万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2302)―

●歌は、「あらたまの年行き返り春立たばまづ我がやどにうぐひすは鳴け」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持)  
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首」<十二月の十八日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆安良多末能 等之由伎我敝理 波流多々婆 末豆和我夜度尓 宇具比須波奈家

       (大伴家持 巻二十 四四九〇)

 

≪書き下し≫あらたまの年行き返(がへ)り春立たばまづ我が宿にうぐひすは鳴け

 

(訳)年が改まって新しい春を迎えたなら、まっ先に、このわれらの庭先で、鴬よ、お前は鳴くのだぞ。(同上)

 

 万葉集の終焉に向かって或る意味、だらだらと宴会歌が続くのである。そこには、かつてのような前向きな、明日を夢見る気持ちはなく、かつての親しい仲間を失い、体制の中に捉われ懐古に浸る歌が多い。しかも、歌を準備するも奏上できなかったものも多い。家持のオーラが萎え、進み出て奏上する場の空気もないのであろう。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1086)」で紹介している。その1086では、巻末まで順を追って、家持の歌をとりあげている。

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 万葉集の歌で「橘奈良麻呂の変」前後を追ってみよう。

 

■■天平勝宝九歳(757年)

  6月23日 四四八三歌(家持)    三形王宅の宴

  6月28日              山背王の告発

  7月 2日               内相藤原仲麻呂への密告

  7月 4日               橘奈良麻呂の変

   4日以降?四四八四歌(家持)

        四四八五歌(家持)

■■天平宝字元年(757年)八月に改元

11月28日 四四八六歌(大炊王 後の淳仁天皇

        四四八七歌(藤原仲麻呂

12月18日 四四八八歌(三形王)    三形王宅の宴

        四四八九歌(甘南備伊香真人)

        四四九〇歌(大伴家持

        四四九一歌(古歌)

 

■四四八三歌

題詞は、「勝寶九歳六月廿三日於大監物三形王之宅宴歌一首」<勝宝九歳(757年)六月二十三日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌一首>である。

(注)六月二十三日:山背王の密告で橘奈良麻呂の謀反が漏れた五日前

 

◆宇都里由久 時見其登尓 許己呂伊多久 牟可之能比等之 於毛保由流加母

       (大伴家持 巻二十 四四八三)

 

≪書き下し≫移り行く時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも

 

(訳)次々と移り変わってゆく季節のありさまを見るたびに、胸をえぐられるばかりに、昔の人が思い出されてなりません。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)昔の人:亡くなった聖武天皇橘諸兄のこと

 

左注は、「右兵部大輔大伴宿祢家持作」<右は、兵部大輔大伴宿禰家持作る>である。

(注)兵部大輔:6月16日に任官。

 

 「移り行く」、「心痛く」、「昔の人」と受け身的・懐古的な後ろ向きのワードが並んでいる。越中時代の「馬並めていざ打ち行かな」、とか巻十九の巻頭歌以下三日間で十五首(二日で十二首)を作った勢いを感じさせるものは微塵もない。

 「この激動の時勢の中にあって、傍観者的態度で移り行く現在の時を眺め、現在に何らか対処しようとせず、過去を懐かしんでいるのである。(「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 學燈社

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1044)」で紹介している。

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■四四八四歌

◆佐久波奈波 宇都呂布等伎安里 安之比奇乃 夜麻須我乃祢之 奈我久波安利家里

         (大伴家持 巻二十 四四八四)

 

≪書き下し≫咲く花はうつろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり

 

(訳)はなやかに咲く花はいつか散り過ぎる時がある。しかし、目に見えぬ山菅の根こそは、ずっと変わらず長く続いているものなのであった。(同上)

(注)上二句は三三八三歌の上二句を承けている。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首大伴宿祢家持悲怜物色變化作之也」<右の一首は、大伴宿禰家持、物色(ぶっしょく)の変化(うつろ)ふことを悲しび怜(あはれ)びて作る>である。

