●歌は、「池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を扱入れな」である。
●歌をみていこう。
◆伊氣美豆尓 可氣佐倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈
(大伴家持 巻二〇 四五一二)
≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さえ見えて咲きにほふ馬酔木(あしび)の花を袖(そで)に扱(こき)いれな
(訳)お池の水の面に影までくっきり映しながら咲きほこっている馬酔木の花、ああ、このかわいい花をしごいて、袖の中にとりこもうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)こきいる【扱き入る】他動詞:しごいて取る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌は、題詞「山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首」の内の一首である。三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(475)」で紹介している。
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天平宝字二年(758年)二月に中臣清麻呂の宅で宴があり、題詞「二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十五首」<二月に、式部大輔(しきぶのだいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌十五首>の歌群、四四九六から四五〇五歌(実際はこの十首)、題詞「依興各思高圓離宮處作歌五首」<興に依りて、おのもおのも高円(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思ひて作る歌五首>の歌群、四五〇六から四五一〇歌、題詞「属目山斎作歌三首」<山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首>の歌群、四五一一から四五一三歌まで、計十八首が収録されている。
第一ラウンドは、主の中臣清麻呂、大原今城真人、大伴家持、市原王(いちはらのおほきみ)、甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)の歌が、第二ラウンドでは、主の中臣清麻呂、大原今城真人、大伴家持、甘南備伊香真人、第三ラウンドでは、三形王(みかたのおほきみ)、大伴家持、甘南備伊香真人の歌が収録されている。
「高円の離宮処を思ひて」は、二年前の天平勝宝八年(756年)五月に亡くなった聖武天皇を偲んでの歌である。彼らは聖武天皇を強く敬慕するグループであった。
家持は、天平勝宝八年(756年)からこの宴の天平宝字二年(758年)の3年間に歴史のとてつもない大きな波に呑み込まれていったのである。
年表的におってみよう。
■天平勝宝八年(756年)
五月 三日:聖武太上天皇死去
五月十一日:大伴古慈斐(こしび)が朝廷を誹謗したとして拘禁される
(藤原仲麻呂の讒言)
六月十七日:家持「族(やから)を喩す歌」(巻二十 四四六五~四四六七歌)を
詠み大伴一族の自重を促す
■天平勝宝九年(757年)
正月:橘諸兄死去
七月四日:橘奈良麻呂の変(佐伯氏・多治比氏・大伴氏はほとんど根こそぎ葬られる)
八月:年号は天平宝字と改められる
■天平宝字元年(757年)
十一月:藤原仲麻呂勝利宣言の歌(巻二十 四四八七)
■天平宝字二年(758年)
藤原仲麻呂、右大臣に昇進「恵美押勝(えみのおしかつ)の名を賜わる
「族(やから)を喩す歌」は、題詞「喩族歌一首幷短歌」<族(やから)を喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。
◆比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎ゝ 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都ゝ 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓 美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代ゝゝ 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母
(大伴家持 巻二十 四四六五)
≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし すめろきの 神の御代(みよ)より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添へて 大久米(おほくめ)の ますらたけをを 先に立て 靫(ゆき)取り負(お)ほせ 山川を 岩根(いはね)さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天の日継(ひつぎ)と 継ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言(こと)立(だ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負(お)へる ますらをの伴(とも)
(訳)遥かなる天つ空の戸、高天原(たかまのはら)の天の戸を開いて、葦原(あしはら)の国高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あまくだ)られた皇祖(すめろき)の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢(まかごや)を手挟み添え、大久米のますら健男(たけお)を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居(い)つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇(すめろき)、その尊い御末(みすえ)として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖(おや)の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本(かがみ)にもしようものを、ああ、貶(おとし)めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも祖先の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)はじ弓:やまはぜで作った弓
