むとて、まっ白な袖を折り返し、色鮮やかな赤裳の裾を引きながら、娘子たちは思い乱れつつ、あなたのお出ましを心待ちに待ち焦がれているということです。・・・(同上)

(注)うら【心】名詞:心。内心。(学研)

 



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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表②)」で紹介している。

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【巻十七 三九九一の一部】

◆・・・多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等

     (大伴家持 巻十七 三九九一)

 

≪書き下し≫・・・玉櫛笥(たまくしげ) 二上山(ふたがみやま)に 延(は)ふ蔦の 行きは別れず あり通(がよ)ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと

 

(訳)・・・あの二上山にからみあって、這い延びて行く蔦のように、別れ別れになったりせずに、ずっと通い続けて、来る年も来る年も、気心合った仲間同士、こうして遊ばんものぞ。今見わたして楽しんでいるように。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)「玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 」は序。「行きは別れず」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

 


この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表③)」で紹介している。

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【巻十七 四〇〇六の一部】

◆可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氐流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之・・・

大伴家持 巻十七 四〇〇六)

 

≪書き下し≫かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに はしきよし・・・

 

(訳)一つ二つと指折り数えるその二上山に、神々しい生い立っている栂の木、この栂の木は幹も枝先も同じようにいつも青々と茂っているが、・・・(同上)

(注)かきかぞふ【搔き数ふ】他動詞:数える。 ※「かき」は接頭語。

(注)かきかぞふ【搔き数ふ】分類枕詞:「ひとつ、ふたつ」と数えるところから、「二(ふた)」と同音を含む地名「二上山(ふたがみやま)」にかかる。(学研)

(注)ときは【常磐・常盤】名詞:永遠に変わることのない(神秘な)岩。 ※参考「とこいは」の変化した語。巨大な岩のもつ神秘性に対する信仰から、永遠に不変である意を生じたもの。(学研)

(注)本も枝も:家持と池主をさす。(伊藤脚注)

 

 


この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表④)」で紹介している。

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【巻十八 四一〇六の一部】

◆・・・世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也・・・

    (大伴家持 巻十六 四一〇六)

 

≪書き下し≫・・・世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや・・・

 

(訳)・・・世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、言葉どおりに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時にほほ笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、・・・(同上)

 

 


この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表⑤)」で紹介している。

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【三月二日書簡の一部】

◆・・・哉豈慮乎蘭蕙隔藂琴罇無用 空過令節物色軽人乎・・・

     (三月二日付書簡 大伴池主)

 

≪書き下し≫・・・あに慮(はか)らめや、蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用ゐるところなからむとは。空(むな)しく、令節を過ぐさば、物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは・・・

 

(訳)・・・ところが、どうしたことなのでしょうか、蘭や蕙といった芳しい花々が叢にうずめ隠され、宴での琴や酒樽を使うこともないとは。空しくこのすばらしい季節をやり過ぎては、自然に侮られてしまいませんか。・・・(同上)

(注)蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て:蘭と蕙との香草が叢(くさむら)を隔てているように交際もかなわず

(注の注)らんけい【蘭蕙】:蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。(goo辞書)

(注)琴樽(読み)きんそん:〘名〙 琴と酒樽。琴を奏したり酒を飲んだりすること。楽しく遊ぶこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは:自然の風情が人を軽んじることになりはしまいか。自然に侮られることをいう。(伊藤脚注)

 


三月二日書簡ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表⑥)」で紹介している。

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【巻十八 四一一六の一部】

◆・・・余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼・・・

    (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

≪書き下し≫・・・蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊びなぐれど 射水川(いみづがは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江(なごえ)の菅(すげ)の ねもころに 思ひ結ぼれ・・・

 

(訳)・・・蓬(よもぎ)を蘰(かづら)にし、酒盛りなどして遊んでは心を慰めたけれど、射水川に雪解け水が溢(あふ)れるばかりに流れて行くその水かさのように、恋しさはいよいよつのるばかりで、鶴の頼りなく鳴く奈呉江の菅の根ではないが、心のねっこから塞(ふさ)ぎこんで、・・・(同上)

(注)かづらく【鬘く】他動詞:草や花や木の枝を髪飾りにする。(学研)

(注)さかみづく【酒水漬く】自動詞:酒にひたる。酒宴をする。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。(学研)

