万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1348表⑥)―小矢部市蓮沼 万葉公園(3表⑥)―万葉集 巻十七 三月二日池主の書簡

●書簡の一部、「・・・あに慮らめや蘭蕙藂を隔て琴罇用ゐるところなからむとは空しく令節を過ぐさば物色人を軽みせむかとは・・・」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3表⑥)万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(3表⑥)にある。

 

●これは、天平十九年(747年)三月二日に大伴池主が家持に出した書簡の一部である。書簡をみていこう。

 

◆(書簡)忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能蠲戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼ゝ戯蝶廻花舞 翠柳依ゝ嬌鸎隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭蕙隔藂琴罇無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦聊擬談咲耳

     (三月二日付書簡 大伴池主)

 

≪書簡の書き下し≫たちまちに芳音(ほういん)を辱(かたじけな)みし、翰苑(かんゑん)雲を凌(しの)ぐ、兼(さら)に倭詩(わし)を垂れ、詞林(しりん)錦(にしき)を舒(の)ぶ。もちて吟じもちて詠じ、能(よ)く恋緒(れんしよ)を蠲(のぞ)く。春は樂しぶべく、暮春の風景はもとも怜(あはれ)ぶべし。紅桃(こうたう)灼々(しゃくしゃく)、戯蝶(きてふ)は花を廻(めぐ)りて舞ひ、 翠柳(すいりう)は依々(いい)、嬌鶯(けうあう)は葉に隠(かく)れて歌ふ。楽しぶべきかも。淡交(たんかう)に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る。楽しきかも美(うるは)しきかも。幽襟(いうきん)賞(め)づるに足れり。あに慮(はか)らめや、蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用ゐるところなからむとは。空(むな)しく、令節を過ぐさば、物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは。怨(うら)むるところここに有あり、黙(もだ)してやむこと能(あた)はず。俗(よ)の語(ことば)に云はく、藤を以もちて錦に続(つ)ぐといふ。いささかに談笑(だんせう)に擬(なそ)ふらくのみ。

 

(書簡の略私訳)早速、御手紙を頂戴し、その文の勢いは雲を凌ぐばかりです。さらに和歌を詠っておられますが、その詞は錦を織ったかのようです。その歌をくりかえし吟じ、今までのあなた様の思いと違う思いにおどろかされました。春は楽しむべきと思います。三月の風景には、いっそうの感動があります。紅の桃花は光輝き、戯れ飛ぶ蝶は花を舞い、青柳の葉はなよなおと、なまめかしい声の鴬は葉に隠れて鳴いています。何と楽しいことでしょう。君子とのお付き合いでお心が通じ合い、言葉も数多くはいりません。じつに楽しいし麗しいことです。お付き合いで知る奥深いお心はなんとすばらしいことでしょう。ところが、どうしたことなのでしょうか、蘭や蕙といった芳しい花々が叢にうずめ隠され、宴での琴や酒樽を使うこともないとは。空しくこのすばらしい季節をやり過ぎては、自然に侮られてしまいませんか。怨む気持ちになりませんか。語らいもできずにいるとは。世間でいうまるで藤を錦に継ぐといいますような拙い手紙の内容です。すこしでもあなた様のお笑い草にでもなればとの思いです。

(注)たちまち(に)【忽ち(に)】副詞:①またたく間(に)。すぐさま。たちどころ(に)。②突然(に)。にわか(に)。③現(に)。実際(に)。 ※古くは「に」を伴って用いることが多い(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)芳音(ほういん):有り難いお便り、(伊藤脚注)

(注)かたじけなし【忝し・辱し】形容詞:①恐れ多い。もったいない。②面目ない。恥ずかしい。③ありがたい。もったいない。▽身に余る恩恵を受けて感謝するようす。(学研)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)

(注)翰苑(かんゑん)雲を凌(しの)ぐ:文章は勢いがあって雲を凌ぐよう。「翰苑」は文壇。転じて文章。(伊藤脚注)

(注)詞林(しりん)錦(にしき)を舒(の)ぶ:言葉の綾は錦を織ったよう。「詞林」は詩歌の譬え。(伊藤脚注)

(注)ぼしゅん【暮春】;① 春の終わり。春の暮れ。晩春。② 陰暦3月の異称。(goo辞書)ここでは②の意

(注)「紅桃」、「戯蝶(きてふ)」、「翠柳(すいりう)」、「嬌鶯(けうあう)」等は遊仙窟にみえる語(伊藤脚注)

(注の注)遊仙窟:中国唐代の小説。張鷟(ちょうさく)(字(あざな)は文成)著。主人公の張生が旅行中に神仙窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と王五嫂(おうごそう)の歓待を受け、歓楽の一夜を過ごすという筋。四六文の美文でつづられている。中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来して、万葉集ほか江戸時代の洒落本などにも影響を与えた。古写本に付された傍訓は国語資料として貴重。遊僊窟。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)いい【依依】:[文][形動タリ]思い慕うさま。離れがたいさま。(goo辞書)⇒なよなよした様

(注)淡交(たんかう)に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る:淡々たる君子の交際においては席を近づけただけで、互いの心は通じ合い、ことばは不要となる。(伊藤脚注)

(注)幽襟(いうきん):交わって知られる奥深い心。(伊藤脚注)

(注)蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て:蘭と蕙との香草が叢(くさむら)を隔てているように交際もかなわず

(注の注)らんけい【蘭蕙】:蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。(goo辞書)

(注)琴樽(読み)きんそん:〘名〙 琴と酒樽。琴を奏したり酒を飲んだりすること。楽しく遊ぶこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)物色(ぶつしよく)人を軽(かろ)みせむかとは:自然の風情が人を軽んじることになりはしまいか。自然に侮られることをいう。(伊藤脚注)

(注)藤を以もちて錦に続(つ)ぐ:駄作を秀作に継ぐことの譬え(伊藤脚注)

(注)談笑(だんせう)に擬(なそ)ふらくのみ:お笑い草に当てようとするのみ。(伊藤脚注)

 

 病に倒れ気弱になっている家持をなんとか元気づけようとする書簡である。

 この書簡ならびに三九六七、三九六八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その959)」で紹介している・

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

かかる書簡や歌は二月二十日から三月五日におよぶ。その時の家持と池主のやりとりは

ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1346表①)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 このような二人が橘奈良麻呂の変にいたるにあたり袂を分かつことになるとは・・・

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典