●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。
●歌をみていこう。
◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
(山部赤人 巻六 九二五)
≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く
(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ぬばたま:黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギはアヤメ科の多年草で、アヤメのように、刀形の葉が根元から扇状に広がっている。この姿が、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。
(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その728)」で紹介している。
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「吉野町喜佐谷 桜木神社」の九二四の歌碑、「象の小川」等についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その776)」で紹介している。
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今回の巻頭かは巻九から巻十二である。みてみよう。
■■巻頭歌 巻九~十二■■
■巻九 一六六四歌■
題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知らしめす大泊瀬幼武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)の御製歌一首>である。
(注)泊瀬朝倉宮:桜井市初瀬脇本灯明田。(伊藤脚注) 古墳時代の第二十一代雄略天皇が営んだ宮殿
(注)ぎょう【御宇】名詞:その天皇が天下をお治めになった期間。御代(みよ)。ご治世。※「宇」は世界の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)萬葉集では、「天(あめ)の下(した)知(し)らしめす」と読む。
◆暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
(雄略天皇 巻九 一六六四)
≪書き下し≫夕(ゆふ)されば小倉(をぐら)の山に伏す鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寐寝る(いね)にけらしも
(訳)夕方になると、小倉の山で伏せることにしている鹿、その莬餓(とが)野の鹿同様危険にさらされた鹿は、どうしてか、今夜に限って鳴かない。大丈夫かな、なに、今夜は妻に巡り逢えて無事寝込んだのであるらしい。(伊藤 博 著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)伏す鹿:危険にさらされる鹿の意があった。仁徳紀「莬餓(とが)野の鹿」の話を参照。シは強意の助詞で、下のランに応ずる。(伊藤脚注)
左注は、「右或本云崗本天皇御製 不審正指 因以累載」<右は、或本には「岡本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製といふ。正指(せいし)を審らかにせず、よりて累(かさ)ね載(の)す>である。
(注)正指(せいし)を:どれが正しいかを。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その93改)」で紹介している。
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万葉歌碑を訪ねて(その93改)―桜井市立朝倉小学校近くの脇本春日神社―万葉集 巻九 一六六四 - 万葉集の歌碑めぐり
■巻十 一八一二歌■
◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下
(柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)
※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。
≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも
(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」で紹介している。
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万葉歌碑を訪ねて(その73改)―桧原神社南口―万葉集 巻十 一八一四 - 万葉集の歌碑めぐり
■巻十一 二三五一歌■
題詞は「旋頭歌」である。
◆新室 壁草苅迩 御座給根 草如 依逢未通女者 公随
(作者未詳 巻十一 二三五一)
≪書き下し≫新室(にひむろ)の壁(かべ)草刈(くさか)りにいましたまはね 草のごと寄り合う娘子(をとめ)は君がまにまに
(訳)今新しく建てている家の壁草を刈りにいらっしゃいな、その草の靡(なび)くようにここに寄り集まる娘子(おとめ)たちは、あなたの思(おぼ)し召しのまま。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)にひむろ【新室】名詞:新しく造った家や部屋。(学研)
(注)ごと【如】①…のように。…のよう。▽連用形「ごとく」と同じ用法。②…のようだ。▽終止形「ごとし」と同じ用法。 ⇒参考:(1)活用語の連体形や、助詞「の」「が」に付く。(2)上代から中古末ごろまで和文系の文章に用いられた。→ごとし(学研)
(注)よりあふ【寄(り)合う】[動]:① 寄り集まる。多数の者が1か所に集まる。②互いに近づいて一緒になる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
二三五一から二三六二歌の左注は、「右十二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」である。
巻十一は、人麻呂歌集・古歌集ならびに出典未詳歌の恋歌からなる。目録によれば、「古今相聞往来歌類の上」となっている。
■巻十二 二八四一歌■
◆我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
(作者未詳 巻十二 二八四一)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が朝明(あさけ)の姿(すがた)よく見ずて今日(けふ)の間(あひだ)を恋ひ暮らすかも
(訳)あの方が明け方帰って行かれる姿、その姿をはっきりと見とどけることができなくて、今日一日中、恋しさにうち沈んでいる。(同上)
(注)あさけ【朝明】名詞:朝早く、東の空の明るくなるころ。 ⇒参考:「あさあけ」の変化した語。「あさけ」は「あかとき(あかつき)」よりも朝に近い時刻をさす。(学研)
この歌によく似た歌が、巻十 一九二五歌にある。こちらもみてみよう。
題詞は、「悲別」である。
(注)悲別歌は家に残る女の歌であることが多い。(伊藤脚注)
◆朝戸出乃 君之儀乎 曲不見而 長春日乎 戀八九良三
(作者未詳 巻十 一九二五)
≪書き下し≫朝戸出(あさとで)の君が姿をよく見ずて長き春日(はるひ)を恋ひや暮らさむ
(訳)朝早く出て行かれるあなたのお姿を、よく見ないまま送り出して、この長い春の一日を、恋い焦がれながら暮らすことでしょうか、私は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あさとで【朝戸出】名詞:朝、戸を開けて出て行くこと。(学研)
夜な夜な通ってくる男も、人の噂には立ちたくなく、早々に帰って行く。姿をじっくりと見ておけばという切ない女の気持ちが詠われている。
二八四一から二八六三歌の左注は、「右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出」である。
巻十二は、目録によれば「古今相聞往来歌類の下」となっており、巻十一と姉妹巻になっている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会)