―その2010―
●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(16)である。
●歌をみていこう。
◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
(山部赤人 巻六 九二五)
≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く
(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ぬばたま:黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギはアヤメ科の多年草で、アヤメのように、刀形の葉が根元から扇状に広がっている。この姿が、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。
(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉)
この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの前群の反歌二首のうちの一首である。前群は吉野の宮を讃える長歌(九二三歌)と反歌二首(九二四・九二五歌)であり、後群は天皇を讃える長歌(九二六歌)と反歌一首(九二七歌)という構成をなしている。
「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」については、すべて拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その125)」で紹介している。
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吉野の宮については、吉野町HPに「飛鳥時代の天皇、斉明天皇が吉野にお造りになられた離宮です。以来、大海人皇子(後に天武天皇)、持統天皇、文武天皇、元正天皇、聖武天皇などの行幸がありました。特に、大海人皇子が吉野宮に来られた時には、壬申の乱という大きな内乱の起点となり、古代史上、大きな役割を果たしました。また、天皇の行幸と共に、万葉集などの歌が詠まれました。」そして、宮滝遺跡について、「宮滝遺跡は、飛鳥時代から奈良時代にかけてあったとされる吉野宮の跡と考えられています。宮滝の集落のほぼ全域から、飛鳥時代~奈良時代の遺物が確認されており、大型の掘立柱建物跡や池状遺構などが確認されています。」と書かれている。
宮滝遺跡と史跡宮滝遺跡の範囲 (吉野町HPより引用させていただきました。)
史跡宮滝遺跡の碑は、柿本人麻呂の吉野従駕の歌(巻一 三六、三七歌)とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その771)」で紹介している。
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―その2011―
●歌は、「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(17)である。
●歌をみていこう。
◆橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹
(聖武天皇 巻六 一〇〇九)
≪書き下し≫橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹
(訳)橘の木は、実も花もめでたく、そしてその葉さえ、冬、枝に霜が降っても、ますます栄えるめでたい木であるぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)いや 感動詞:①やあ。いやはや。▽驚いたときや、嘆息したときに発する語。②やあ。▽気がついて思い出したときに発する語。③よう。あいや。▽人に呼びかけるときに発する語。④やあ。それ。▽はやしたてる掛け声。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」<冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王等(かづらきのおほきみたち)、姓橘の氏(たちばなのうぢ)を賜はる時の御製歌一首>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1044)」で紹介している。
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聖武天皇の歌は万葉集では、十二首が収録されている。みてみよう。
■五三〇歌■
題詞は、「天皇賜海上女王御歌一首 寧樂宮即位天皇也」<天皇(すめらみこと)、海上女王(うなかみのおほきみ)に賜ふ御歌一首 寧樂(なら)の宮(みや)に即位したまふ天皇なり>である。
◆赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思
(聖武天皇 巻四 五三〇)
≪書き下し≫赤駒(あかごま)の越ゆる馬柵(うませ)の標結(しめゆ)ひし妹(いも)が心は疑ひもなし
(訳)うっかりすると元気な赤駒が飛び越えて逃げる柵(さく)をしっかりと結い固めるように、私のものだと標(しめ)を結って固めておいたあなたの心には何の疑いもない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「標結ふ」を起こす。(伊藤脚注)
(注)ゆふ【結ふ】他動詞:①結ぶ。縛(しば)る。②髪を調え結ぶ。髪を結う。③組み立てる。作り構える。こしらえる。④縫う。つくろう。糸などで結び合わせる。 ⇒参考:「ゆふ」と「むすぶ」の違い 「ゆふ」も「むすぶ」も紐状のものをからみ合わせるという点で同じ意を表すが、本来、「ゆふ」は、ある形に作りなすという面が強く、「むすぶ」は、固定して離れないようにするという面が強いとみられる。(学研)
左注は、「右今案 此歌擬古之作也 但以時當便賜斯歌歟」<右は、今案(かむが)ふるに、この歌は古(いにしへ)に擬(なず)らふる作なり。ただし、時の当れるをもちてすなはちこの歌を賜ふか>であある。
(注)古(いにしへ)に擬(なず)らふる作:古歌を模した歌。(伊藤脚注)
(注)時の当れるをもちて:時の事情に相応したので。狩などの行幸の折の歌か。(伊藤脚(注)梓(あずさ)は、ミズメのことである。
五三〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1536)」で紹介している。
