万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1348表②)―小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表②)―万葉集 巻十七 三九七三

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表②)万葉歌碑(大伴池主)

●歌は、「・・・春の野にすみれを摘むと白栲の袖折り返し紅の赤裳裾引き娘子らは思ひ乱れて君待つとうら恋すなり・・・」である。

 

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表②)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐波良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈迩可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀▼等能 安礼迩都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比

  ▼は「田偏に比」⇒「佐刀▼等能」=「さとびとの」

    (大伴池主 巻十七 三九七三)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)さはらず 天離(あまざか)る 鄙(ひな)も治(をさ)むる ますらをや なにか物思(ものも)ふ あをによし 奈良道(ならぢ)来(き)通(かよ)ふ 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰(なぐさ)むる こともあらむと 里人(さとびと)の 我(あ)れに告ぐらく 山(やま)びには 桜花(さくらばな)散り かほ鳥(とり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ

 

(訳)大君の仰せを恐れ謹んで、重なる山も野も物とはせず、この遠い鄙の国すらも立派に治めておられる、大丈夫たるあなた、そのあなたが何を今さら物思いなどされることがありましょうか。あおによし奈良の都への遥かな道を往き来するお使い、玉梓の使いが絶えることなど、どうしてありましょう。ひたすら引き籠って恋い焦がれ溜息をつきどおしで、心の思いに嘆きつづけているあなた、今を去る遠い遠い時代から言い継がれてきたはずです、生きてこの世に在る人間というものは定まりなきものであると。気の紛れることもあろうかと、里の人が私に教えてくれるには、山辺には桜の花が咲き散り、貌鳥(かおどり)がひきもきらずに鳴き立てている、その春の野で菫を摘むとて、まっ白な袖を折り返し、色鮮やかな赤裳の裾を引きながら、娘子たちは思い乱れつつ、あなたのお出ましを心待ちに待ち焦がれているということです。気がかりでなりません、さあ一緒に見に行きましょう。事はしっかりとお約束・・・・。(同上)

(注)さはる【障る】自動詞①妨げられる。邪魔される。②都合が悪くなる。用事ができる。(学研) 

(注)たまづさの【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)したおもひ【下思ひ】名詞:心中に秘めた思い。秘めた恋心。「したもひ」とも。(学研)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)

(注)おもひみだる【思ひ乱る】自動詞:あれこれと思い悩む。(学研)

(注)うら【心】名詞:心。内心。(学研)

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)たな- 接頭語:動詞に付いて、一面に・十分になどの意を表す。「たな知る」「たな曇(ぐも)る」など。(学研)

(注)ことなたなゆひ:「ゆびきりげんまん」のような当時の呪文か。

 

 

 書簡ならびにこの歌及び三九七四・三九七五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その702)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 家持が越中に赴任しての初めての初春、病に倒れ、天平十九年(747年)二月二十日に池主に不安な気持ちを訴え、池主が励ましの気持ちを書簡と歌に託したやりとりは三月五日まで続いている。そのうちの三月五日の池主の書簡と歌である。

 

 この間の書簡や歌のやり取りは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1346表)で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 ここで、二月二十日に、家持が池主に贈った最初の歌をみてみよう。

 

題詞は、「忽沈枉疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首 幷短歌」<たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨(のぞ)む。よりて、歌詞を作り、もちて悲緒(ひしよ)を申(の)ぶる一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)たちまち(に)【忽ち(に)】副詞:①またたく間(に)。すぐさま。たちどころ(に)。②突然(に)。にわか(に)。③現(に)。実際(に)。 ※古くは「に」を伴って用いることが多い。(学研)

(注の注)たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み;思いもかけずよこしまな病気にかかり。(伊藤脚注)

 

◆大王能 麻氣能麻尓ゝゝ 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇都世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 波ゝ能美許等乃 大船乃 由久良ゝゝゝ尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氐 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛波 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氐夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氐也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武

     (大伴家持 巻十七 三九六二)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに ますらをの 心振り起(おこ)し あしひきの 山坂(やまさか)越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下(くだ)り来(き) 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船の ゆくらゆくらに 下恋(したごひ)に いつかも来(こ)むと 待たすらむ 心寂(あぶ)しく はしきよし 妻の命(みこと)も 明けくれば 門(かど)に寄り立ち 衣手(ころもで)を 折り返しつつ 夕されば 床(とこ)打ち払(はら)ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹(いも)も兄(せ)も 若き子どもは をちこちに 騒(さわ)き泣くらむ 玉桙(たまぼこ)の 道をた遠(どほ)み 間使(まつかひ)も 遺(や)るよしもなし 思ほしき 言伝(ことづ)て遣(や)らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命(いのち)惜(お)しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆(なげ)き伏せらむ

 

