万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2338)―

●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。

富山市松川べり 越中万葉歌碑ⓑ(大伴家持) 20230705撮影



●歌碑は、富山市松川べり 越中万葉歌碑ⓑである。

 

●歌をみていこう。

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

      (大伴家持 巻十九  四一三九)

     ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌について、伊藤 博氏は歌の脚注で「桃花の咲く月に入ってその盛りを幻想した歌か。春苑・桃花・娘子の配置は中国詩の影響らしい。」と書いておられる。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その825)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

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感想(1件)

 この歌碑は、七十二峰橋(しちじゅうにほうばし)の袂にある。


 「七十二峰橋」については、松川遊覧船HP「松川の七橋」に、「平成4年(1992年)3月、竣工。松川周辺環境整備事業の一環として架け替えられた。旧橋(石橋)の面影を残している。最初に橋が架けられた頃(昭和28年頃。場所はもっと松川茶屋寄り?)、七十二の峰で連なるといわれている立山連峰をここから一望できたことから、当時の市長・富川保太郎氏によって名づけられた。ちなみに、もともとの『七十二峰』という名前のいわれは、中国の仙人の住んでいる山の一つ『衡山(こうざん)』に七十二の峰があるところからだそうです。」と書かれている。

 

 四一三九歌について、「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)の「解説」に「天平勝宝2年(750)3月1日(太陽暦4月15日)の春の夕べに作られた歌2首のうちの1首。邸宅の庭の桃と李(すもも)の花を眺めて作った歌だが、実際の風景を見てよんだというよりは、漢詩的なモチーフを和歌に翻訳したのであろう。桃の花の下に立つ華麗な乙女の姿は、ペルシャからシルクロードを経て中国、日本へと伝わった『樹下美人図』を彷彿(ほうふつ)させるものがある。」と書かれている。

「樹下美人図」(摸本)
  東京国立博物館HP「画像検索」より引用させていただきました。

 

 七十二峰橋から塩倉橋まで、あと歌石板四枚と歌碑一基である。雨と風が気まぐれ的に強くなったりして、もてあそばれている感じである。

 ここまでくれば、雨にも負けず、風にも負けず待ってくれている歌碑や歌石板に逢いにいくしかない。

 

 

 「松川」の由来については、富山いきいきライオンズクラブHPに詳細に紹介されているので、引用させていただきます。

「◆松川の誕生の秘密

神通川は現在の富山市内中心部を流れていました。しかし、たびたび洪水が起こった為、明治36年から、まっすぐ富山湾に注ぐようバイパス工事が始められました(馳越線工事)。かつての河道は廃川地となり、富岩運河を掘った時の土で昭和10年までに埋め立てられましたが、右岸側約20mは残され、それが現在の松川となっています。

 

◆松川の名前の由来

『松川』という名前は、当時の中州や川辺りにたくさんあった松にちなんで、縁起が良いとつけられたということです。

 

◆馳越線工事とは

かつては富山城の北側で大きく蛇行していた神通川。湾曲しているために、堤防が決壊しやすく毎年のように起こる神通川の氾濫は当時の人々を苦しめていました。そこで明治29年から昭和12年まで三期に分けて治水工事が行なわれました。第一期『川幅拡張工事』、第二期『馳越新設工事』、第三期『改良工事』。この第二期の『馳越線工事』は明治34年に着工され、蛇行する部分に真っ直ぐな幅2mの分水路『馳越線』を開削し、明治36年に完成。その後馳越線の川幅は水の流れを利用して少しずつ川幅を広げていく方法をとり、大正3年に8月14日に起きた大洪水でついに、旧流路にはほとんど水が流れなくなり、分水路の方が神通川の本流となりました。松川はこの旧神通川の流路の名残であります。」

そして、地図や解説が書かれている。


「馳越(はせこし)線工事:青色の直流部分が現在の神通川の川筋。かつての川筋は大きく湾曲していたためもあり、洪水が絶えなかった。」

 

 松川は、蛇行部が埋め立てられた昔の神通川の川筋の名残であり、富山県民会館富山県庁、富山県警察本部などのオフィス街は、その埋め立てられたところに建てられたのである。

 

 万葉ロマンと松川ロマンにしたりながらの散策である。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」 (富山県文化振興財団発行) 

★「画像検索」 (東京国立博物館HP)

★「富山いきいきライオンズクラブHP」

★「松川の七橋」 (松川遊覧船HP)