(注)ぶっしょく【物色】[名](スル):①多くの中から、適当な人や物を探し出すこと。②物の色や形。また、景色や風物。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

(注)この歌ならびに四四八五歌は、奈良麻呂事件が発覚し、池主他多くの知人を失った7月4日以降の作らしい。(伊藤脚注)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1159)」で紹介している。

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■四四八五歌

◆時花 伊夜米豆良之母 加久之許曽 賣之安伎良米晩 阿伎多都其等尓

       (大伴家持 巻二十 四四八四)

 

≪書き下し≫時の花いやめづらしもかくしこそ見(め)し明らめめ秋立つごとに

 

(訳)季節の花、この花を見れば見るほど心引かれる。今ここに見られるままにずっとご覧になって私どもの願いどおりに御心を晴らされることであろう。秋が来るたびごとに、ずっと。(同上)

(注)時の花:今の季節の秋の花。以下、前歌の上二句を踏まえる天皇讃歌。心底にあるのは聖武天皇。(伊藤脚注)

(注)あきらむ【明らむ】他動詞:①明らかにする。はっきりさせる。②晴れ晴れとさせる。心を明るくさせる ⇒注意:現代語の「あきらめる」は「断念する」意味だが、古語の「明らむ」にはその意味はない。

(注)め 推量の助動詞「む」の已然形。(学研)

(注)あきたつ【秋立つ】分類連語:(暦のうえで)秋になる。立秋になる。(学研)

 

左注は、「右大伴宿祢家持作之」<右は、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

■四四八六歌

題詞は、「天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴歌二首」<天平宝字(てんびやうほじ)元年の十一月の十八日に、内裏(うち)にして肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首>である。

 

◆天地乎 弖良須日月乃 極奈久 阿流倍伎母能乎 奈尓乎加於毛波牟

       (大炊王 巻二十 四四八六)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)を照らす日月(ひつき)のきはみなくあるべきものを何(なに)をか思はむ

 

(訳)天地(あめつち)を照らす日月(にちげつ)、この日月と同じに、天皇の御代は果てしもなく続くものなのだ。なのに、何を思い煩うことがあろうぞ。(同上)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

 

左注は、「右一首皇太子御歌」<右の一首は、皇太子の御歌>である。

(注)皇太子:舎人皇子の子、大炊王(おおいのおおきみ)。この年の四月四日に立太子。後の淳仁天皇

 

 

■四四八七歌

◆伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波

       (藤原仲麻呂 巻二十 四四八七)

 

≪書き下し≫いざ子どもたはわざなせそ天地(あめつち)の堅(かた)めし国ぞ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)皆々の者よ、狂(たわ)けた振舞いだけはして下さるな。天地の神々が造り固めた国なのだ。この大和島根は。(同上)

(注)こども【子供・子等】名詞:①(幼い)子供たち。▽自分の子にも、他人の子にもいう。②(自分より)若い人たちや、目下の者たちに、親しみをこめて呼びかける語。 ⇒参考 「ども」は複数を表す接尾語。現代語の「子供」は単数を表すが、中世以前に単数を表す例はほとんど見られない。(学研) ここでは②の意

(注)たはる【戯る・狂る】自動詞:①みだらな行為をする。色恋におぼれる。②ふざける。たわむれる。③くだけた態度をとる。(学研)

(注の注)たはわざ:橘奈良麻呂の反乱を背景にして言った語。

 (注)やまとしまね【大和島根】名詞:①「やまとしま」に同じ。②日本国の別名。(学研)

 

 「第一等の権勢を手にした者のいかにも誇らかな歌・・・『いざ子ども』は目下の者、部下たちなどに親しく呼びかける語で、肆宴の場でいかにも仲麻呂の思い上がったことばである。」(「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 學燈社

 

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 四四八六、四四八七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1011)」で紹介している。

