万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2368)―

■ひとりしずか■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「つぎねふ山背道を人夫の馬より行くに己夫し徒歩より行けば見るごとに・・・馬買へ我が背」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(作者未詳) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三三一四から三三一七歌の歌群で構成されている。

 三三一四歌からみてみよう。

 

◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背

      (作者未詳 巻十三 三三一四)

 

≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背

 

(訳)つぎふね山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。 ⇒参考:(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。

(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注)蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ):トンボの羽のように透き通った上等な領布。(伊藤脚注)

(注の注)領布(ひれ):古代の女性が用いた両肩からかける布。別名 領巾、肩巾、比礼(weblio辞書 歴史民俗用語辞典)

 

 

「つぎね」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「集中、『つぎね』が詠まれているのは、一首のみ。現在の植物名が、ヒトリシズカともフタリシズカといわれている。また、植物をさしたものではないという説もあり、難解植物の一つである・・・」と書かれている。

 

 

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 続いて三三一五から三三一七歌をみてみよう。

 

◆泉川 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨

(作者未詳 巻十三 三三一五)

 

≪書き下し≫泉川(いづみがわ)渡り瀬(ぜ)深み我(わ)が背子(せこ)が旅行(たびゆ)き衣(ごろも)ひづちなむかも

 

(訳)泉川、あの川は渡り瀬が深いので、あなたの旅衣がびしょ濡れになってしまうのではなかろうか。(同上)

(注)泉川 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の京都府の南部を流れて淀川(よどがわ)に注ぐ木津川の古名。「泉(いづみ)」の地を流れるのでこの名がある。 ⇒参考:(1)平安時代の女流文学に、初瀬詣(はつせもう)での折にこの川の流れがしばしば描かれる。(2)和歌では「いつ見」や「出(い)づ」にかけたり、導いたりして用いることが多い。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

 

続いて、「或本反歌曰」<或る本の反歌に曰はく>とある三三一六歌である。

 

◆清鏡 雖持吾者 記無 君之歩行 名積去見者

        (作者未詳 巻十三 三三一六)

 

≪書き下し≫まそ鏡持てれど我(わ)れは験(しるし)なし君が徒歩(かち)よりなづみ行く見れば

 

(訳)まそ鏡、こんな鏡など持っていても、私には何の甲斐(かい)もありません。あなたが徒歩で難儀しながらいらっしゃるのを見ると。(同上)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(学研)ここでは③の意

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

 

 

 

◆馬替者 妹歩行将有 縦恵八子 石者雖履 吾二行

         (作者未詳 巻十三 三三一七)

 

≪書き下し≫馬買はば妹(いも)徒歩(かち)ならむよしゑやし石(いし)は踏(ふ)むとも我(わ)はふたり行かむ

 

(訳)私が馬を買ったら、あなたはひとりか弱い足に頼らなければならなくなろう。かまうものか、川瀬の石を踏んで難儀しようとも、われらは二人で行こう。(同上)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち:副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは①の意

(注)我ふたり行かむ:夫の旅を案ずる妻に対し、二人の旅の場合を想定して答えたもの。(伊藤脚注)

 

 

「或本反歌曰」は三三一六歌のことをさしている。三三一七歌は、夫の旅を案ずる妻に対して、二人の旅を想定して答えた歌である。

夫婦お互いが相手を思いやる歌である。「問答歌」になっており、なんとも仲睦まじい夫婦の問答である。お互いを思いやる気持ちはいつの時代も心打たれるものがある。

                       

三三一四から三三一七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その326)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

三三一四歌に「まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背」とあるように、まそみ鏡と蜻蛉領巾で馬1頭買えたのである。

当時の絹製品が高級で、高価で、なかなか手に入らないものであった。これに関しては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1052)」で触れている。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 歴史民俗用語辞典」