●歌は、「山吹をやどに植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ」である。
●歌をみていこう。
四一八五・四一八六歌の題詞は、「詠山振花歌一首 幷短歌」<山吹の花を詠(よ)む歌一首 せて短歌>である。
四一八五歌からみてみよう。
◆宇都世美波 戀乎繁美登 春麻氣氐 念繁波 引攀而 折毛不折毛 毎見 情奈疑牟等 繁山之 谿敝尓生流 山振乎 屋戸尓引殖而 朝露尓 仁保敝流花乎 毎見 念者不止 戀志繁母
(大伴家持 巻十九 四一八五)
≪書き下し≫うつせみは 恋を繁(しげ)みと 春まけて 思ひ繁けば 引き攀(よ)ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと 茂山(しげやま)の 谷辺(たにへ)に生(お)ふる 山吹を やどに引き植ゑて 朝露(あさつゆ)に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず 恋し繁しも
(訳)生きてこの世にある人はとかく人恋しさに悩みがちなもので、春ともなるととりわけ物思いがつのるものだから、手許(てもと)に引き寄せて手折(たお)ろうと手折るまいと、見るたびに心がなごむだろうと、木々茂る山の谷辺に生えている山吹を、家の庭に移し植え、朝露に照り映えている花、その花を見るたびに、春の物思いは止むことなく、人恋しさが激しくなるばかりです。(同上)
(注)恋を繁みと:とかく人恋しさに悩むもので。(伊藤脚注)
(注の注)しげし【繁し】形容詞:①(草木が)茂っている。②多い。たくさんある。③絶え間がない。しきりである。④多くてうるさい。多くてわずらわしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)春まけて思ひ繁けば:春愁の人家持を示す表現。(伊藤脚注)
(注の注)春まけて:季節が春になって、という意味(weblio辞書 季語・季題辞典)
◆山吹乎 屋戸尓殖弖波 見其等尓 念者不止 戀己曽益礼
(大伴家持 巻十九 四一八六)
≪書き下し≫山吹をやどに植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
(訳)山吹を庭に移し植えては見る、が、見るたびに、物思いは止むことなく、人恋しさがつのるばかりです。(同上)
(注)四一八六歌は、長歌末尾の要約。(伊藤脚注)
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四一八五・四一八六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1317)」で「山吹」の歌とともに紹介している。
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四一八五歌の脚注に、伊藤 博氏は、「春愁の人家持」と書いておられる。
家持は、なぜ春愁の人といわれるのかをさぐってみよう。
「春愁三歌」(巻十九 四二九〇~四二九二歌)にこの真髄が見られる。代表される四二九二歌で、「心悲しもひとりし思へば」と、「人間存在そのものの孤独感を自覚した言葉」(伊藤博氏の同歌脚注)の言い回しは春愁の根底をなすものである。
万葉の時代を超越し心の奥深くの思いを吐露する新しい作風を見出している。
家持のまさに波乱にみちた生涯にわたって幾多の苦難に遭遇している。
家持の歌の題詞や左注にも「独り」というフレーズがみられるのはこのことを物語っているといえよう。
「春愁三歌」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その32改)」で紹介している。
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三九一六から三九二一の歌群の題詞と左注をみてみよう。
題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。
左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その339)」で紹介している。
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三九六五、三九六六歌の書簡もみてみよう。
「・・・今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴罇可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌・・・」<・・・今し、春朝の春花(しゆんくわ)、馥(にほ)ひを春苑に流し、春暮の春鶯(しゆんあう)、声を春林に囀(さひづ)る。この節候に対(むか)ひ、琴罇(きんそん)翫(もてあそ)ぶべし。興(きよう)に乗る感ありといへども、杖(つゑ)を策(つ)く労(ろう)に耐(あ)へず。独(ひと)り帷幄(ゐあく)の裏に臥(ふ)して、いささかに寸分の歌を作る。・・・>
書簡ならびに三九六五、三九六六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2277,2278)」で紹介している。
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四三一五から四三二〇歌の歌群の左注には、「右歌六首兵部少輔大伴宿祢家持獨憶秋野聊述拙懐作之」<右の歌六首は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持、独り秋野を憶(おも)ひて、いささかに拙懐(せつくわい)を述べて作る>とみられる。
春愁とは異なるも、聖武天皇の離宮があった高円の秋野を難波で想い見る歌である。時代の流れに飲み込まれ、今の春愁よりも過去に埋没させた己の孤独感を強調している感じが強く、時代の流れに抵抗できない無力感を代弁するフレーズとなっている。
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2300)」で紹介している。
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「独り」というフレーズをある意味、より孤独感を強調するかのように使っているようにも思える。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)