万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1307)<巻十五の遣新羅使人等は家持の手による物語である>―島根県益田市 県立万葉植物園(P18)―万葉集 巻十五 三五八七

●歌は、「栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P18)万葉歌碑<プレート>(遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P18)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)たくぶすま【栲衾】名詞:栲(こうぞ)の繊維で作った夜具。色は白い。

(注)たくぶすま【栲衾】分類枕詞:たくぶすまの色が白いところから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>である。

 

 巻頭の十一首は、左注にあるように贈答歌である。

 

 十一首をみてみよう。

 

◆武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之

      (遣新羅使人等 巻十五 三五七八)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の浦の入江(いりえ)の洲鳥(すどり)羽(は)ぐくもる君を離(はな)れて恋(こひ)に死ぬべし

 

(訳)武庫の浦の入江の洲に巣くう鳥、その水鳥が親鳥の羽に包まれているように、大事にいたわって下さったあなた、ああ、あなたから引き離されたら、私は苦しさのあまり死んでしまうでしょう。(妻)(同上)

(注)武庫の浦:兵庫県武庫川河口付近。難波津を出た使人たちの最初の宿泊地らしい。(伊藤脚注)

(注)上二句は序。「羽ぐくもる」を起こす。

(注)はぐくむ【育む】他動詞:①羽で包みこんで保護する。②育てる。養育する。③世話をする。めんどうをみる。 ⇒参考 「羽(は)含(くく)む」の意から。「はごくむ」とも。(学研)

 

なんという切ない思いの歌であろうか。夫の遣新羅使の仕事を把握し、行程をも頭に入れ、それでいて、甘えるように「羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし」。しびれる歌である。

「羽含む」とは、万葉びともびっくり、まさに「hug」である。

 

 

◆大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢婆 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎

       (遣新羅使人等 巻十五 三五七九)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)に妹(いも)乗るものにあらませば羽(は)ぐくみ持ちて行かましものを

 

(訳)大船に女であるあなたも乗っていけるものなら、ほんとうに羽ぐくみ抱えて行きもしよう。(夫)(同上)

 

 妻の「羽ぐくみ」のキーワードを織り込んでの夫の和(こた)える歌も感動ものである。

 

 

◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八〇)

 

≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

 

(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(同上)

(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)

 

 

◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八一)

 

≪書き下し≫秋さらば相見(あひみ)むものを何しかも霧(きり)に立つべく嘆きしまさむ

 

(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(夫)(同上)

(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。(この時は夏四月に発っている)

(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒

語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(学研)

(注)ます:尊敬の助動詞

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1232)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

◆大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八二)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)を荒海(あるみ)に出(い)だしいます君障(つつ)むことなく早(はや)帰りませ

 

(訳)大船を荒海に漕ぎ出してはるばるいらっしゃるあなた、どうか何の禍(わざわい)もなく、一日も早く帰って来て下さいね。(妻)(同上)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

 

 

◆真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八三)

 

≪書き下し≫ま幸(さき)くて妹(いも)が斎(いは)はば沖つ波千重(ちへ)に立つとも障(さわ)りあらめやも

 

(訳)無事でいてあなたが潔斎を重ねて神様に祈ってくれさえすれば、沖の波、そう、そんな波なんかが幾重に立とうと、この身に障りなど起こるはずはありません。(夫)(同上)

(注)いはふ【斎ふ】他動詞:①けがれを避け、身を清める。忌み慎む。②神としてあがめ祭る。③大切に守る。慎み守る。 ⇒注意 「祝う」の古語「祝ふ」もあるが、「斎ふ」とは別語。(学研)

 

 

◆和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八四)

 

≪書き下し≫別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣(ころも)下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢(あ)ふまでに

 

(訳)離れ離れになったら、さぞもの悲しく心細いことでしょう。私のこの着物を肌身に着けていらして下さい。じかにお目にかかれるまで、ずっと。(妻)(同上)

        

 

◆和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八五)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも

 

(訳)いとしいあなたが肌身離さず身の守りにと贈ってくれたのだもの、この着物の紐を、私としたことが解いたりなど決してしません。(夫)(同上)

 

 肌身離さずいとしい人の着物を着て、紐を結ぶということは、万葉びとの男女間の固い契りであった。離れ離れになっても、強く結ばれているという心の絆であったのだろう。

 

 

◆和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八六)

 

 

≪書き下し≫我(わ)がゆゑに思ひな痩(や)せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ

 

(訳)私のせいで、思い悩んで痩せたりなどしないでおくれよ。秋風の吹き始めるその月には、きっと逢えるのだからね。(夫)(同上)

(注)前歌まで女―男の贈答であったものが、ここで男―女となる。(伊藤脚注)

 

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(妻)(同上)

(注)問答をトレースするため再掲してあります。

(注)新羅:冒頭三五七八の、「武庫の浦」に対し、目的地「新羅」を示すことで、一連の贈答を閉じる。女の、男の行く先への関心を地名の配合によって示したもの。(伊藤脚注)

 

 

◆波呂波呂尓 於毛保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八八)

 

≪書き下し≫はろはろに思(おも)ほゆるかもしかれども異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに

 

(訳)思えば、何と遠く久しく離れ離れになることか。しかし、いかにどんなに離れていても、あだし心など、私はけっして持ちません。(同上)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研)

(注)はろはろには前歌の「新羅」と響き合う。(伊藤脚注)

(注)「しかれども」以下、女の誓約(伊藤脚注)

 

左注は、「右十一首贈答」<右の十一首は贈答>

 

 

 万葉集は、歌物語の集合体である。この題詞「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」の歌群は、第二十三次遣新羅使の史実に基づき創作されたものである。

 池澤夏樹氏は、「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」(中西 進 編著 角川新書)の中の「詩情と形式、あるいは魂と建築 巻十五『遣新羅使詩編』を例に」の稿で、「・・・ここに集められた百四十五首の相当部分が家持の手になるものであるらしい。・・・」遣新羅使一行の旅の過程での歌を、「・・・だれかがそれを取りまとめて帰国の後に公開した。この実録歌群を元に家持は歌を補い構成を工夫し、綿密かつ周到に構成された旅の詞華集を編んで、それを『万葉集』のこの部分に嵌(は)め込んだ。・・・」「・・・旅には偶然の要素が多く、詠み手の能力にもばらつきがある。本当にエレガントな羇旅の一巻とするためには大胆に手を加えなければならない。・・・」「・・・家持はあるべき花を補った。高貴な詠み手の歌にはその名が記されているが、身分の低き者の作には名がない。では名のない詠み手を増やそう。・・・」「・・・詩は感情である。そして感情を統制して他者に伝えるには形式が要る。・・・大伴家持は人々の感情に形を与えた。百四十五本の材木を組み立てて豪壮な建築とした。」と書かれている。

 そして氏は、三五八〇歌について「・・・まず間違いなく大伴家持の作である。そういう立場にある若い妻に代わって詠んだ歌。若妻は特定の一人でさえなかっただろう。」とも書かれている。

 

 建築資材で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 遥か万葉の時代に帰っていった万葉集、そんな思いである。時空を超えまた振り出しに戻ったようであるが、再会を目指した旅は新年から。

 

 今年一年拙いブログにお付き合いいただいた皆様方に心から御礼申し上げます。

 来年もまたよろしくご指導のほどお願い申しあげます。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」