万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2300)―

●歌は、「うぐひすの鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 四二八五~四二八七歌の題詞は、「十一日大雪落積尺有二寸 因述拙懐歌三首」<十一日に、大雪落(ふ)り積(つ)みて、尺に二寸有り。 よりて拙懐(せつくわい)を述ぶる歌三首>である。

(注)拙懐:自分の思い。「拙」は謙辞。(伊藤脚注)

 

 四二八五歌からみてみよう。

 

◆大宮能 内尓毛外尓母 米都良之久 布礼留大雪 莫踏祢乎之

        (大伴家持 巻十九 四二八五)

 

≪書き下し≫大宮の内(うち)にも外(と)にもめづらしく降れる大雪な踏(ふ)みそね惜(を)し

 

(訳)大宮の内にも外にも一面に、珍しく降り積もっている大雪、この見事な雪を、踏み荒らしてくれるな、勿体ない。(同上)

(注)そね 分類連語:〔副詞「な」…「そね」の形で〕…してほしくない。…しないでほしい。▽やわらかな禁止を表す。 ⇒なりたち:禁止の終助詞「そ」+相手に望む願望の終助詞「ね」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)大宮の内の雪を見てのいとしみ。雪は止んで一面に積っている。(伊藤脚注)

 

 

◆御苑布能 竹林尓 鸎波 之波奈吉尓之乎 雪波布利都ゝ

       (大伴家持 巻十九 四二八六)

 

≪書き下し≫御園生(みそのふ)の竹の林にうぐひすはしば鳴きにしを雪は降りつつ

 

(訳)御苑(ぎよえん)の竹の林で、鴬(うぐいす)はひっきりなしに鳴いていたのに、雪はなおも降り続いていて・・・(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)御園生:ここは皇居の御苑。前歌の「大宮」を「御園生」に絞った。(伊藤脚注)

(注の注)みそのふ【御園生】名詞:お庭。 ▽「園生(そのふ)」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)

(注)しば鳴きにしを:しきりに鳴いていたのに。次歌と共に大宮の外で御苑を想う歌。雪が再び降り出した。(伊藤脚注)

(注の注)しば【廔】副詞:しばしば。しきりに。 ⇒参考:主に「しば立つ」「しば鳴く」「しば見る」のように、動詞のすぐ上に付いてその動詞を修飾するので、形の上では接頭語に近い。(学研)

 

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◆鸎能 鳴之可伎都尓 ゝ保敝理之 梅此雪尓 宇都呂布良牟可

        (大伴家持 巻十九 四二八七)

 

≪書き下し≫うぐひすの鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

 

(訳)鴬が鳴いて飛んだ御庭の内に美しく咲いていた梅、あの梅の花は、この降る雪に今頃散っていることであろうか。(同上)

(注)前歌の「うぐひす」「御園生」を承け、新たに取り合わせの「梅」を持ち出した歌。前歌共々幻想か。(伊藤脚注)

(注)かきつ【垣内】:《「かきうち」の音変化か》垣根に囲まれたうち。屋敷地の中。かいと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:美しく咲いている。美しく映える。(学研)

(注)うつろふ【移ろふ】自動詞①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは④

 

 

十二日にも雪にちなんで歌が詠まれている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「十二日侍内裏聞千鳥喧作歌一首」<十二日に、内裏(うち)に侍(さもら)ひて、千鳥(ちどり)の喧(な)くを聞きて作る歌一首>である。

(注)さもらふ【侍ふ・候ふ】自動詞:①お仕え申し上げる。おそばにお控え申し上げる。▽貴人のそばに仕える意の謙譲語。②参る。参上する。うかがう。▽「行く」「来(く)」の謙譲語。③(貴人のそばに)あります。ございます。▽「あり」の謙譲語。④あります。ございます。▽「あり」の丁寧語。

 

 

◆河渚尓母 雪波布令ゝ之 宮裏 智杼利鳴良之 為牟等己呂奈美

       (大伴家持 巻十九 四二八八)

 

≪書き下し≫川洲(かはす)にも雪は降(ふ)れれし宮の内に千鳥鳴くらし居(ゐ)む所なみ

 

(訳)川の洲にまでも雪は降り積もっている、だからこそ、大宮の内で千鳥が鳴くのであるらしい。どこにも下り立つところがないとて。(同上)

