万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2365)―

■はまゆう■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

四九六から四九九歌の題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌四首>である。

 

 順を追ってみてみよう。

 

◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

        (柿本人麻呂 巻四 四九六)

 

≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重なっているように、心にはあなたのことを幾重にも思っているけれど、じかには逢うことができません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)み熊野:紀伊半島南部一帯。「み」は美称。

(注)はまゆふ【浜木綿】名詞:浜辺に生える草の名。はまおもとの別名。歌では、葉が幾重にも重なることから「百重(ももへ)」「幾重(いくかさ)ね」などを導く序詞(じよことば)を構成し、また、幾重もの葉が茎を包み隠していることから、幾重にも隔てるもののたとえともされる。よく、熊野(くまの)の景物として詠み込まれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)百重なす:葉のもとが茎のように重なる。(伊藤脚注)

(注)上三句は「心は思へど」の譬喩。(伊藤脚注)

 

 

◆古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟

     (柿本人麻呂 巻四 四九七)

 

≪書き下し≫いにしへにありけむ人も我(あ)がごとか妹(いも)に恋ひつつ寐寝(いね)かてずけむ

 

(訳)いにしえ、この世にいた人も、私のように妻恋しさに夜も眠れぬつらさを味わったことであろうか。(同上)

(注)かてぬ 分類連語:…できない。…しにくい。 ※なりたち補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形(学研)

 

 

◆今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四

        (柿本人麻呂 巻四 四九八)

 

≪書き下し≫今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音(ね)にさへ泣きし

 

(訳)恋に悩むのは今の世だけのことではありません。それどころか、いにしえの人は、堪えかねて声をさえ立てて泣いては、もっともっと苦しんだものです。(同上)

(注)まさる 自動詞:(数量や程度などが)多くなる。ふえる。(学研)

(注)ね【音】名詞:音。なき声。ひびき。▽情感のこもる、音楽的な音。(人や動物の)泣(鳴)き声や、楽器などの響く音。 ※参考「ね」と「おと」の違い 「ね」が人の心に響く音であるのに対して、「おと」は雑音的なものを含め、風や鐘の音など比較的大きい音をいう。(学研)

(注の注)ねをなく【音を泣く】分類連語:声を出してなく。 ⇒参考:「なく」は「鳴く」とも書く。「なくことをなく」の意で、「泣く」「鳴く」の強調であるため、「ねをもなく」のように、強めの助詞「も」「ぞ」「のみ」などを伴った例が多い。(学研)

 

◆百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武

       (柿本人麻呂 巻四 四九九)

 

≪書き下し≫百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君が使(つかひ)の見れど飽かずあらむ

 

(訳)幾重にも重ねてひっきりなしに来て欲しいと思うせいで、あなたのお使いを見ても見ても見飽きないのでしょうか。(同上)

(注)来(き)及(し)かぬかも:ひっきりなしに来てくれないものかと。(伊藤脚注)

(注の注)しく【如く・及く・若く】自動詞:①追いつく。②匹敵する。及ぶ。(学研)

(注の注)ぬかも 分類連語:〔多く「…も…ぬかも」の形で〕…てほしいなあ。…てくれないかなあ。▽他に対する願望を表す。 ※上代語。 なりたち:打消の助動詞「ず」の連体形+疑問の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」(学研)

 

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感想(1件)

 伊藤 博氏は、脚注で、「この四首は、四九六、四九七歌が、夫の贈歌であり、四九八、四九九歌が妻の答歌である。人麻呂の創作によるものである。四九六と四九九歌が、四九七と四九八歌が対応し合っている。」と書かれている。

 

並べ直して読んでみるとぐっと歌の思いに近づけるように思える。

 

(四九六歌)み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

(四九九歌)百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君が使(つかひ)の見れど飽かずあらむ

 

 

(四九七歌)いにしへにありけむ人も我(あ)がごとか妹(いも)に恋ひつつ寐寝(いね)かてずけむ

(四九八歌)今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音(ね)にさへ泣きし

 

 この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1187)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「はまゆう」について、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「集中、ハマユウを詠んだ歌は、1首のみ。ハマユウの名は、花の色が白く、その形状が「木綿(ゆふ)」に似ていることに由来するとみられている。・・・浜木綿にはこうした木綿花の印象が伴うのであろう。熊野は常世波が打ち寄せる聖地である。『み熊野の浜木綿』は、異郷とのつながりを実感させる。神々しい属目の景でもあった。」と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」