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■四四八八歌

題詞は、「十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首」<十二月の十八日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆三雪布流 布由波祁布能未 鴬乃 奈加牟春敝波 安須尓之安流良之

       (三形王 巻二十 四四八八)

 

≪書き下し≫み雪降る冬は今日(けふ)のみうぐひすの鳴かむ春へは明日(あす)にしあるらし

 

(訳)白雪の降り敷く冬、その冬は今日が限り。鶯の鳴き出す春のころおいは、もう明日に迫っているのです。(同上)

(注)明日(あす)にしあるらし:春になった気持ちで楽しんでほしいという主人の挨拶歌。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首主人三形王」<右の一首は主人(あろじ)三形王>である。

 

 

■四四八九歌

◆宇知奈婢久 波流乎知可美加 奴婆玉乃 己与比能都久欲 可須美多流良牟

       (甘南備伊香真人 巻二十 四四八九)

 

≪書き下し≫うち靡く春を近みかぬばたまの今夜(こよい)の月夜(つくよ)霞(かす)みたるらむ

 

(訳)暦の春も迫りうららかな春がもうすぐそこに来ているせいでしょうか、今夜の月空はこんなに薄ぼんやりと霞んでいます。(同上)

(注)霞(かす)みたるらむ:前歌の「春」を承け、実景によって春の近いことを保証した歌。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1226)」で紹介している。

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■四四九〇歌

◆安良多末能 等之由伎我敝理 波流多々婆 末豆和我夜度尓 宇具比須波奈家

       (大伴家持 巻二十 四四九〇)

 

≪書き下し≫あらたまの年行き返(がへ)り春立たばまづ我が宿にうぐひすは鳴け

 

(訳)年が改まって新しい春を迎えたなら、まっ先に、このわれらの庭先で、鴬よ、お前は鳴くのだぞ。(同上)

(注)前歌の第二句、四四八八の第三・四句を承けながら全体を納める。(伊藤脚注)

 

 

■四四九一歌

◆於保吉宇美能 美奈曽己布可久 於毛比都々 毛婢伎奈良之思 須我波良能佐刀

       (石川女郎 巻二十 四四九一)

 

≪書き下し≫大(おほ)き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引(もび)き平(なら)しし菅原(すがはら)の里

 

(訳)大きな海の水底(みなそこ)、その心の底深く思いをこめながら、裳を引いて行きつ戻りつしてお待ちした菅原の里よ。ああかつてはそんな里であったのに。(同上)

(注)裳引(もび)き平(なら)しし菅原(すがはら)の里:以前は行きつ戻りつしてお待ちしたこの菅原の里なのに、今はああ。右の宴で家持が披露した歌。(伊藤脚注)

(注の注)裳引き:女性が裳の裾を長引きずること。(学研)

(注の注)も【裳】名詞:①上代、女性が腰から下を覆うようにまとった衣服。「裙(くん)」とも。◇「裙」とも書く。②平安時代、成人した女性が正装のときに、最後に後ろ腰につけて後方へ長く引き垂らすようにまとった衣服。多くのひだがあり、縫い取りをして装飾とした。③僧が、腰から下にまとった衣服。 ⇒参考:②の用例は、平安時代の貴族の女子の成人の儀式である「髪上(かみあ)げ」と「裳着(もぎ)」をいっている。⇒もぎ(学研)ここでは①の意

(注の注)ならす【均す・平す】他動詞:平らにする。(学研)

 

 左注は、「右一首藤原宿奈麻呂朝臣之妻石川女郎薄愛離別悲恨作歌也 年月未詳」<右の一首は、藤原宿奈麻呂朝臣(ふぢはらのすくなまろのあそみ)が妻(め)石川女郎(いしかはのいらつめ)、愛を薄くし離別せらえ、悲しび恨みて作る歌 年月未詳>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その22改)」で紹介している。

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 このように見てくると、万葉集も立派な歴史書である。万葉集の奥深さ。世の中の動きに対して、歌を通して訴えようとしている力を感じさせるのである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