(注)四二八五の「大宮の内」「降れる」を承け、前日の歌と、素材構成上一連をなす。(伊藤脚注)

(注)川洲:佐保川の川洲であろう。(伊藤脚注)

(注)降れれし:降り積もっているものだから。シは強意。(伊藤脚注)

(注)なみ【無み】※派生語。 ➡なりたち形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」(学研)

 

 四二八五~四二八七歌、四二八八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その547)」で紹介している。

 ➡ 

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 四二八五~四二八七歌の題詞に、「拙懐(せつくわい)を述ぶる歌」とあったが、この「拙懐(せつくわい)を述ぶ」は、四三一五~四三二〇歌の左中にも使われている。

 この歌群をみてみよう。

 

 四三一五歌からみてみよう。

 

◆宮人乃 蘇泥都氣其呂母 安伎波疑尓 仁保比与呂之伎 多加麻刀能美夜

       (大伴家持 巻二十 四三一五)

 

≪書き下し≫宮人(みやひと)の袖付(そでつ)け衣(ころも)秋萩(あきはぎ)ににほひよろしき高円(たかまと)の宮(みや)

 

(訳)宮仕えの女官たちの着飾っている長袖の着物、その着物の色が秋萩の花に照り映えてよく似合う、高円の宮よ。(同上)

(注)そでつけごろも【袖付け衣】:① 端袖(はたそで)のついた長袖の衣。② 袖のついた衣。肩衣(かたぎぬ)に対していう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは①の意

(注)高円の宮:…中腹には,天智天皇の皇子志貴皇子(しきのみこ)の離宮を寺としたと伝えられる白毫(びやくごう)寺がある。《万葉集》には,聖武天皇が〈高円の野〉で遊猟したときの歌や,同天皇離宮と考えられる〈高円の宮〉を詠んだ歌などがみえる。歌枕で,萩や月など秋の景物がよく詠まれる。…(コトバンク 世界大百科事典より)

 

 

◆多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母

      (大伴家持 巻二十 四三一六)

 

≪書き下し≫高円の宮の裾廻(すそみ)の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも

 

(訳)高円の宮のあちこちの高みで、今頃盛んに咲いているであろう、あのおみなえしの花は、ああ。(同上)

(注)すそみ【裾回・裾廻】名詞:山のふもとの周り。「すそわ」とも。 ※「み」は接尾語。(学研)

(注)のづかさ【野阜・野司】名詞:野原の中の小高い丘。(学研)

 

 

 

◆秋野尓波 伊麻己曽由可米 母能乃布能 乎等古乎美奈能 波奈尓保比見尓

       (大伴家持 巻二十 四三一七)

 

≪書き下し≫秋野には今こそ行かめもののふの男女(をとこをみな)の花にほひ見に

 

(訳)花咲き乱れる秋の野には、今こそ出かけてみたいものだ。大宮仕えする男女の着物が、花に照り映えるのを見るために。(同上)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)

(注)花にほひ:花の色で衣が映発するさま

 

 

◆安伎能野尓 都由於弊流波疑乎 多乎良受弖 安多良佐可里乎 須具之弖牟登香

        (大伴家持 巻二十 四三一八)

 

≪書き下し≫秋の野に露(つゆ)負(お)へる萩(はぎ)を手折(たを)らずてあたら盛りを過ぐしてむとか

 

(訳)秋の野に露を浴びて咲く萩、その萩を手折って賞(め)でることもなく、いたずらに花の盛りを見過ごしてしまうというのか。(同上)

(注)あたら【惜・可惜】副詞:もったいないことに。惜しいことにも。 ⇒参考 形容詞「あたらし」のもとをなす部分で、立派なものに対し、その価値相当に扱われないことを残念だという感情を表す。(学研)

(注)てむ 分類連語:①…てしまおう。▽強い意志を表す。②きっと…だろう。きっと…にちがいない。▽推量を強調する。③…できるだろう。▽実現の可能性を推量する。④…してしまうのがよい。…してしまうべきだ。▽適当・当然の意を強調する。 ⇒ 参考 「てん」とも表記される。 ⇒ なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の未然形+推量の助動詞「む」(学研)

(注)とか 分類連語:〔(文末にあって)伝聞を表す〕…とかいうことだ。 ⇒ なりたち格助詞「と」+係助詞「か」(学研)

 

 