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■六二四歌■
題詞は、「天皇思酒人女王御製歌一首 女王者穂積皇子之孫女也」<天皇、酒人女王(さかひとのおほきみ)を思ほす御製歌一首 女王は、穂積皇子の孫女なり>である。
(注)酒人女王:題詞の注以外経歴不明。(伊藤脚注)
◆道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 戀云君妹
(聖武天皇 巻四 六二四)
≪書き下し≫道に逢ひて笑(ゑ)まししからに降る雪の消(け)なば消(け)ぬがに恋ふといふ我妹(わぎも)
(訳)「道でお逢いしてほほえまれたばっかりに、まるで降る雪の消えるように、消え入るなら消えてしまえとばかりにお慕いしています」と、そう言ってくれるそなたよ。(同上)
(注)からに 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。①〔原因・理由〕…ために。ばかりに。②〔即時〕…と同時に。…とすぐに。③〔逆接の仮定条件〕…だからといって。たとえ…だとしても。…たところで。▽多く「…むからに」の形で。 ⇒参考:格助詞「から」に格助詞「に」が付いて一語化したもの。上代には「のからに」「がからに」の形が見られるが、これらは名詞「故(から)」+格助詞「に」と考える。(学研)ここでは①の意
(注)ふるゆきの【降る雪の】[枕]:雪が消えるところから、また白いところから、「消(け)」「白」などにかかる。「け(消・日)」「いちしろし」「行き」などを起こす序詞の一部にも用いた。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■九七三歌■
◆食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者
(聖武天皇 巻六 九七三)
≪書き下し≫食(を)す国の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝(いまし)らが かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 我(わ)れは遊ばむ 手抱(たむだ)きて 我(わ)れはいまさむ 天皇(すめら)我(わ)れ うづの御手(みて)もち かき撫(な)でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来(こ)む日 相(あひ)飲(の)まむ酒(き)ぞ この豊御酒(とよみき)は
(訳)朕が治める国の遠く離れた政庁に、そなたたたちがこうして出向いたなら、心安らかに私は日々楽しんでいられよう。腕を組んで私は時を過ごしておいでになれよう。天皇たる私は、尊い御手で、そなたたちの髪を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちの頭(こうべ)を撫でてねぎらい給うぞ。そなたたちが帰って来る日、その日に相ともにまた飲む酒であるぞ。この奇(くす)しき酒は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)をす【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)
(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)
(注)たむだく【拱く・手抱く】自動詞:両手を組む。何もしないで腕組みをする。「たうだく」とも。(学研)
(注)います【坐す・在す】自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
(注の注)いまさむ:自敬表現。下の「うづの御手もち」「ねぎたまふ」も同じ。天皇という絶対的地位に対する尊敬。(伊藤脚注)
(注)うづの御手もち:私の高貴なる手で。(伊藤脚注)
■九七四歌■
◆大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴
(聖武天皇 巻六 九七四)
≪書き下し≫ますらをの行くといふ道ぞおほろかに思ひて行くなますらをの伴
(訳)これからの道、ますらおたるものが行くという厳しい道であるぞ。通りいっぺん思って行くではないぞ。ますらおのこたちよ、(同上)
(注)とも【伴】名詞:(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。◇上代語。(学研)
左注は、「右御歌者或云太上天皇御製也」<右の御歌は、或(ある)いは「太上天皇(おほきすめあみこと)の御製なり>である。
(注)太上天皇:ここは、四四代元正天皇。この類の歌は臣下の壮行歌として慣用されたので、この異伝がある。(伊藤脚注)
九七三、九七四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1367)」で紹介している。
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■一〇三〇歌■
◆妹尓戀 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡
(聖武天皇 巻六 一〇三〇)
≪書き下し≫妹(いも)に恋ひ吾(あが)の松原見わたせば潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る
(訳)あの子に恋い焦がれて逢える日を我(あ)が待つという吾(あが)の松原、この松原を見わたすと、潮が引いた干潟に向かって、鶴が鳴き渡っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)いもにこひ【妹に恋ひ】( 枕詞 ):妹に恋い「我(あ)が待つ」の意から、地名「吾(あが)の松原」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
題詞は、「天皇御製歌一首」<天皇(すめらみこと)の御製歌一首>である。
左注は、「右一首今案 吾松原在三重郡 相去河口行宮遠矣 若疑御在朝明行宮之時所製御歌 傳者誤之歟」<右の一首は、今案(かむが)ふるに、吾の松原は三重(みへ)の郡(こほり)にあり。河口(かはぐち)の行宮(かりみや)を相去ること遠し。けだし朝明(あさけ)の行宮に御在(いま)す時に製(つく)らす御歌なるを、伝ふる者誤(あやま)れるか。>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その423)」で紹介している。
