万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

「山振之立儀足山清水酌尓雖行道之白鳴」会いに行きたいが「黄泉」の国への道がわからない(万葉歌碑を訪ねて―その74―)

高市皇子十市皇女が薨った時に詠んだ「山振之立儀足山清水酌尓雖行道之白鳴」(山吹<やまぶき>の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく)の歌は、山吹の花が「黄」山清水が「泉」を匂わしているという。会いたいが「黄泉」の国への道がわからない、なんという「妹」への気持ちであることか。

 

●サンドイッチは、今日もピーナツペーストを使った。いつも挟むロメインレタスやサンチュはサラダ仕様に。デザートは、りんごの縦切りを4枚ヨーグルトの真ん中に立て、トンプソンやレッドグローブで加飾した。

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5月12日のザ・モーニングセット

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5月12日のフルーツフルデザート

 

 

●万葉歌碑を訪ねて―その74―

  「山吹の立ちしげみたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」

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奈良県桜井市玄賓庵近くの万葉歌碑(高市皇子

 

 この歌碑は、奈良県桜井市玄賓庵(げんぴあん)近くにある。

 玄賓庵とは、桜井市HP「社寺を巡る」によると、「今から千百年前、平安時代初期、高徳僧で名医でもあった玄賓僧都が隠棲したと伝える庵。もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移された。」とある。

 

 桧原神社から三輪への山の辺の道を,10分ほど歩けば「玄賓庵」に行ける。桧原神社の南口を出たところで、柿本人麻呂の歌碑「古に人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」を見つけた。そこからだらだらと下り山の辺の道を進む。

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玄賓庵へ山の辺の道を下る

 山道である。歌碑めぐりのいでたちではやや場違いな感じである。すれ違う人に挨拶を交わし、ひたすら歩く。突き当りに石積みの寺院の塀らしきものが見えてくる。その左手に歌碑があった。パイプから水を細い滝のように垂れ流している側に歌碑がある。山清水を汲むからの演出かと思うが。

 玄賓庵の正面入り口まで足を延ばす。

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玄賓庵玄関

 玄関の脇の瓦の飾り瓦が鳩である。

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飾り瓦の鳩(玄賓庵)

 ここからまた桧原神社に引き返す。今度は上りである。

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桧原神社に戻る登り坂(山の辺の道)

 

 

歌を見てみる。

高市皇子の歌は万葉集に三首収録されていることは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その68―」でもふれており、今回の歌碑の歌も紹介している。再掲載する。

 

◆山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴

                   (高市皇子 巻二 一五八)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

(訳)黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)「山吹」に「黄」を、「山清水」に「泉」を匂わす。

 

題詞「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」とあり、そのうちの一首である。

題詞の書き下しは、「十市皇女(といちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首」

 

 他の二首は次の通りである。

◆神山之 山邊真蘇木綿    短木綿 如此耳故尓 長等思伎

                 (高市皇子 巻二 一五七)

 

≪書き下し≫三輪山(みわやま)の山邊(やまべ)真蘇木綿(まそゆふ)短木綿(みじかゆふ)かくのみゆゑに長くと思ひき

(訳)三輪山の麓に祭る真っ白な麻木綿(あさゆふ)、その短い木綿、こんなに短いちぎりであったのに、私は末長くとばかり思い頼んでいたことだった。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)真蘇木綿(まそゆふ):麻を原料とした木綿 (ゆう)(コトバンク デジタル大辞泉

 

◆三諸之 神之神須疑 巳具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多

                  (高市皇子 巻二 一五六)

 

≪書き下し≫みもろの神の神杉(かむすぎ)巳具耳矣自得見監乍共(第三、四句、訓義未詳)寝(い)ねる夜(よ)ぞ多き

    ※第三、四句:①こぞのみをいめにはみつつ

           ②いめにだにみむちすれども

           ③よそのみをいめにはみつつ

           ④いめにのみみえつつともに

 

(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、巳具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「紀曰七年戌寅夏四月丁亥朔癸巳十市皇女卒然病發薨於宮中」とある。

左注の書き下しは、「紀には「七年戌寅(つちのえとら)の夏の四月丁亥(ひめとゐ)の朔(つきたち)の癸巳(みずのとみ)に、十市皇女、にはかに病(やまひ)発(おこ)りて宮の中(うち)の薨(こう)ず」といふ。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「社寺をめぐる」(桜井市HP)