(訳)大君の仰せに従って、ますらおの雄々しい心を奮い起こして、山を越え坂を越え、はるばるこの遠い鄙の地に下って来て、まだ息も休めず年月もどれほども経っていないのに、はかない世に住む人間のこととて、ぐったりと病の床に横たわってしまって、苦しみは日に日につのるばかりだ。懐かしい母君が、大船の揺れるようにゆらゆらと落ち着かず、心待ちにいつ帰ることかと恋い焦がれておられるお気持ちは、思いやるだけでさびしいし、いとしくてならない大事な妻も、夜が明けてくると門に寄り添って立ち、夕ともなると袖を折り返しては床を払い清めて、独りさびしく黒髪を靡かせて伏し、早く帰って来てほしいと嘆いてくれていることであろう。女の子も男の子も幼い子どもたちは、あっちこっちで騒いだり泣いたりしていることであろう。とはいえ、道のりははるかに遠く、ちょいちょい使いをやる手だてもない。言いたいことを言ってやることもできずに恋い慕うにつけても、心は熱く燃え上がるばかりだ。限りある命は惜しく何とかしたいと思うけれど、どうしたらよいのか手がかりもわからず、こうして豪胆であるべき男子たるものが、ただめめしく嘆き臥(ふ)してばかりいなければならぬというのか。(同上)

(注)痛けくし:苦しみは。「痛けく」は「痛し」のク語法。シは強意の助詞。(伊藤脚注)

(注)母の命:妻大嬢の母、坂上郎女。「命」は「大君の云々」と歌い起こした荘重な文脈に合わせた尊称。次の「妻の命」も同じ。(伊藤脚注)

(注)おおぶねの【大船の】[枕]:① 船の泊まる所の意から、「津」「渡り」にかかる。② 大船のゆったりとしたさま、または、揺れ動くところから、「ゆた」「ゆくらゆくら」「たゆたふ」にかかる。③ 大船を頼りにするところから、「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。④ 船を操る楫取 (かじと) りと音が似ているところから、地名「香取」にかかる。(goo辞書)ここでは②の意

(注)ゆくらゆくらなり 形容動詞:ゆらゆらと揺れ動く。(学研)

(注)したごひ【下恋ひ】名詞:心の中でひそかに恋い慕うこと。(学研)

(注)うちはらふ【打ち払ふ】他動詞:①さっと払いのける。②除き去る。③払い清める。清潔にする。(学研)

(注)黒髪敷きて:女の独り寝の姿。(伊藤脚注)

(注)まづかひ【間使ひ】名詞:消息などを伝えるために、人と人との間を行き来する使者。(学研)

(注)思ほしき:「思う」から派生した形容詞。恋しく思っている。(伊藤脚注)

(注)荒し男:私的な感情にめめしく捉われたりしないはずの、剛の男。荒れすさんだ男をいう「荒男(あらを)」とは別。(伊藤脚注)

 

短歌二首もみてみよう。

 

◆世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆

      (大伴家持 巻十七 四九六三)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)は数なきものか春花(はるはな)の散りのまがひに死ぬべき思へば

 

(訳)生きてこの世に在る人間というものは何とまあ定まりのないものであることか。春の花の散り交うにまぎれて、はかなく死んでしまうものかと思うと。(同上)

(注)かずなし【数無し】形容詞:①物の数にも入らない。はかない。②数えきれないほど多い。無数である。(学研) ここでは①の意

(注の注)仏教語「世間空」を背景に踏まえる。(伊藤脚注)

(注)まがひ【紛ひ】名詞:(いろいろのものが)入りまじること。まじり乱れること。また、入りまじって見分けがつかないこと。(学研)

 

 

◆山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟

       (大伴家持 巻十七 三九六四)

 

≪書き下し≫ 山川(やまかは)のそきへを遠みはしきよし妹(いも)を相見ずかくや嘆かむ

 

(訳)山や川を隔ててはるか遠くに離れているので、いとしいあの人に逢(あ)うこともできず、こうして独り嘆いていなければならないのか。(同上)

(注)そきへ【退き方】名詞:遠く離れたほう。遠方。果て。「そくへ」とも。(学研)

(注)はしきよし【愛しきよし】分類連語:「はしきやし」に同じ。「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「よし」

(注の注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒ 参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。(学研)

 

左注は、「右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌」<右は、天平(てんびやう)十九年の春の二月の二十日に、越中の国の守が館(たち)に病(やまひ)に臥(ふ)して悲傷(かな)しび、いささかにこの歌を作る>である。

 

 三九六二~三九六四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その909)」で紹介している。ここでは、旅人の「世間は空しきものと(七九三歌)」に関連し、三九六三歌の「世間は数なきものか」に触れている。

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家持は、長引く病に、「たまきはる 命(いのち)惜(お)しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆(なげ)き伏せらむ」と嘆きのどん底の気持ちを詠っている。

こういった心境にまで落ち込んでいる家持に、「天離(あまざか)る 鄙(ひな)も治(をさ)むる ますらをや なにか物思(ものも)ふ」と高い次元から、そして「白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり」と男たる家持に日常会話的ななぐさめは、どんなに心強いものであっただろうか。

池主の家持への心底からの慰めは家持には強く響いたと思われる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)