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■一五三九歌■
題詞は、「天皇御製歌二首」<天皇(すめらみこと)の御製歌二首>である。
◆秋田乃 穂田乎鴈之鳴 闇尓 夜之穂杼呂尓毛 鳴渡可聞
(聖武天皇 巻八 一五三九)
≪書き下し≫秋の田の穂田(ほだ)を雁(かり)がね暗(くら)けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
(訳)秋の田の穂田を刈るという名を持つ雁(かり)が、まだ暗いのに、夜の明けきらないうちから、鳴き渡っていく。(同上)
(注)ほだ【穂田】名詞:稲の穂が出そろった田。(学研)
(注)「秋の田の穂田(ほだ)を」が序。「雁」を起す。(伊藤脚注)
(注)ほどろ 名詞:〔「夜(よ)のほどろ」の形で〕:(夜が)明け始めるころ。明け方。◇上代語。 ⇒参考:「ろ」は接尾語。(二)は、中古に入って上代語の原義が忘れられ、「ほど」を「程」と解してできた語。(学研)
■一五四〇歌■
◆今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曽 色付丹来
(聖武天皇 巻八 一五四〇
≪書き下し≫今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)寒く聞きしなへ野辺(のへ)の浅茅(あさぢ)ぞ色(いろ)づきにける
(訳)今朝の明け方、雁の声を寒々と耳にした折しも、野辺一帯の浅茅がすっかり色づいているのを見た。私は。(同上)
(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)
■一六一五歌■
題詞は、「天皇賜報和御歌一首」<天皇の報和(こた)へ賜(たま)ふ御歌一首>である。
◆大乃浦之 其長濱尓 縁流浪 寛公乎 念比日<[大浦者遠江國之海濱名也>
≪書き下し≫大(おほ)の浦(うら)のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ<大の浦は遠江の国の海浜の名なり>
(訳)大の浦のその長い浜にうち寄せる波のように、心ゆったりとあなたのことを思っている今日このごろです。(同上)
(注)大の浦:静岡県磐田市。上三句は序。「ゆたけく」を起す。(伊藤脚注)
(注)ゆたけし【豊けし】形容詞ク活用:①(空間的に)ゆったりとしている。広々としている。②(気持ち・態度などに)ゆとりがある。おおらかだ。③(勢いなどが)盛大だ。(学研)ここでは②の意
■一六三八歌■
◆青丹吉 奈良乃山有 黒木用 造有室者 雖居座不飽可聞
(聖武天皇 巻八 一六三八)
≪書き下し≫あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(むろ)は座(ま)せど飽(あ)かぬかも
(訳)奈良の山にある黒木を用いて造った新室、この新室は、いつまでいても飽きることがない。(同上)
(注)ます【坐す・座す】自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)ここでは①の意
(注の注)天皇が自身に敬語を用いたもの。いわゆる自敬表現。(伊藤脚注)
左注は、「右聞之御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製」<右は、聞くに「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)が佐保(さほ)の宅(いへ)に御在(いま)して肆宴(とよのあかり)したまふときの御製」と>である。
(注)肆宴:天皇の饗宴。ここは室寿ぎ。室寿ぎは冬に行われるのが習い。(伊藤脚注)
■四二六九歌
◆余曽能未尓 見者有之乎 今日見者 年尓不忘 所念可母
(聖武天皇 巻十九 四二六九)
≪書き下し≫よそのみに見ればありしを今日(けふ)見ては年に忘れず思ほえむかも
(訳)外ながら見るだけであった以前ならともかく、今日こうして見たからには、もう毎年忘れずに思い出されることであろうな。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
左注は、「右一首 太上天皇御製」<右の一首は太上天皇(おほきみのすめらみこと)の御歌>
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その190)」で紹介している。
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―その2012―
●歌は、「岩つなのまたをちかえりあをによし奈良の都をまたも見むかも」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(18)である。
●歌をみていこう。
一〇四四~一〇四六歌の題詞は、「傷惜寧樂京荒墟作歌三首 作者不審」<寧楽(なら)の京の荒墟(くわうきよ)を傷惜(いた)みて作る歌三首 作者審らかにあらず>である。
(注)寧楽の京の荒墟:天平十二年(740年)から同十七年奈良遷都まで古京と化したのである。
◆石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
(作者未詳 巻六 一〇四六)
≪書き下し≫岩つなのまたをちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも
(訳)這(は)い廻(めぐ)る岩つながもとへ戻るようにまた若返って、栄えに栄えた都、あの奈良の都を、再びこの目で見ることができるであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)岩綱【イワツナ】:定家葛の古名、岩に這う蔦や葛の総称(weblio辞書 植物名辞典)
(注の注)「石綱(イワツナ)」は「石葛(イワツタ)」と同根の語で岩に這うツタのことだが、延びてもまた元に這い戻ることから「かへり」にかかる枕詞となる、(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)
(注)をちかへる【復ち返る】自動詞:①若返る。②元に戻る。繰り返す。(学研)
一〇四四から一〇四六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1097)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio辞書 植物名辞典」
★「吉野町HP」