万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2001~2003)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(7~9)―万葉集 巻三 二九九、巻三 三二二、巻三 三三〇

―その2001―

●歌は、「奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りそね」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(7)万葉歌碑(大伴安麻呂

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(7)である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大納言大伴卿の歌一首  未詳」<大納言大伴卿(おほとものまへつきみ)が歌一首  未詳>である。

(注)大納言大伴卿:旅人の父、安麻呂らしいが、未詳となっている。

 

◆奥山之 菅葉凌 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年

       (大伴安麻呂 巻三 二九九)

 

≪書き下し≫奥山(おくやま)の菅(すが)の葉(は)しのぎ降る雪の消(け)なば惜(を)しけむ雨な降りそね

 

(訳)奥山の菅の葉を押し伏せては降り積もる雪、この雪が消えてしまっては誰にとっても残念であろう。雨よ降らないでおくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しのぐ【凌ぐ】他動詞:①押さえつける。押しふせる。②押し分けて進む。のりこえて進む。③(堪え忍んで)努力する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で安麻呂の歌三首とともに、大伴宿禰、巨勢郎女(こせのいらつめ)を娉(つまど)ふ時の歌一首」に報(こた)へ贈る巨勢郎女の歌も紹介している。

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―その2002―

●歌は、「長歌・・・み湯の上の木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり・・・」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(8)万葉歌碑(山部赤人

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(8)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)伊予の温泉:愛媛県松山市道後温泉

 

◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

      (山部赤人 巻三 三二二)

 

≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ

 

(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(同上)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1223)」で「日本の三古泉」に因む歌とともに紹介している。

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―その2003―

●歌は、「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(9)万葉歌碑(大伴四綱)



●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(9)である。

 

●歌をみていこう。

 

三二九、三三〇歌の題詞は、「防人司佑大伴四綱歌二首」<防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)が歌二首>である。

 

◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君

       (大伴四綱 巻三 三三〇)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

 

(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(同上)

(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ。(伊藤脚注)

 

この三三〇歌を含む三二八から三三七歌までの歌群は、小野老が従五位上になったことを契機に大宰府で宴席が設けられ、その折の歌といわれている。参加者は、小野老(おののおゆ)、大伴四綱(おおとものよつな)、大伴旅人、沙弥満誓(さみまんぜい)、山上憶良である。

この歌群の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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 この宴席の仲間たちは、旅人には気が許せる者ばかりであるので、四綱の問いかけにも、大宰帥としてでなく旅人自身をさらけ出して答えている。(三三一~三三五歌)

 しかし、同じような問いかけに、大宰帥として建前的に答えている歌もある。奥深い収録である。こちらは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その921)」で紹介している。

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唐招提寺、八坂神社(田原本町坂手)、村屋坐弥冨都比売神社万葉歌碑■

 2月3日、久々に近くの万葉歌碑巡りを行った。インスタなどで紹介されている万葉歌碑で今までノーチェックだったものがあったので、メモに残しておいた。

泊りがけで遠出する時のような午前3時出発といったような緊張感は全くない。9時前に家を出て近所のスーパーで買い物をしてからのんびりと唐招提寺に向かった。

唐招提寺の駐車場に車を止める。1台も止まっていない。

秋篠川にそって四条池に向かう。四条池の南側に小公園が整備されている。この北側隅に万葉歌碑は立てられている。

唐招提寺近く秋篠川沿い四条池南小公園と歌碑

次は、歌碑ではなく、中西ピーナツへ。久しぶりである。そこそこ買い込む。このブログも柿ピーを食べながら書いている。止まらない。ピーナツの新鮮さがたまらない。

中西ピーナツ




 脱線しましたが、次は田原本町の八坂神社である。最初は田原本町鍵278の八坂神社に行ってしまった。境内を周囲を探索するも歌碑らしいものが見当たらない。車に戻り再検索する。八坂神社・千代神社が正解である。

八坂神社・千代神社

歌碑と境内




続いて、村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)である。

神社参道

歌碑と


 村屋坐弥冨都比売神社HPによると、「大物主(おおものぬし)と三穂津姫(みほつひめ)の夫婦神を祭る『縁結びの神』『内助の功の神』で知られ、大神神社(おおみわじんじゃ)の妃神(きさきがみ)を祀っていることから大神神社の別宮(※)とも称され、大神神社と合わせてお詣りされるとさらにご利益が増すといわれております。また、イチイガシが群生する照葉樹林の樹そうは植物学上極めて貴重なもので、県の天然記念物にも指定されています。

※厳密には異なりますが、古来より氏子崇敬者から親しみを込めていわれてきました。」と書かれている。

 なかなか格調の高い神社である。「花手水」が心を和ませてくれる。

花手水


 

先に来られた夫婦連れがいらっしゃったくらいでここもほぼ独占状態である。

 じっくりと境内を散策した。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「村屋坐弥冨都比売神社HP」