万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その73改)―桧原神社南口―万葉集 巻十 一八一四

●歌は、「古の人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」である。

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桧原神社南口付近万葉歌碑(柿本人麻呂

 

●歌碑は、桧原神社南口から山の辺の道にでるとすぐ左手にある。

 

●歌を見てみよう。

 

◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏微 春者来良之

                (柿本人麻呂 巻十 一八一四)

    ※漢字が見当たらないので「微」としているが「雨かんむり+微」である。

 

≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし

(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。

 

 

 前日(4月22日)、社務所で訪ねたがわからなかった柿本人麻呂の歌碑である。山の辺の道から桧原神社への途中にはなかった。また神社から井寺の池方面に行く道のもないことは確認できている。あとは神社から玄寳庵に行く山の辺の道にあるはずとふむ。境内の南口から山の辺の道が三輪方面に続いている。この道をたどれば玄寳庵に行くことができるので、三つ鳥居に拝礼をして南口を出る。何と出てすぐの左手方向に歌碑があったのだ。前日見つけることができなかったのは、ここまで足を延ばしていなかったこが敗因であった。

 

 桧原神社は、拝殿等が無く、三ツ鳥居がある。

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桧原神社三ツ鳥居

 三ツ鳥居に関しては、産経ニュース(2015年12月31日付)に次のように紹介されている。

 「大神神社の摂社・桧原神社(桜井市)の『三ツ鳥居』(高さ約3・1メートル)が、伊勢神宮式年遷宮に伴う古材を使い建て直された。真新しい独特の形の鳥居が参拝者を迎えている。三ツ鳥居は明神(みょうじん)型の鳥居を3つ組み合わせた形。別名、三輪鳥居ともいわれ、大神神社にも三ツ鳥居(高さ約3・6メートル、重文)がある。

 桧原神社は伊勢神宮と同じ天照大神を祭神とし、「元伊勢」とも呼ばれる。三ツ鳥居がどうして生まれたかは不明だが、本殿に代わるものとして神聖視されており、室町時代以降の古図には三ツ鳥居が描かれている。

 古い三ツ鳥居は伊勢神宮の第59回式年遷宮(昭和28年)の後、内宮(ないくう)外玉垣東御門の古材を譲り受けて40年に建てられた。古くなったため、第62回式年遷宮(平成25年)を終えた同神宮から今年3月、別宮・倭姫宮(やまとひめのみや)の参道鳥居に使われていた古材を譲り受け、11月に建て直された。」

 

 

 

 

 万葉集巻十の部立は、「春雑歌」「春相聞」「夏雑歌」「夏相聞」「秋雑歌」「秋相聞」「冬雑歌」「冬相聞」となっている。先頭の歌群は大半が、柿本人麻呂歌集の歌である。人麻呂歌集の歌が万葉集にあって特別な位置にあるのは明らかである。

 

 この歌碑の歌は、部立「春雑歌」の先頭歌群(一八一二~一八一八)のひとつである。 

 歌群の歌をみていこう。(「霞霏微」の「微」は、漢字が見当たらないので「微」としているが「雨かんむり+微」である。)

 

◆一八一二 久方之 天芳山 此夕 霞霏微 春立下

≪書き下し≫ひさかたの天の香具山この夕(ゆふへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。

 

◆一八一三 巻向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方

≪書き下し≫巻向の檜原に立てる春霞おほにし思はばなづみ來(こ)めやも

(訳)この巻向の檜原にぼんやりと立ち込めている春霞、その春霞のように、この地をなおざりに思うのであったら、何で歩きにくい道をこんなに苦労してまでやって来るものか

(注)おほに<おほなり:①いい加減だ、おろそかだ。

            ②ひととおりだ。平凡だ。

 

◆一八一五 子等我手乎 巻向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏微

≪書き下し≫子らが手を巻向山に春されば木(こ)の葉しのぎて霞たなびく

(訳)あの子の手をまくという名の巻向山、その山に春がやって来たので、木々の葉を押し伏せるようにして霞がたなびいている

 

◆一八一六 玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏微

≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく

(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟師(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。

(注)さつひと【猟人】かりゅうど。猟師。さつお。(goo辞書)

 

◆一八一七 今朝去而 明日香来る牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微

≪書き下し≫今朝(けさ)行(ゆ)きて明日(あす)には来(こ)ねと言ひし子か朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく

(訳)今朝はひとまずお帰りになっても、今夜はまたきっと来て下さいと言ったあの子ででもあるのか、その朝妻の山に霞がたなびいている。

(注)明日:今夜の意。日没から一日が始まるとという考えによる。

 

◆一八一八 子等名丹 關之宣 朝妻之 片山木之尓 霞多奈引

≪書き下し≫子らが名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山崖(かたやまきし)に霞たなびく

(訳)あの子の名に懸けて呼ぶにふさわしい朝妻山の、その片山の崖に霞がたなびいている。

 左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出」である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「産経ニュース(2015年12月31日付)」

★「goo辞書」

★「weblio古語辞書」