万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2366)―

■ひおうぎ■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(山部赤人) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 九二五歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの前群の反歌二首のうちの一首である。前群は吉野の宮を讃える長歌反歌二首であり、後群は天皇を讃える長歌反歌一首という構成をなしている。

 

 前群を順にみてみよう。

 

◆八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益ゝ尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通

        (山部赤人 巻六 九二三)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠(おをかきごも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川は 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が高々とお造りになった吉野の宮、この宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春の頃には山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の幾重にも重なるように幾度(いくたび)も幾度も、この川の流れの絶えぬように絶えることなく、大君に仕える大宮人はいつの世にも変わることなくここに通うことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たかしらす【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ⇒なりたち:動詞「たかしる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」立派に造り営みなさる。(学研)

(注)たたなづく【畳なづく】分類枕詞:①幾重にも重なっている意で、「青垣」「青垣山」にかかる。②「柔肌(にきはだ)」にかかる。かかる理由は未詳。 ⇒参考:(1)①②ともに枕詞(まくらことば)ではなく、普通の動詞とみる説もある。(2)②の歌は、「柔肌」にかかる『万葉集』唯一の例。(学研)ここでは①の意

(注)こもる【籠る・隠る】自動詞:①入る。囲まれている。包まれている。②閉じこもる。引きこもる。③隠れる。ひそむ。④寺社に泊りこむ。参籠(さんろう)する。(学研)ここでは①の意

(注)かはなみ【川並み・川次】名詞:川の流れのようす。川筋。(学研)

(注)ををり【撓り】名詞:花がたくさん咲くなどして、枝がたわみ曲がること。(学研)

(注)いやしくしくに【弥頻く頻くに】副詞:ますますひんぱんに。いよいよしきりに。(学研)

 

 

◆三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞

        (山部赤人 巻六 九二四)

 

≪書き下し≫み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも騒(さわ)く鳥の声かも

 

(訳)み吉野の象山の谷あいの梢(こずえ)では、ああ、こんなにもたくさんの鳥が鳴き騒いでいる。(同上)

(注)象山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県吉野郡吉野町にある山。吉野離宮があった宮滝の対岸にそびえる。(学研)

(注)ここだ【幾許】:こんなにもたくさん。こうも甚だしく。(數・量の多い様子)                 (学研)

 

 

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

       (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(同上)

(注)ぬばたま【射干玉・野干玉】名詞:ひおうぎ(=草の名)の実。黒く丸い形。「うばたま」「むばたま」とも。(学研)

(注)ひさぎ【楸・久木】名詞:木の名。あかめがしわ。一説に、きささげ。(学研)

 

 

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 後群もみてみよう。

 

◆安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝獦尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓

         (山部赤人 巻六 九二六)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大君(おほきみ)は み吉野の 秋津(あきづ)の小野(をの)の 野の上(へ)には 跡見(とみ)据(す)ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝狩(あさかり)に 鹿猪(しし)踏(ふ)み起(おこ)し 夕狩(ゆふがり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩(みかり)ぞ立たす 春の茂野(しげの)に

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君は、み吉野の秋津(あきづ)の小野の、野あたりには跡見(とみ)をいっぱい配置し、み山には射目(いめ)を一面に設け、朝(あした)の狩りには鹿や猪を追い立て、夕(ゆうべ)の狩には鳥を踏み立たせ、馬を並べて狩場にお出ましになる。春の草深い野に。(同上)

(注)とみ【跡見】:狩猟のとき、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。(学研)

(注)いめ【射目】:狩りをするとき、弓を射る人が隠れるところ。 ※上代語。(学研)

(注)ふみおこす【踏み起こす】[動]:①地を踏んで鳥獣などを驚かす。狩りたてる。②再興する。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは①の意

 

反歌一首

 

◆足引之 山毛野毛 御獦人 得物矢手挟 散動而有所見

      (山部赤人 巻六 九二七)

 

≪書き下し≫あしひきの山にも野にも御狩人(みかりひと)さつ(さつ)矢手挾(たばさ)み散(さ)動(わ)きてあり見ゆ

 

〈訳〉あしひきの山にも野にも、大君の御狩に仕える人たちが、幸矢(さつや)を手挟み持って駆けまわっているのが見える。(同上)

(注)御狩人:天皇の御狩に従う人々。(伊藤脚注)

(注)さつや【猟矢】:獲物を得るための矢。

(注)騒きてあり見ゆ:ひしめきあっている。「見ゆ」は、ここは動詞の終止形を承け、視覚的な断定を婉曲に言い表す。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右不審先後但以便故載於此次」<右は、先後を審(つばひ)らかにせず。ただし、便(たより)をもちての故(ゆえ)に、この次(つぎ)に載(の)す。>

(注)右:九二三~九二七をさす。(伊藤脚注)

(注)先後を審らかにせず:金村の九二〇~九二二との先後が不明の意。九二三~九二五は金村作と同じ折の詠で、九二六~九二七は、長歌の結びに「春の茂野」とあり、神亀元年三月、聖武天皇即位後、初の吉野行幸時の詠か。(伊藤脚注)

(注)便をもちての故に:便宜によって。(伊藤脚注)

(注の注)びん【便】名詞:便宜。都合。たより。(学研)

 

 

 「ぬばたま」について、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「『ぬばたま』は、黒い玉の意でヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギは、アヤメ科の多年草で、アヤメのように刀形の葉が根元から扇状に広がっている。その姿が昔の檜扇に似ているのでこの名が付けられた。・・・その実が黒いことから、集中では黒・夜・闇・夕・髪・今夜などにかかる枕詞として62首の歌に使われているが、ヒオウギそのものの姿を詠んだ歌は1首もない。」と書かれている。

 

 

 山部赤人は宮廷歌人である。しかし、九二三から九二五歌をみてみると、九二三の長歌の歌いだしに「やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野の宮は・・・」とあるが、この箇所も「吉野の宮」に焦点が合わされており、「やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす」と修辞的に語られているだけで、吉野の宮のいわば、自然を高らかに歌い上げているのである。

 同じく宮廷歌人であった柿本人麻呂と比べると「天皇」に対する考え方も大きく異なっている。

 自然を讃える山部赤人とは対照的に、柿本人麻呂の場合は、梅原 猛氏がその著「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)に書かれているように「・・・藤原不比等と君臣一体となって政治を執った元明天皇を讃える歌が人麿には一首もなく、またその子文武帝の阿騎野(あきのの)の猟に扈従(こじゅう)した歌(巻一・四五―四九番)があるが、その中でも彼は軽皇子(かるのみこ)(文武)よりむしろその死んだ父、草壁皇子をしきりに思い出して讃えているのはどういうわけであろうか。おそらく、専制体制のもとにあっての一種の抵抗だったのであろう。多くの皇族を讃えた人麿は、新しい実権者からも自己を讃える歌を期待あるいは強要されたはずである。その期待に、強要に応えないとしたら・・・」と書いておられるように、待ち受けていたのは「非業の死」であった。

 

 四五~四九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 人麻呂の「非業の死」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」でもふれている。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