万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2004~2006)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(10~12)―万葉集 巻三 四〇四、巻四 四九六、巻五 八〇二

―その2004―

●歌は、「ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(10)万葉歌碑(娘子)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(10)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首」<娘子(をとめ)、佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)が贈る歌に報(こた)ふる一首>である。

                           

◆千磐破 神之社四 無有世伐 春日之野邊 粟種益乎

       (娘子 巻三 四〇四)

 

≪書き下し≫ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かまし

 

(訳)あのこわい神の社(やしろ)さえなかったら、春日の野辺に粟を蒔きましょうに―その野辺でお逢いしたいものですがね。おあいにくさまです。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)神の社:赤麻呂の妻の譬え。(伊藤脚注)

(注)「粟蒔く」に類音「逢はまく」を懸ける。(伊藤脚注)

 

 娘子は、架空の遊行女婦で、四〇四から四〇六歌の三首は、宴席で楽しまれた虚構の歌らしい。さらに六二七、六二八歌と同じ宴席の歌と思われる歌が収録されている。この五首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その360)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 六二七から六三〇歌の四首は、一組と考えられるので、重複するがみてみよう。

 

■六二七歌■

題詞は、「娘子報贈佐伯宿祢赤麻呂歌一首」<娘子(をとめ)、佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)に報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆吾手本 将巻跡念牟 大夫者 變水▼ 白髪生二有

(娘子 巻四 六二七)

      ※ ▼は、「うかんむり」に「求」である。

 

≪書き下し≫我(わ)がたもとまかむと思はむますらをはをち水求め白髪(しらか)生(お)ひにたり

 

(訳)私の腕(かいな)を枕に寝たいなどと思う大夫(ますらお)は、若返りの水でも探してこられたらいかが。頭に白髪が生えておりますよ。(同上)

(注)おちみず【復水・変若水】:オチ(復ち)は日本の古語で若返りを意味する。若返りの霊力ある水のこと。中国の神仙思想からきたもので、それが日本神道の中に入ったらしい。(weblio辞書 世界宗教用語大事典)

(注)求め:命令形

 

 

■六二八歌■

 題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂和歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂が和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆白髪生流 事者不念 變水者 鹿▼藻闕二毛 求而将行

      (佐伯赤麻呂 巻四 六二八)

     ※ ▼煮るという漢字。「者」の下に「火」

 

≪書き下し≫白髪生ふることは思はずをち水はかにもかくにも求めて行かむ

 

(訳)白髪が生えていることは何とも思いません。だけど、あなたがせっかくすすめてくださることですから、若返り水だけはまあとにかく探しに行くことにします。それでもかまいませんか。(同上)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

 

 

■六二九歌■

題詞は、「大伴四綱宴席歌一首」<大伴四綱が宴席歌一首>である。

(注)四綱が娘子の立場で歌ったもの。(伊藤脚注)

 

◆奈何鹿 使之来流 君乎社 左右裳 待難為礼

       (大伴四綱 巻四 六二九)

 

≪書き下し≫何(なに)すとか使(つかひ)の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ

 

(訳)どうしようと使いなんぞよこしたの。何はさておき、あなたご自身をこそ今や遅しと待ちかねておりますのに。(同上)

(注)かにもかくにも:前歌の第四句を「何をさしおいても」の意に転じながら応じている。(伊藤脚注)

 

 

■六三〇歌■

題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂が歌一首>である。

 

◆初花之 可散物乎 人事乃 繁尓因而 止息比者鴨

       (佐伯赤麻呂 巻四 六三〇)

 

≪書き下し≫初花(はつはな)の散るべきものを人言(ひとごと)の繁(しげ)きによりてよどむころかも

 

(訳)初花が散るように、あなたのような若い女(おみな)はすぐ人のものになりそうで気が気でないけれど、世間の噂がうるさいので、ためらっているこの頃です。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)初花の:「散る」の枕詞。男を知らぬ女の譬えも兼ねる。(伊藤脚注)

(注)よどむ【淀む・澱む】自動詞:①水の流れが滞る。②(物事が)順調に進まない。停滞する。(学研)ここでは②の意

(注の注)よどむころかも:ためらっているこの頃だ。尻ごみする形で引き下がったもの。(伊藤脚注)

 

 六二七から六三〇歌は、宴席での歌の掛け合いである。娘子と初老の男との駆け引きである。娘子(架空の遊行女婦)が、赤麻呂に初老の男は、まず若返りの水を探して来てはとからかう。赤麻呂は、水を探しに行くとじらす。待っているのにと娘子、しかし結局ためらい尻込みする赤麻呂という流れである。

 

 歌を見ているだけでも、宴会でのにぎやかな情景が伝わってくる。

 

 

 

―その2005―

●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(11)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四九六から四九九歌の題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌四首>である。

 

◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

      (柿本人麻呂 巻四 四九六)

 

≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重なっているように、心にはあなたのことを幾重にも思っているけれど、じかには逢うことができません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)み熊野の浦:紀伊半島南部一帯。(伊藤脚注)「み」は美称。

(注)はまゆふ【浜木綿】名詞:浜辺に生える草の名。はまおもとの別名。歌では、葉が幾重にも重なることから「百重(ももへ)」「幾重(いくかさ)ね」などを導く序詞(じよことば)を構成し、また、幾重もの葉が茎を包み隠していることから、幾重にも隔てるもののたとえともされる。よく、熊野(くまの)の景物として詠み込まれる。(学研)

(注)上三句は「心は思へど」の譬喩。(伊藤脚注)

                           

 この歌を含む四首については、和歌山県白浜町 平草原公園にある歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1187)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 なお、浜木綿を詠んだ歌は、これ一首である。

 

 

 

―その2006―

●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(12)万葉歌碑(山上憶良



●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(12)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

     (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

 八〇〇・八〇一歌の題詞は、「惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序」と、八〇二・八〇三歌の題詞は、「「子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序」、八〇四・八〇五歌の題詞は、「世間(せけん)の住(とど)みかたきことを哀(かな)しぶる歌一首 幷せて序」の三群からなり、第一群が情苦、第二群が愛苦、第三群が老苦を主題として詠われているのである。

 八〇二歌を含め、三群の歌すべてについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1508)」で紹介している。」

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 八〇二歌について、中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「・・・人間はなぜ子や親を愛(いと)しいと思うのか、考えてみれば、それはまるでとりもちにかかった鳥のように、煩わしいことだと歌い、その人間の愛のふしぎな因縁を、

 瓜食(は)めば 子等(ども)思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ     山上憶良(巻五、八〇二)

といぶかしんでいる。瓜、粟を口にするごとに、それを好む子どものことを考えてしまう親というものの愛。夜は夜で子の姿が目の前にちらついて安らかに寝に入ることもできない愛。一体、親と子という因縁はどこからやって来るのか、と歌うのである。」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著  (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」