万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2301)―

●歌は、「秋風の吹き扱き敷ける花の庭清き月夜に見れど飽かぬかも」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安吉加是能 布伎古吉之家流 波奈能尓波 伎欲伎都久欲仁 美礼杼安賀奴香母

      (大伴家持 巻二十 四四五三)

 

≪書き下し≫秋風の吹き扱(こ)き敷(し)ける花の庭清き月夜(つくよ)に見れど飽かぬかも

 

(訳)秋風が吹きしごいて一面に敷いた花の庭、このお庭は、清らかな月の光の中で、見ても見ても見飽きることがない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)吹き扱(こ)き敷(し)ける:吹きしごいて一面に散り敷く。(伊藤脚注)

(注の注)こく【扱く】他動詞:しごき落とす。むしり取る。(学研)

(注)清き:結句とともに讃美の言葉。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首兵部少輔従五位上大伴宿祢家持 未奏」<右の一首は、兵部少輔従五位上大伴宿禰家持 未奏>である。

(注)未奏:奏上せずに終わった歌。(伊藤脚注)

(注)家持の位階を記したのはこの歌のみで、奏上した安宿王の位階表記に準じたものと思われる。

 

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 安宿王の歌もみてみよう。

題詞は、「八月十三日在内南安殿肆宴歌二首」<八月の十三日に、内(うち)の南(みなみ)の安殿(やすみどの)に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首>である。

(注)内(うち)の南(みなみ)の安殿(やすみどの):内裏の南の大安殿か。(伊藤脚注)

 

◆乎等賣良我 多麻毛須蘇婢久 許能尓波尓 安伎可是不吉弖 波奈波知里都々

       (安宿王 巻二十 四四五二)

 

≪書き下し≫娘子(をとめ)らが玉裳(たまも)裾引(すそび)くこの庭に秋風(あきかぜ)吹きて花は散りつつ

 

(訳)おとめたちが美しい裳裾を引いてそぞろに歩くこのお庭に、秋風が吹いて、花ははらはらと散り続けるばかり。

(注)風雅な景物、「玉裳」「秋風」「花」を取り合わせた讃歌。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首内匠頭兼播磨守正四位下安宿王奏之」<右の一首は、内匠頭(たくみのかみ)兼(けん)播磨守(はりまのかみ)正四位下安宿王(あすかべのおほきみ)奏す>である。

(注)内匠頭:内務省内匠寮の長官。従五位下相当。(伊藤脚注)

 

 安宿王ならびに歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1120)」で紹介している。

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 安宿王長屋王の息子)は、橘奈良麻呂の変にあって、弟の山背王の密告により獄に下り、妻子とともに佐渡に配流となった。

 

長屋王(ながやおう)については、「コトバンク 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」に次のように書かれている。

 「天武天皇の孫で、高市(たけち)皇子の子。母は天智天皇の子で元明天皇の姉御名部(みなべ)皇女か。文武天皇の同母妹吉備内親王を正妻とし、親王に準じる高い待遇をうけた。元明天皇の信頼あつく、720年(養老4)の藤原不比等(ふひと)の死後は政権の中核となり、右大臣ついで左大臣に任じられ、良田百万町の開墾計画(722)、三世一身の法の制定(723)などの諸政策を実施した。しかし724年(神亀元)の聖武天皇の即位後は、藤原武智麻呂(むちまろ)ら不比等4子の勢力が強まり、729年(天平元)謀反の罪で妻子とともに自殺に追いこまれた(長屋王の変)。漢詩文をよくし、自邸でしばしば詩宴を催したほか、仏教の信仰もあつかった。王の邸宅跡からは多くの木簡が出土している。

 

 長屋王、息子の安宿王ともに反藤原氏であったが敗れているのである。

 万葉集は、有間皇子大津皇子をはじめ時の権力に歯向かった(事実はいかにあれ)者たちの歌も収録されているのである。家持の歌の交友大伴池主(奈良麻呂の変で歴史から名を消す)しかり。広い意味では、柿本人麻呂もしかりである。

 長屋王も五首収録されている。改めてみてみよう。

 

■巻一 七五歌■

◆宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓

      (長屋王 巻一 七五)

 

≪書き下し≫宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣(ころも)貸(か)すべき妹(いも)もあらなくに

 

(訳)宇治間山、ああ、この山の朝風は寒い。旅先にあって、衣(ころも)を貸してくれそうな女(ひと)もいないのに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)宇治間山:吉野への途中、奈良県吉野郡吉野町上市東北の山。(伊藤脚注)

(注)あらなくに【有らなくに】分類連語:ないことなのに。あるわけではないのに。 ⇒参考:文末に用いられるときは詠嘆の意を含む。 ⇒なりたち:ラ変動詞「あり」の未然形+打消の助動詞「ず」の未然形の古い形「な」+接尾語「く」+助詞「に」(学研)

