―その2061―
●歌は、「上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(67)である。
●歌をみていこう。
◆可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻波曽麻左礼 柿本朝臣人麻呂歌集出也
(柿本人麻呂歌集 巻十四 三四一七)
≪書き下し≫上(かみ)つ毛(け)野(の)伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ 柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
(訳)上野の伊奈良(いなら)の沼に生い茂る大藺草(おほゐぐさ)ではないけど、ただよそながら見ていた時よりは、我がものとした今の方が思いがつのるとは・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。下二句の譬喩。(伊藤脚注)
(注)おおゐぐさ【大藺草】〘名〙: 植物「ふとい(太藺)」の古名。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注の注)ふとゐ【太藺/莞】:カヤツリグサ科の多年草。池沼などに生える。茎は高さ1~2メートル、円柱状で太く、中空。葉は鱗片(りんぺん)状で、褐色を帯びる。夏、黄褐色の穂をつける。おおい。おおいぐさ。まるすげ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
大藺草を遠くから眺め愛しい人に喩えているのである。「大藺草」が詠まれた歌は万葉集ではこの歌のみである。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1107)」で紹介している。
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―その2062―
●歌は、「足柄のわを可鷄山のかづの木の我を誘さねも門さかずとも」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(68)である。
●歌をみていこう。
◆阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母
(作者未詳 巻十四 三四三二)
<書き下し≫足柄(あしがり)のわを可鶏山(かけやま)山のかづの木の我(わ)を誘(かづ)さねも門(かづ)さかずとも
(訳)足柄の、我(わ)れを心に懸けるという可鶏山(かけやま)のかずの木、あの木がその名のように、いっそ私を誘(かず)す―そう、かどわかしてくれたらいいのになあ。門が開いていなくてもさ。(同上)
(注)アシガリ:「あしがら」の訛り
(注)「わを可鶏」に「我を懸け」を懸けている。(伊藤脚注)
(注)かづの木:相模の国の方言で「ヌルデ(白膠木)をかづのき」と呼んでいるので、ヌルデであるとする説が有力。「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
(注)門(かづ)さかず:「門し開かず」の意か。(伊藤脚注)
恋する女の、私を思ってくれるならかどわかして欲しい、何としてでもという、ある意味、過激な歌である。掛詞が数多く使われているので、戯れ歌的要素が強い歌とも考えられる。東歌らしくない技巧が施されたとみるか、民謡っぽいとみるかであろう。
この歌については、巻十四の部立「譬喩歌」の三四三一から三四三三歌の歌群の左注「右三首相模國歌」<右の三首は相模(さがみ)の国の歌>の三首とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1131)」で紹介している。
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(注の注)ぬるで【白膠木】:ウルシ科の落葉小高木。山野に生え、葉は卵形または楕円形の小葉からなる羽状複葉で、葉軸に翼があり、秋に紅葉する。雌雄異株。夏、枝の先に白い小花を円錐状につけ、果実は白くて短毛を密生。葉にできる虫こぶを五倍子(ごばいし・ふし)といい、タンニンを含む。白い樹液は塗料に利用。ふしのき。かちのき。かつのき。ぬで。ぬりで。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
―その2063―
●歌は、「栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(69)である。
●歌をみていこう。
◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟
(遣新羅使人等 巻十五 三五八七)
≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ
(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(同上)
(注)たくぶすま【栲衾】名詞:栲(こうぞ)の繊維で作った夜具。色は白い。
(注)たくぶすま【栲衾】分類枕詞:たくぶすまの色が白いところから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。(学研)
「たくぶすま(栲衾)」について、「万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)」に、「栲の布の夜具。タクは楮(こうぞ)の類の樹皮から採った繊維。衾は『麻衾』(5-892)ともあり、寝る時に身体を覆う夜具。栲の色が白いことから、シラの音にかかる。万葉集には、『栲衾白山風の』(14-3509)と白山にかかっている例が見られる。また、『栲衾新羅へいます』(15-3587)の例のように新羅に掛かる。これは古くから、『栲衾新羅国』(仲哀紀8年)、『栲衾志羅紀の三埼』(出雲国風土記意宇郡)、『白衾新羅の国』(逸文播磨国風土記)と、『新羅』にかかる言葉でもある。『大系』(日本書紀)では、その理由として『古くタクフスマが新羅の産物として知られた事実があり、一方タクフスマの連想させる白(シロ)と新羅のシラの音の類似とから枕詞となったものか』とする。」と書かれている。
総題は、「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>である。
この歌は、巻十五の巻頭歌群「贈答歌」十一首のうちの一首である。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1307)」で紹介している。
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そして、その1307では、この実録風的な遣新羅使人等の歌群は大伴家持の手になる歌物語であるとの説にふれている。
「たくぶすま(栲衾)」についての「万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)」の解説にある、「『麻衾』(5-892)」は、山上憶良の貧窮問答歌の一部「・・・寒くしあれば麻衾(あさぶすま)引き被(かがふ)り布肩衣(ぬのかたぎぬ)ありのことごと着襲(きそ)へども寒き夜すらを・・・」である。(訳:・・・それでも寒くてやりきれないので、麻ぶとんをひっかぶり、布の袖無(そでなし)をありったけ着重ねるのだが、それでもやっぱり寒い夜であるのに・・・)
(注)あさぶすま【麻衾】:麻布で作った粗末な夜具。(goo辞書)
(注)ぬのかたぎぬ【布肩衣】名詞:「布」で作った、袖(そで)のない衣服。下層階級の人が用いた。(学研)
「『栲衾白山風の』(14-3509)」は、「栲衾(たくぶすま)之良山風(しらやまかぜ)の寝(ね)なへども子ろがおそきのあろこそえしも(訳:栲<たえ>の夜着<よぎ>の白という之良(しら)山、その之良山から下ろす寒い風の中では寝つかれないように、とても寝られないけれども、あの子の襲着<おそぎ>のあるのだけは嬉しい)である。
(注)上二句は、風の冷たさに眠れない意か。(伊藤脚注)
(注)おそき【襲着/襲衣】:上に重ねて着る衣。上着。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)あろこそえしも:「あるこそよしも」の意。(伊藤脚注)
寒さの厳しさが読み取れる。
話は脱線するが、今でさえ昨今の寒さに耐え忍ばねばならないが、万葉の時代の人々の寒さ対策は如何なものであっただろう。暖房や寝具について調べてみるのも当時の生活を知る上では必要であると思う。しかし、いろいろと検索してもなかなか確たる資料がないのか明確なことがいえない。
これも今後の課題の一つとしておこう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio辞書 植物図鑑」
★「goo辞書」