●歌は、「こもりくの 泊瀬小国に よばひせす 我がすめろきよ 奥床とに 母は寐寝たり 外床に 父は寐寝ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠り妻かも(作者未詳 13-3312)」である。
「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の「隠口の初瀬」の項である。
【隠口の初瀬】
「作者未詳 巻十三―三三一二(歌は省略) 古代の妻問いの習俗、・・・いまでも山あいの農家の厚い戸などを見れば、初瀬小国の妻問いの夜もほうふつとうかびあがってくる。奥床には母、外床には父の古代農村生活に深々と根をおろした妻問いの夜はみんなの体験するところだけに、おそらくは舞いなど伴ったうたいものとしてながく伝誦されたものであろう。しかもこの歌では求婚者が『よばひせす 我が天皇(すめろき)よ』となって、古代の英雄君主“はつせのすめろき”の物語に転化する過程を語っていておもしろい。」(同著)
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歌をみてみよう。
■■巻十三 三三一〇~三三一三歌■■
三三一〇・三三一一歌は三三一二・三三一三の答歌共々、天皇が泊瀬娘子を妻問う歌劇での歌か。(伊藤脚注)
■巻十三 三三一〇歌■
◆隠口乃 泊瀬乃國尓 左結婚丹 吾来者 棚雲利 雪者零来 左雲理 雨者落来 野鳥 雉動 家鳥 可鶏毛鳴 左夜者明 此夜者昶奴 入而且将眠 此戸開為
(作者未詳 巻十三 三三一〇)
≪書き下し≫こもりくの 泊瀬(はつせ)の国に さよばひに 我(わ)が来(きた)れば たな曇(ぐも)り 雪は降り来(く) さ曇(ぐも)り 雨は降り来(く) 野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む 家(いへ)つ鳥(とり) 鶏(かけ)も鳴く さ夜(よ)は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸開(ひら)かせ
(訳)隠(こも)り処(く)のこの泊瀬の国に、妻どいにやって来ると、かき曇って雪は降ってくるし、曇りに曇って雨は降ってくる。野の鳥雉(きじ)は鳴き騒ぐし、家の鳥鶏も鳴き立てる。夜は白みはじめ、とうとうこの一夜は明けてしまった。だけど、中に入って寝るだけは寝よう。さあ、この戸をお開け下され。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)たなぐもる【棚曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「たな」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)「たな曇り・・・鷄鳴く」の八句の障害の上述は、妻問い歌の型。(伊藤脚注)
(注の注)たな- 接頭語:動詞に付いて、一面に・十分になどの意を表す。「たな知る」「たな曇(ぐも)る」など。(学研)
(注)かつ:とりあえず。(伊藤脚注)
■巻十三 三三一一歌■
◆隠来乃 泊瀬小國丹 妻有者 石者履友 猶来々
(作者未詳 巻十三 三三一一)
≪書き下し≫こもりくの泊瀬(はつせ)小国(をぐに)に妻(つま)しあれば石(いし)は踏(ふ)めどもなほし来(き)にけり
(訳)隠り処の泊瀬小国に妻がいるので、石踏む道ではあるけれども、私は押し切ってやって来た。(同上)
(注)小国:山間の小生活圏。泊瀬は格別な聖地なので、国と呼ばれた。(伊藤脚注)
■巻十三 三三一二歌■
◆隠口乃 長谷小國 夜延為 吾天皇寸与 奥床仁 母者睡有 外床丹 父者寐有 起立者 母可知 出行者 父可知 野干玉之 夜者昶去奴 幾許雲 不念如 隠攦香聞
(作者未詳 巻十三 三三一二)
≪書き下し≫こもりくの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我がすめろきよ 奥床(おくとこ)に 母は寐寝(いね)たり 外床(とどこ)に 父は寐寝(いね)たり 起き立たば 母知りぬべし 出(い)でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜(よ)は明(あ)けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)隠り処のこの泊瀬の国に妻どいをされるすめろぎの君よ、母さんは奥の床に寝ていますし、父さんは入口の床で寝ています。体を起こしたなら母さんが気づいてしますでしょうし、出て行ったらなら父さんが気づいてしまうでしょう。ためらううちに夜はもう明けてきました。何とまあ、こんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること、この私は。(同上)
(注)おくどこ【奥床】:家の奥にある寝床。⇔外床。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)ここだく【幾許】副詞:「ここだ」に同じ。 ※上代語。(学研)
(注の注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)
(注)隠在妻>こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)
■巻十三 三三一三歌■
◆川瀬之 石迹渡 野干玉之 黒馬之来夜者 常二有沼鴨
(作者未詳 巻十三 三三一三)
≪書き下し≫川の瀬の石(いし)踏(ふ)み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも
(訳)川の瀬を踏み渡って、お乗りになる黒馬の来る夜は、毎晩のことであってくれないものか。(同上)
(注)黒馬:夜、人目につきにくい馬なので、妻問いに利用された。(伊藤脚注)
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1493)」で紹介している。
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「大和の中央平野部(国中(くんなか))からひっこんで、三方を山にかこまれた渓谷は、文化からも隔絶され、異色ある古風な相聞歌が多く残され、いっぽう古代の埋葬地でもあって、土民にはよきやすらぎの別天地であり、国中の人々や、伊勢東国往還の旅の人には、エキゾチシズムの心情をそそられたらしく、『こもりくの』の枕詞には、そのたたえ心が宿されているようである。」(同著)
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古代の埋葬地に関することについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その94改)」で紹介している。
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初瀬の東、但馬皇女の墓地のある吉隠の猪養の岡を「遥望(ようぼう)し悲傷(ひしょう)流涕(りうてい)して」作った穂積皇子の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その100改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」