●歌は、「夕されば小倉の山に伏す鹿は今夜は鳴かず寐寝にけらしも」である
●歌をみていこう。
題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知らしめす大泊瀬幼武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)の御製歌一首>である。
(注)泊瀬朝倉宮:桜井市初瀬脇本灯明田。(伊藤脚注) 古墳時代の第二十一代雄略天皇が営んだ宮殿
(注)ぎょう【御宇】名詞:その天皇が天下をお治めになった期間。御代(みよ)。ご治世。※「宇」は世界の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)萬葉集では、「天(あめ)の下(した)知(し)らしめす」と読む。
◆暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
(雄略天皇 巻九 一六六四)
≪書き下し≫夕(ゆふ)されば小倉(をぐら)の山に伏す鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寐寝る(いね)にけらしも
(訳)夕方になると、小倉の山で伏せることにしている鹿、その莬餓(とが)野の鹿同様危険にさらされた鹿は、どうしてか、今夜に限って鳴かない。大丈夫かな、なに、今夜は妻に巡り逢えて無事寝込んだのであるらしい。(伊藤 博 著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)伏す鹿:危険にさらされる鹿の意があった。仁徳紀「莬餓(とが)野の鹿」の話を参照。。シは強意の助詞で、下のランに応ずる。(伊藤脚注)
左注は、「右或本云崗本天皇御製 不審正指 因以累載」<右は、或本には「岡本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製といふ。正指(せいし)を審らかにせず、よりて累(かさ)ね載(の)す>である。
(注)正指(せいし)を:どれが正しいかを。(伊藤脚注)
雄略天皇御製歌(巻九 一六六四)は巻九の冒頭歌である。しかし、左注に、「右或本云崗本天皇御製 不審正指 因以累載」とある。
雄略天皇歌:暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
夕されば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かずい寝(ね)にけらしも
崗本天皇歌:暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家思母
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐(い)ねにけらしも
どちらも天皇御製歌である。万葉集編纂者の「正指(せいし)を審らかにせず、よりて累(かさ)ね載(の)す」の文言の中に、大変な作業を進めている中で、ある意味大胆な判断をさらりとやってのけているのには、驚かされるとともに微笑ましさを感じざるを得ない。
この日の歌碑めぐりは順調である。前にも昼食のおにぎりなどを買ったことのある脇本交差点近くのコンビニに立ち寄る。おにぎりや稲荷寿司を買い、車の中で昼食タイム。持参のポットのコーヒーで一息。
コンビニの北側の山手に脇本春日神社がある。車1台がやっと通れる道を上る。朝倉小学校と神社の真ん中くらいに集会場のようなものがあり車が3台ほど止められるスペースがあるのでそこに車を止める。車が1台止まっていたので、切り返しを何度も行い方向転換しておく。
その駐車場の片隅に草にまみれて歌碑がある。
春日神社は、山の斜面に建てられており、本殿は三間社春日造である。
歌をみていこう。巻九の冒頭歌である。
万葉集巻八 一五一一歌に、題詞が、「崗本天皇御製歌一首」とあり、
「暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家思母」の歌が収録されている。「累(かさ)ね載(の)す」とは、このことを意味している。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20221101朝食記事削除、一部改訂