●歌は、「この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。
◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見
(大伴家持 巻十九 四二二六)
≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む
(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。
左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1017)」で紹介している。
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「ヤブコウジ」については、「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)に「『万葉集』にも山橘(ヤマタチバナ)の名で詠まれたヤブコウジは、古くから日本人に愛されてきた植物です。小型で草のように見えますが、サクラソウ科の常緑木本植物です。」と書かれている。
「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)のこの歌に関する「解説」には、「天平勝宝2年(750)12月(太陽暦2月上旬~中旬)、雪の日に作られた歌。『いざ』は人を誘うときの言葉。山橘(ヤブコウジ)は小さな赤い実がなる常緑低木。現実には雪が降っている風景のなかで、これから雪がやんで消えかかったときのことを想像した歌。消え残るまでの雪の白と、ヤブコウジの実の輝くような赤色の取り合わせが美しい。」と書かれている。
万葉集には、山橘を詠んだ歌は五首収録されている。他の四首をみてみよう。
■六六九歌■
題詞は、「春日王歌一首 志貴皇子之子母日多紀皇女也」<春日王(かすがのおほきみ)が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女といふ>である。
(注)多紀皇女は、天武天皇の娘
◆足引之 山橘乃 色丹出与 語言継而 相事毛将有
(春日王 巻四 六六九)
≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継(つ)ぎて逢ふこともあらむ
(訳)山陰にくっきりと赤いやぶこうじの実のように、いっそお気持ちを面(おもて)に出してください。そうしたら誰か思いやりのある人が互いの消息を聞き語り伝えて、晴れてお逢いすることもありましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序、「色に出づ」を起こす。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1077)」で紹介している。
➡ こちら1077
■一三四〇歌■
◆紫 絲乎曽吾搓 足檜之 山橘乎 将貫跡念而
(作者未詳 巻七 一三四〇)
≪書き下し≫紫(むらさき)の糸をぞ我(わ)が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて
(訳)紫色の糸を、私は今一生懸命搓り合わせている。山橘の実、あの赤い実をこれに通そうと思って。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)「山橘を貫(ぬ)く」とは、男と結ばれることの譬え。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その765)」で紹介している。
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■二七六七歌■
◆足引乃 山橘之 色出而 吾戀公者 人目難為名
(作者未詳 巻十一 二七六七)
≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出(い)でて我(あ)は恋ひなむ人目難(かた)みすな
(訳)山の木蔭の、藪柑子(やぶこうじ)のまっ赤な実のように、私は恋心をあたりかまわず顔に出してしまいそうだ。なのに、あなたが人目を気にするなんて・・・。まわりのことなんか気にしないでくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「色に出づ」を起こす。(伊藤脚注)
(注)なむ 分類連語:①…てしまおう。必ず…しよう。▽強い意志を表す。②…てしまうだろう。きっと…するだろう。確かに…だろう。▽強い推量を表す。③…ことができるだろう。…できそうだ。▽実現の可能性を推量する。④…するのがきっとよい。…ほうがよい。…すべきだ。▽適当・当然の意を強調する。(学研) ここでは③の意
(注)人目難(かた)みすな:だからあなたも人目を憚るな。(伊藤脚注)
■四四七一歌■
題詞は、「冬十一月五日夜小雷起鳴雪落覆庭忽懐感憐聊作短歌一首」<冬の十一月の五日の夜(よ)に、小雷起(おこ)りて鳴り、雪落(ふ)りて庭を覆(おほ)ふ。たちまちに感憐(かんれん)を懐(いだ)き、いささかに作る短歌一首>である。
◆氣能己里能 由伎尓安倍弖流 安之比奇乃 夜麻多知波奈乎 都刀尓通弥許奈
(大伴家持 巻二十 四四七一)
≪書き下し≫消残(けのこ)りの雪にあへ照るあしひきの山橘(やまたちばな)をつとに摘(つ)み来(こ)な
(訳)幸いに消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、その山橘の実を、家づとにするため行って摘んでこよう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。(学研) ここでは②の意
左注は、「右一首兵部少輔大伴宿祢家持」<右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1017)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」