万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2367)―

■ひがんばな■

●歌は、「道のへのいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(柿本人麻呂歌集) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋  或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は   或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。同音で「いちしろく」を起す。(伊藤脚注)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考:古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

(注)こひづま【恋妻】:恋しく思う女性、または妻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2051)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)によると「『いちし』が、詠まれているいるのは集中ただ1首。古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナなど諸説が入り乱れ、万葉植物群のうちでも難解植物とされていた。牧野富太郎氏によりヒガンバナ説が出され・・・山口県にイチシバナ、福岡県にイチジバナという方言があることが確認され、ヒガンバナとする説が定説化された。」と書かれている。

 

 

 

 二四八〇歌に詠われている「恋妻」という言葉はなかなか愛情あふれる愛おしさをも包含している。

 柿本人麻呂歌集にもう一首詠われているのでみてみよう。

 

◆心 千遍雖念 人不云 吾戀攦 見依鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二三七一)

 

≪書き下し≫心には千重(ちへ)に思へど人に言はぬ我(あ)が恋妻(こひづま)を見むよしもがも

 

(訳)心の底では千重(ちえ)に百重(ももえ)に思っているけれど、口にだしてはけっして人に言わずにいる私の恋妻、この恋妻に逢う手だてがないものか。(同上)

 

 

 

 二三七一、二四八〇歌ともに「略体書記」である。

 「略体書記」の典型は、巻一 二四五三歌である。各句二字ずつ、全体で十字である。二四五三歌をみてみよう。

 

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

        (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(同上)

 

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

 二四五三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 「柿本人麻呂歌集」と「略体歌」・「非略体歌」について、高岡市万葉歴史館HPに、次のように書かれている。興味深いところであるので長いですが引用させていただきます。 

「『万葉集』の編さん資料のひとつとなった『柿本朝臣人麻呂歌集』は、人麻呂の歌を集めたもの、もしくは人麻呂がその成立に深く関与したものと考えるのが現在では支配的である。

 そして、『万葉集』に『人麻呂作』と明記されている歌以前の、若いころの歌がおさめられていると考えられることから、日本語の書記方法を論ずる上での重要な材料とされてきた。

 人麻呂歌集には2種類の特殊な書記方法が見られる。

 1 春山 友鶯 鳴 別 眷 益間 思御吾     (巻十・1890)

    春山の 友鶯の 鳴き別れ 眷(かへ)り ます間も  思ほせ吾(われ)を

 2 巻向之檜原丹立流春霞欝之思者名積米八方 (巻十・1813)

    巻向の 檜原(ひはら)に立てる 春霞 おほにし思はば なづみこめやも

 

 早く江戸時代の国学者たちが気づき、賀茂真淵は1を「詩体」、2を「常体」と名付けた。

 現在は、阿蘇瑞枝『柿本人麻呂論考』によって1のように付属語や活用語尾が書記されていない歌を「略体歌(りゃくたいか)」とし、2のようにそれらを書記したものを「非略体歌(ひりゃくたいか)」と区別する。

 稲岡耕二『萬葉表記論』は、巻十の2033番歌(非略体歌)の左注にある『庚申年』(680年・天武9年)を転機として、人麻呂は略体歌から非略体歌へと書記方法を発展させていったと考えた。そして、非略体歌という書記方法は、藤原宮跡から出土した木簡に見られる『宣命大書体』を原形として成立したのではないかとする。

 中国大陸の表記に近い略体歌から、日本語を書くのによりふさわしい非略体歌へと、書記方法が発展していったとする考えは魅力的である。そして、その『宣命大書体』から、付属語や活用語尾の区別を明示するために『宣命小書体』が生まれ、さらには漢字かな交じり文や、『万葉集』の家持歌日誌の部分で確認できるような万葉仮名による一字一音表記へと、発展・変化していったと考えられてきた。

 しかし、推古朝の遺物に残された文字や、近年発見されて話題となった観音寺遺跡出土の『なにはづ』木簡などから、古くから日本語を一字一音ずつ書記する方法もあったことがわかり、定説は崩れはじめている。

 『略体歌から非略体歌へ』という人麻呂歌集に見られる書記方法の変化は、当時の日本語の書記方法全般に通用できることなのか、それとも、人麻呂という歌人の個人的な営為なのか、相次ぐ木簡の出土発見によって、再び論争がまきおこっている。」

 

 今日の「ひらがな」、「カタカナ」の原点は万葉仮名である。万葉集は、日本語の原点である。伝承から表記という歴史的・言語的なうねりをも感じさせてくれるのである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「高岡市万葉歴史館」