(注)衣貸すべき:共寝をしてくれそうな、の意。(伊藤脚注)

 

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■巻三 二六八歌■

題詞は、「長屋王故郷歌一首」<長屋王(ながやのおほきみ)が故郷(ふるさと)の歌一首>である。

(注)694年の藤原遷都後、明日香を訪れての詠らしい。(伊藤脚注)

 

◆吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嬬待不得而

      (長屋王 巻三 二六八) 

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が古家(ふるへ)の里(さと)の明日香(あすか)には千鳥鳴くなり妻待ちかねて

 

(訳)あなたがの古家(ふるえ)の残る里の、ここ明日香では、千鳥がしきりに鳴いています。我が妻を待ちわびて・・・。(同上)

(注)我が背子:長屋王の友人であろう。(伊藤脚注)

(注)古家:母屋以外の取り残された家屋か。(伊藤脚注)

 

左注は、「右今案従明日香遷藤原宮之後作此歌歟」<右は、今案(かむが)ふるに、明日香より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、この歌を作るか>である。

 

 

■巻三 三〇〇歌■

題詞は、「長屋王駐馬寧樂山作歌二首」<長屋王、馬を奈良山に駐(と)めて作る歌二首>である。

(注)ならやま 奈良山:奈良県北部、奈良盆地の北方、奈良市京都府木津川(きづがわ)市との境界を東西に走る低山性丘陵。平城山、那羅山などとも書き、『万葉集』など古歌によく詠まれている。古墳も多い。現在、東半の奈良市街地北側の丘陵を佐保丘陵、西半の平城(へいじょう)京跡北側の丘陵を佐紀丘陵とよぶ。古代、京都との間に東の奈良坂越え、西の歌姫越えがあり、いまは国道24号、関西本線近畿日本鉄道京都線などが通じる。奈良ドリームランド(1961年開園、2006年閉園)建設後は宅地開発が進み、都市基盤整備公団(現、都市再生機構)によって平城・相楽ニュータウンが造成された。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

(注)この歌は、長屋王が奈良の佐保に住む以前の作らしい。(伊藤脚注)

 

 

◆佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣

        (長屋王 巻三 三〇〇)

 

≪書き下し≫佐保(さほ)過ぎて奈良の手向(たむ)けに置く幣(ぬさ)は妹(いも)を目離(めか)れず相見(あひみ)しめとぞ

 

(訳)佐保を通り過ぎて奈良山の手向けの神に奉る幣は、あの子に絶えず逢わせたまえという願いからなのです。

(注)佐保:奈良市法蓮町・法華寺町一帯(伊藤脚注)

(注)たむけ【手向け】名詞:①神仏に供え物をすること。また、その供え物。旅の無事を祈る場合にいうことが多い。②「手向けの神」の略。③旅立つ人に贈る餞別(せんべつ)。はなむけ。 ⇒参考:本来は、旅人が旅の無事を祈って塞の神に幣を供えることで、旅人は、幣として木綿(ゆう)・布や五色の紙などを細かく切ったものを携行し、神前にまいた。「たむけ」をする場所は、①の用例のように海路にもあったが、多くは陸路の山道を登りつめた所が多かった。中世以降、「たむけ」が「たうげ」へとウ音便化し、「とうげ(峠)」になった。(学研)ここでは①の意

(注)ぬさ【幣】名詞:神に祈るときの捧(ささ)げ物。古くは麻・木綿(ゆう)などをそのまま用いたが、のちには織った布や紙などを用い、多く串(くし)につけた。また、旅には、紙または絹布を細かに切ったものを「幣袋(ぬさぶくろ)」に入れて携え、道中の「道祖神(だうそじん)」に奉った。(学研)

 

 この歌の歌碑は、佐保台西町JR平城山駅前と歌姫町添御懸坐神社境内にある。



■巻三 三〇一歌■

◆磐金之 凝敷山乎 超不勝而 哭者泣友 色尓将出八方

        (長屋王 巻三 三〇一)

 

≪書き下し≫岩が根のこごしき山を越えかねて音(ね)には泣くとも色に出(い)でめやも

 

(訳)根を張るごつごつした山、そんな山を越えるに越えかねて、つい声に出して泣くことはあっても、あの子を思っていることなど、そぶりに出したりはすまい。(同上)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒ なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

■巻八 一五一七歌■

◆味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉乃 散莫惜毛

        (長屋王 巻八 一五一七)

 

≪書き下し≫味酒(うまさけ)三輪(みわ)の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉(もみち)の散らまく惜しも

 

(訳)三輪の社(やしろ)の山を照り輝かしている秋のもみじ、そのもみじの散ってしまうのが惜しまれてならぬ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。「うまさけ三輪の山」 ⇒参考 枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(学研)

 

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 長屋王の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その31改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「コトバンク 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」