◆多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良牟可

       (大伴家持 巻二十 四三一九)

 

≪書き下し≫高円の秋野の上(うへ)の朝霧(あさぎり)に妻呼ぶを鹿(しか)出で立つらむか

 

(訳)高円の秋の野面(のづら)に立ちこめる朝霧、その霧の中に、今頃は妻呼ぶ雄鹿が立ち現われていることであろうか。(同上)

 

 

◆麻須良男乃 欲妣多天思加婆 左乎之加能 牟奈和氣由加牟 安伎野波疑波良

       (大伴家持 巻二十 四三二〇)

 

≪書き下し≫すらをの呼び立てしかばさを鹿(しか)の胸(むね)別(わ)け行かむ秋野萩原(はぎはら)

 

(訳)男子(おのこ)たちが大声で追い立てたりすると、雄鹿が胸で押し分ける遠ざかって行ってしまう、萩咲き乱れる秋の野よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌を含む四三一五から四三二〇歌の歌群の左注は、「右歌六首兵部少輔大伴宿祢家持獨憶秋野聊述拙懐作之」<右の歌六首は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持、独り秋野を憶(おも)ひて、いささかに拙懐(せつくわい)を述べて作る>である。

 

 四三一五~四三二〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1069)」で紹介している。

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 巻二十 四三六〇~四三六二歌の題詞にも「拙懐」が使われている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「陳私拙懐一首 幷短歌」<私(ひそ)かなる拙懐を陳(の)ぶる一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)私(ひそ)かなる拙懐:四三三一~四三三六に吐露した防人への痛みの裏に張りついていた、ひそやかな思い。(伊藤脚注)

(注)諸国から防人の集う難波の繁栄を、兵部少輔として讃えている。(伊藤脚注)

 

天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓ゝ 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都ゝ 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都ゝ 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎ゝ保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良ゝ尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母

       (大伴家持 巻二十 四三六〇)

 

≪書き下し≫すめろきの 遠き御代(みよ)にも おしてる 難波(なには)の国に 天(あめ)の下(した) 知らしめしきと 今の緒(を)に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏(かしこ)し 神(かむ)ながら 我ご大君(おほきみ)の うち靡(なび)く 春の初めは 八千種(やちくさ)に 花咲きにほひ 山見れば 見の羨しく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄(さか)ゆる時と 見(め)したまひ 明らめたまひ 敷きませる 難波(なには)の宮は きこしをす 四方(よも)の国より 奉(たてまつ)る 御調(みつき)の舟は 堀江より 水脈引(みをび)きしつつ 朝なぎに 楫(かぢ)引き上(のぼ)り 夕潮(ゆふしほ)に 棹(さを)さし下(くだ)り あぢ群(むら)の 騒(さわ)き競(きほ)ひて 浜に出でて 海原(うなはら)見れば 白波(しらなみ)の 八重(やへ)をるが上(うへ)に 海人小船(あまおぶね) はららに浮きて 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へまつると をちこちに 漁(いざ)り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代(かむよ)ゆ 始めけらしも

 

(訳)いにしえの天皇の遠い御代にも、照り輝くこの難波の国で天下をお治めになったと、今の世までずっと言い伝えられており、口の端(は)にかけるのも何とも恐れ多いことではあるが、神さながらに我が大君が、草木の靡く春の初めはとりどりに花が咲き誇り、山を見ると見るからに心が引かれ、川を見ると見るからにすがすがしくて、物それぞれに栄える時だと、しかと御覧遊ばし御心をお晴らしになり、都となさっている難波の宮、この宮に向かって、お治めになる四方の国々から奉る貢(みつ)ぎ物の船は、堀江から水脈(みお)あとに引きながら、朝凪(あさなぎ)には櫂(かい)を操ってさかのぼって来、夕潮には、棹(さお)をさして下って来る・・・。折しも、味鴨の群のように騒ぎ争って浜に出て海原を見渡すと、白波が幾重にも重なって砕ける海の上に、海人の小舟が点々と浮かんで、御膳(ごぜん)の用に差し上げようと、あちらこちらで魚を釣っている。ああ、何とまあ広大なことか。ああ、何とまあ豊かなことか。こんな有様を見ると、遥かなる神の御代から今の今まで都をこの地に営まれたのも、まことにもっともなことに思われる。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おしてる【押し照る】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。「押し照るや」とも。「おしてる難波の国に」(学研)

