万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2046~2048)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(52~54)―万葉集 巻十 二三一五、巻十一 二三五三、巻十一 二四六八

―その2046―

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(52)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(52)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

      (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)白橿:樫の一種。たやすく撓まないのが特色。(伊藤脚注)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その871)」で紹介している。

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「カシ」については、万葉集では九歌の「厳橿」の他に「白橿」(巻十 二三一五歌)が詠われている。また「橿の実の」(巻九 一七四二歌)と枕詞として使われている。

この3首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1594)」で紹介している。

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一七四二歌(高橋虫麻呂)の「・・・若草の夫(つま)かあるらむ橿(かし)の実のひとりか寝(ね)らむ・・・」(訳:・・・若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか・・・)に詠われているように橿の実は一つずつなることから「ひとり」「ひとつ」にかかる枕詞として使われている。万葉集には他に使われていないことから虫麻呂の独創による枕詞と考えられる。

実に関する枕言葉として「三栗の」がある。「学研」によると、「栗のいがの中の三つの実のまん中の意から『中(なか)』や、地名『那賀(なか)』にかかる。」とある。

高橋虫麻呂の一七四五歌で詠まれている。

二七四五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。

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 「三栗の」はもう一首一七八三歌で「中」にかかる枕詞として使われている。この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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 樫の実(どんぐり)や栗の実を見てほっこりするような万葉びとの観察力にはいつも感動をもらっている。

 

 

 

                           

―その2047―

●歌は、「泊瀬の斎槻が下に我が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(53)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(53)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見點鴨 <一云人見豆良牟可>

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二三五三)

 

≪書き下し≫泊瀬(はつせ)の斎槻(ゆつき)が下(した)に我(わ)が隠(かく)せる妻(つま)あかねさし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも」である。<一には「人みつらむか」といふ>

 

(訳)泊瀬(はつせ)のこんもり茂る槻の木の下に、私がひっそりと隠してある、大切な妻なのだ。その妻を、あかあかと隈(くま)なく照らすこの月の夜に、人が見つけてしまうのではなかろうか。<人がみつけているのではなかろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)泊瀬の斎槻:人の立ち入りを禁じる聖域であることを匂わす。「泊瀬」は隠処(こもりく)の聖地とされた。「斎槻」は神聖な槻の木。

(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あかねさし【茜さし】 枕詞:茜色に美しく映えての意で、「照る」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 この歌で使われている「あかねさし」という言い方は、もう一首に使われている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「賀茂女王歌一首」<賀茂女王(かものおほきみ)が歌一首>である。

 

◆大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜尓 直相在登聞

       (賀茂女王 巻四 五六五)

 

≪書き下し≫大伴(おほとも)の見つとは言はじあかねさし照れる月夜(つくよ)に直(ただ)に逢へりとも

 

(訳)筑紫船(つくしぶね)は大伴の御津(みつ)に泊(は)てますが、私はあなたを見つ(あなたに心ゆくまでお逢いした)とは言いますまい。こうしてあかあかと照らす月の夜にじかにお逢いしているにしても・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)おほともの【大伴の】分類枕詞:「大伴の御津(みつ)(=難波津(なにわづ))」の地名から、同音の「見つ」にかかる。(学研)

 

 両歌とも「あかねさし照れる月夜に」と詠まれている。「あかねさし」についても二三五三歌の(注)にあるように、「枕詞:茜色に美しく映えての意で、『照る』にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)」とするのが一般的であるが、古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、「・・・『茜さす』の用例はほとんど日・昼を喚び起こし、紫にかかる例が一首あることによって、明け方の太陽の昇るころの状態をアカネといっていることがわかる。アカ(明)+ネ(根)だろう。太陽が昇って昼になるが、その明るくなる根本の状態をアカネといったのである。・・・古代日本ではその朝日をアカネといった。だから『茜さし』は『照れる』にかかる枕詞というより、太陽のさすことそのものをいっているとみたほうがよい。・・・『茜さし照れる月夜』は太陽がさして〔沈み〕月の夜になるという時間の経過を含んでいる。日のじゅうぶん降り注いだすばらしい昼だから、月の明るいすばらしい夜であるというニュアンスだろう。」と書いておられる。

 「時間の経過」を踏まえているがゆえに、「あかねさし」と詠い「あかねさす」と詠っていないのである。

 

 

 

―その2048―

●歌は、「港葦に交れる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(54)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(54)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四六八)

 

≪書き下し≫港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは

 

(訳)河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。(伊藤 博 著 「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しりくさ【知り草・尻草】名詞:湿地に自生する三角藺(さんかくい)の別名。また、灯心草の別名ともいう(学研)

(注)しり草:未詳。上三句が序。「知り」を起す。(伊藤脚注)

(注の注)さんかくい【三角藺】:カヤツリグサ科の多年草。高さ50~90センチ。茎は三角柱。葉は鞘(さや)状となり、茎を包む。夏から秋、茎の先に放射状に小花をつける。(weblio辞書 デジタル大辞泉


 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その278)」で紹介している。

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 「しりくさ」、「おもひぐさ」、「わすれぐさ」など歌を読んだ人にもピンとくるほど植物の名前が知れ渡っていたと思われる。万葉びとの植物の観察力、その名に因んだ掛け言葉的に詠みこんだ知識力には、ただただ驚きをかくしえない。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」