(注)射水川:現在の小矢部川(おやべがわ)

(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。 ※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)

(注)奈呉の江(読み)なごのえ:富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ),奈呉ノ江,奈呉ノ浦とよばれた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)おもひむすぼる【思ひ結ぼる】自動詞:気がめいる。ふさぎ込む。「おもひむすぼほる」とも。(学研)

 

 

 

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(巻十九 四一六四、巻十九 四一六六の一部)■

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(大伴家持

【巻十九 四一六四】

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

    (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(同上)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)空しくあるべき:無為に過ごしてよいものであろうか。ここまで前段、次句以下後段。(伊藤脚注)

(注)さしまくる心障(さや)らず:御任命下さった大御心に背くことなく。「さし」は指命する意か。「まくる」は「任く」の連体形。(伊藤脚注)

(注の注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

(注の注)さやる【障る】自動詞:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。(学研)

 

 



この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348裏①)」で紹介している。

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【巻十九 四一六六の一部】

◆・・・四月之立者 欲其母理尓 鳴霍公鳥 従古昔 可多里都藝都流 鴬之 宇都之真子可母 菖蒲 花橘乎 ▼嬬良我 珠貫麻泥尓 赤根刺 晝波之賣良尓 安之比奇乃 八丘飛超 夜干玉乃 夜者須我良尓 暁 月尓向而 徃還 喧等余牟礼杼 何如将飽足

   ▼は、「女偏に『感』」である。「▼嬬」で「をとめ」と読む

     (大伴家持 巻十九 四一六六)

 

≪書き下し≫・・・四月(うづき)し立てば 夜隠(よごも)りに 鳴くほととぎす いにしへゆ 語り継ぎつる うぐひすの 現(うつ)し真子(まこ)かも あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 娘子(をとめ)らが 玉貫(ぬ)くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八(や)つ峰(を)飛び越え ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 暁(あかとき)の 月に向ひて 行き帰(がへ)り 鳴き響(とよ)むれど なにか飽き足(だ)らむ

 

(訳)・・・四月ともなると、夜の闇の中に鳴く時鳥(ほととぎす)、このめでたい声の鳥は遥けくも遠き時代から言い伝えてきているように、まさしく鶯(うぐいす)のいとし子なのだな、菖蒲(あやめ)や花橘をおとめたちが薬玉(くすだま)に通す五月まで、あかねさす昼はひねもす、山の峰々を飛び越え、ぬばたまの夜は夜もすがら、明け方の月に向かって、往ったり来たりしては鳴き立てているけれども、何で聞き飽きるなどということがあろうか。聞いても聞いても飽きることはない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よごもり【夜籠・夜隠】〔名〕:① 夜が深いこと。まだ夜が明けきらないこと。また、その時刻。深夜。夜ふけ。② 社寺に参拝して、一晩中こもって祈ること。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典)ここでは①の意

(注)うつしまこ【現し真子】:真実の子。(広辞苑無料検索)

(注)かも 終助詞《接続》体言や活用語の連体形などに付く。:①〔感動・詠嘆〕…ことよ。…だなあ。②〔詠嘆を含んだ疑問〕…かなあ。③〔詠嘆を含んだ反語〕…だろうか、いや…ではない。▽形式名詞「もの」に付いた「ものかも」、助動詞「む」の已然形「め」に付いた「めかも」の形で。④〔助動詞「ず」の連体形「ぬ」に付いた「ぬかも」の形で、願望〕…てほしいなあ。…ないかなあ。 ⇒参考 上代に用いられ、中古以降は「かな」。(学研)

(注)「うぐひすの現し真子かも」:まさに鴬の子そのものなのだな。(伊藤脚注)

(注)玉貫くまでに:薬玉に通す五月までに。(伊藤脚注)

(注)しみらに【繁みらに】副詞:ひまなく連続して。一日中。「しめらに」とも。 ⇒参考 「夜はすがらに」に対して、常に「昼はしみらに」の形で使う。(学研)

(注)すがらに 副詞:途切れることなく、ずっと。 ⇒参考 ふつう「夜」について用いる。(学研)

(注)行き帰り:行ったり来たりしては。(伊藤脚注)

 


この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348裏②)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「広辞苑無料検索」

★「コトバンク 平凡社世界大百科事典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」