(注)今の緒:今の時を緒に譬えたもの。「絶えず」と縁をなす。(伊藤脚注)

(注の注)を【緒】名詞:①糸。紐(ひも)。②弓や楽器の弦。つる。③鼻緒。④長く続くこと。また、長く続くもの。(学研)

(注)ともし【羨し】 形容詞:①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)ここでは①の意

(注)見(め)したまひ 明らめたまひ:しかとご覧になられ、心を晴れ晴れさせて。(伊藤脚注)

(注)きこしをす【聞こし食す】他動詞:お治めあそばす。 ※「聞く」の尊敬語「きこす」の連用形に尊敬の動詞「をす」の付いたもの。上代語。(学研)

(注)みを【水脈・澪】名詞:川や海の中の、帯状に深くなっている部分。水が流れ、舟の通る水路となる。 ⇒参考→みをつくし(学研)

(注)あぢむらの【䳑群の】[枕]:アジガモが群がって鳴き騒ぐ意から「かよふ」「さわく」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はららに:ぽつりぽつりと。(伊藤脚注)

(注)そきだく 副詞:はなはだしく。非常に。まことに。(学研)

(注)おぎろなし賾なし】〘形ク〙 (「なし」は形容詞をつくる接尾語): 広大である。果てしなく奥深い。→賾(おぎろ)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)こきばく [副]程度のはなはだしいさま。(goo辞書)

 

 短歌二首もみてみよう。

 

◆櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮尓 伎許之賣須奈倍

       (大伴家持 巻二十 四三六一)

 

≪書き下し≫桜花(さくらばな)今盛りなり難波の海(うみ)おしてる宮に聞こしめすなへ

 

(訳)桜の花は今やまっ盛りだ。難波の海、その照り輝かく宮で天下をお治めになる折しも。(同上)

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 

 

◆海原乃 由多氣伎見都々 安之我知流 奈尓波尓等之波 倍奴倍久於毛保由

       (大伴家持 巻二十 四三六二)

 

≪書き下し≫海原(うなはら)のゆたけき見つつ葦(あし)が散る難波に年は経(へ)ぬべく思ほゆ

 

(訳)大海原のゆったりしたさまを見ていると、葦の花散るここ難波の地で年月はいくら経ってもよいように思われる。(同上)

(注)ゆたけし【豊けし】形容詞:①(空間的に)ゆったりとしている。広々としている。②(気持ち・態度などに)ゆとりがある。おおらかだ。③(勢いなどが)盛大だ。(学研)ここでは①の意

(注)年は経(へ)ぬべく思ほゆ:過ごしていたい気持ちになる。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二月十三日兵部少輔大伴宿祢家持」<右は、二月の十三日、兵部少輔大伴宿禰家持>である。

 

 題詞の(注)に、「私(ひそ)かなる拙懐:四三三一~四三三六に吐露した防人への痛みの裏に張りついていた、ひそやかな思い。(伊藤脚注)」とあったが、この四三三一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1390)」で紹介している。

 ➡ 

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四二八五~四二八七歌の題詞の「拙懐」は、都の大雪を見てでの思いである。それは越中とは異なる「雪」なのである。越中時代はこれからの希望を踏まえた雪であり、目の前の雪は、心に積る雪なのである。越中時代のある意味厳しい雪、その雪を思い起こさせる都の雪、現実から逃避したい思いがそこにはあるように思える。

 

四三一五から四三二〇歌の歌群の左注の「拙懐」は、天平勝宝六年(754年)、家持は、難波の京で聖武天皇離宮のあった高円の秋の野を思い描きながらこの六首を詠っているのである。これも越中で思い描いた希望に満ちた未来とは異なる現実の世界、そこからの現実逃避の歌といっても差し支えはないだろう。越中時代に格段の飛躍をみせ、次を見据えるような歌の姿はもうない。

 

四三三一~四三三六歌の題詞の「私(ひそ)かなる拙懐」は、防人たちのいわば本音の叫びに、自分のそれこそ密かな思いと共鳴させ、大伴氏こそ代々の天皇に仕えてきた名門であることを「私(ひそ)かなる拙懐」として歌い上げたのである。

ここにも現実逃避的な思いが垣間見られるのである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

★「コトバンク 世界大百科事典」