(注)真鹿子矢(まかごや):鹿の角などを用いた矢か。
(注)ゆき【靫・靱】名詞:武具の一種。細長い箱型をした、矢を携行する道具で、中に矢を差し入れて背負う。 ※中世以降は「ゆぎ」。(学研)
(注)まぐ【覓ぐ・求ぐ】他動詞:探し求める。尋ねる。 ※上代語。(学研)
(注)みやばしら【宮柱】名詞:宮殿や神殿の柱。皇居の柱。(学研)
(注)ふとしる【太知る・太領る】他動詞:(宮殿の柱を)しっかりと造る。 ※「ふと」は接頭語、「しる」は領有する意。上代語。(学研)
(注)あたらし【惜し】もったいない。惜しい。※参考「あたらし」と「をし」の違い 「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(学研)
(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語。(学研)
(注)空言(むなこと)も:かりそめにも
短歌もみてみよう。
◆之奇志麻乃 夜末等能久尓々 安伎良氣伎 名尓於布等毛能乎 己許呂都刀米与
(大伴家持 巻二十 四四六六)
≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国に明(あき)らけき名に負(お)ふ伴(とも)の男(を)心つとめよ
(訳)磯城島の大和の国に、隠れもなき由来高き名に支えられている大伴の者どもよ、心奮い立たせて努めよ。(同上)
(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。(学研)
(注)あきらけし【明らけし】形容詞ク活用:①清らかだ。けがれがない。②はっきりしている。明白だ。③賢明だ。聡明(そうめい)だ。(学研)
◆都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之曽乃名曽
(大伴家持 巻二十 四四六七)
≪書き下し≫剣太刀(つるぎたち)いよよ磨(と)ぐべしいにしへゆさやけく負ひて来(き)にしその名ぞ
(訳)剣太刀を磨くというではないが、心をいよいよ磨ぎ澄まして張りつめるべきだ。遠く遥かなる御代から紛れもなく負い持って来た大伴という由来高き名なのだ。(同上)
(注)さやけし【清けし・明けし】形容詞:①明るい。明るくてすがすがしい。清い②すがすがしい。きよく澄んでいる。 ⇒参考 「さやけし」と「きよし」の違い 「さやけし」は、「光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす」を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、「さやけし」は対象から受ける感じ、「きよし」は対象そのもののようすをいうことが多い。(学研)
左注は、「右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任 是以家持作此歌也」<右は、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)が讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いづものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこしびのすくね)任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る>である。
(注)大伴古慈斐:当時大伴氏の年長者
天平宝字元年(757年)十一月の肆宴の時の藤原仲麻呂と皇太子(後の淳仁天皇)の歌もみてみよう。
題詞は、「天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴歌二首」<天平宝字(てんびやうほじ)元年の十一月の十八日に、内裏(うち)にして肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首>である。
◆天地乎 弖良須日月乃 極奈久 阿流倍伎母能乎 奈尓乎加於毛波牟
(大炊王 巻二十 四四八六)
≪書き下し≫天地(あめつち)を照らす日月(ひつき)のきはみなくあるべきものを何(なに)をか思はむ
(訳)天地(あめつち)を照らす日月(にちげつ)、この日月と同じに、天皇の御代は果てしもなく続くものなのだ。なのに、何を思い煩うことがあろうぞ。(同上)
(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)
左注は、「右一首皇太子御歌」<右の一首は、皇太子の御歌>である。
(注)皇太子:舎人皇子の子、大炊王(おおいのおおきみ)。この年の四月四日に立太子。後の淳仁天皇。
◆伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波
(藤原仲麻呂 巻二十 四四八七)
≪書き下し≫いざ子どもたはわざなせそ天地(あめつち)の堅(かた)めし国ぞ大和島根(やまとしまね)は
(訳)皆々の者よ、狂(たわ)けた振舞いだけはして下さるな。天地の神々が造り固めた国なのだ。この大和島根は。(同上)
(注)こども【子供・子等】名詞:①(幼い)子供たち。▽自分の子にも、他人の子にもいう。②(自分より)若い人たちや、目下の者たちに、親しみをこめて呼びかける語。 ⇒参考 「ども」は複数を表す接尾語。現代語の「子供」は単数を表すが、中世以前に単数を表す例はほとんど見られない。(学研) ここでは②の意
(注)たはる【戯る・狂る】自動詞:①みだらな行為をする。色恋におぼれる。②ふざける。たわむれる。③くだけた態度をとる。(学研)
(注の注)たはわざ:橘奈良麻呂の反乱を背景にして言った語。
(注)やまとしまね【大和島根】名詞:①「やまとしま」に同じ。②日本国の別名。(学研)
中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、「『たはわざな為(せ)そ』―この、いささか気違いじみたことばの中に、狂ったこの時代の様子が、ありありと見てとれるだろう、この仲麻呂の意のままに、大炊王は宝字二年(758年)に即位、淳仁天皇となる。家持の最後の歌は、この翌年正月に歌われたわけである。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」