●歌は、「こもよ みこもち ふくしもよ みふくし持ち この岳に 菜摘ます子 家のらせ 名のらさね そらみつ 倭の国は おしなべて われこそをれ 敷きなべて われこそませ 我をこそ 背とはのらめ(我こそはのらめ) 家をも名をも(雄略天皇 1-1)」である。
本稿から、「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)を中軸に、いろいろ課題を見つけ万葉集に迫っていきたい。
【泊瀬朝倉宮】
歌は、雄略天皇―「巻一‐一」である。
「・・・黒崎の白山比咩神社のさらに東方山腹<桜井市黒崎小字天の森付近>・・・天ノ森の丘に建てば、隠口の初瀬の谷なかとはいっても、西方は明るくひらけ、遠く葛城の連嶺から、畝傍・香具二山を配した大和国原を見はるかし、この歌の息吹を思うにはかっこうのところである。時は春、所は国原の見渡されるおそらくはこのあたりの丘、籠を持ちへらを持つ若菜つみの野の乙女に、名をたずねて求婚の情を示す。とらわれぬ人間真情の律動は、春風とともに、よみがえってきて、万葉開幕の感さえおぼえさせられる。もちろん、作者は雄略天皇と伝えるだけであって、もともと求婚の民謡風のものが、五世紀後半の英雄的君主の物語とからみあって、伝誦発展をとげ、宮廷の大歌として、舞などを伴ってのこされたものであろう。」(同著)
万葉の旅(上)改訂新版 大和 (平凡社ライブラリー) [ 犬養孝 ] 価格:1320円 |
歌をみていこう。
■巻一 一歌■
標題は、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと) >とある。
(注)泊瀬:桜井市初瀬、脇本小字燈明田(とうみょうでん)(伊藤脚注)
(注)万葉集巻頭歌。巻二十最後の歌と響き合い、祝福の意を示す。(伊藤脚注)
◆籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
(雄略天皇 巻一 一)
≪書き下し≫籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ちこの岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます子 家告(の)れせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(を)れ 我れこそば 告(の)らめ 家をも名をも
(訳)おお、籠(かご)よ、立派な籠を持って、おお。堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、ここわたしの岡で菜を摘んでおいでの娘さん、あなたの家をおっしゃい、名前をおっしゃいな。霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこの私が平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。が、わたしの方から先にうち明けようか、家も名も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)籠もよ:おお籠。モヨは感動の助詞。(伊藤脚注)
(注の注)もよ 分類連語:ねえ。ああ…よ。▽強い感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち 係助詞「も」+間投助詞「よ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)み籠持ち:ミは神的霊威を示す接頭語。持ち物を通して娘子をほめている。(伊藤脚注)
(注の注)み- 【御】接頭語:名詞に付いて尊敬の意を表す。古くは神・天皇に関するものにいうことが多い。「み明かし」「み軍(いくさ)」「み門(みかど)」「み子」(学研)
(注)ふしく:草を掘る具。へらの類。(伊藤脚注)
(注の注)ふくし【掘串】名詞:土を掘る道具。竹や木の先端をとがらせて作る。 ※後に「ふぐし」とも。(学研)
(注)菜摘ます:「菜摘む」の尊敬語。(伊藤脚注)
(注)告らせ:「告る」の尊敬語。家や名を告げるのは、結婚の承諾を意味する。(伊藤脚注)
(注の注)のらす【告らす・宣らす】分類連語:おっしゃる。▽「告(の)る」の尊敬語。 ⇒なりたち 動詞「の(告)る」の未然形+尊敬の助動詞「す」(学研)
(注)そらみつ:「大和」の枕詞。神の霊威の満ち拡がる意。(伊藤脚注)
(注の注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)
(注)おしなべて:私がすっかり平らげているのだが。(伊藤脚注)
(注の注)おしなぶ 他動詞:(一)【押し靡ぶ】押しなびかせる。「おしなむ」とも。(二)【押し並ぶ】①すべて同じように行きわたる。②並である。普通である。 ※(二)の「おし」は接頭語。(学研)
(注)しきなべて我こそ居れ:私が隅々まで治めているのだが。「コソ・・・已然形」はg逆説条件法(伊藤脚注)
(注の注)しきなぶ【敷き並ぶ】自動詞:すべてにわたって治める。一帯を統治する。(学研)
(注の注の注)原文は「吾己曽座」となっているが、伊藤氏は「我れこそ居(を)れ」に改めておられる。
(注の注)ます【坐す・座す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
(注)我こそば告らめ:この私が先に告げようと思うがいかが。(伊藤脚注)
(注の注)こそ 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞・助詞などに付く。上代では已然形にも付く。①〔上に付く語を強く指示し、文意を強調する〕ほかの事・物・人ではなく、その事・物・人。②〔「こそ…已然形」の句の形で、強調逆接確定条件〕…は…だけれど。…こそ…けれども。 参考⇒ばこそ・もこそ・あらばこそ(学研)
雄略天皇のこの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その95改)」で奈良県桜井市黒崎白山神社境内万葉歌碑とともに紹介している
➡
奈良県HP「県民だより 平成24年5月号」によると、「泊瀬朝倉宮跡の伝承地には、諸説がある。・・・桜井市黒崎にある白山(はくさん)神社の本殿。伝承地の1つ「天の森」は、白山神社の北東にあり、現在は木製の標が立つのみ。他に十二柱(じゅうにはしら)神社(桜井市出雲)の境内、脇本遺跡(桜井市脇本)なども、伝承地とされている。」
同著「万葉全地名の解説」の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)の[捕遺]では、「『天の森説』・・・は、こんにち否定されている。桜井市脇本の脇本遺跡が有力な説である。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「県民だより 平成24年5月号」 (奈良県HP)