遣新羅使人等の歌碑を追って第3弾である。
●歌をみていこう。
◆安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛
(当所誦詠古歌 巻十五 三六〇二)
≪書き下し≫あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲(しらくも)見れど飽(あ)かぬかも
(訳)青土香る奈良の都にたなびいている天の白雲、この白雲は見ても見飽きることがない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
三六〇二から三六一一歌の歌群の題詞は、「當所誦詠古歌」<所に当りて誦詠(しようえい)する古歌>である。
(注)難波津出航後から、備後と安芸の国の境長井の浦までの間で、旅愁を慰めるために誦われたという形。(伊藤脚注)
三六〇二歌について、伊藤 博氏は、脚注で「思慕の地奈良の雲をほめる歌を望郷歌に転用したもの。古歌群の冒頭歌」と書かれている。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1改)」で紹介している。
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「万葉歌碑を訪ねて(その1改)」とあるように、「万葉歌碑を訪ねて」シリーズの第1稿である。2019年3月5日(この当時は、奈良市大宮町に住んでいた)に、奈良市庁舎を訪れ、万葉歌碑を撮影しブログに書いたのである。あれから4年、平成から令和と移り、本シリーズも(その2118)となったのである。この当時は、奈良近辺に結構ある万葉歌碑の紹介で終わると思っていたが、万葉集の魅力にはまりあちこち遠出をするまでになった。
これからは、遠出の機会は減ると思うので、これまで訪れた万葉歌碑をベースに深堀していくように軸足を移し、機会があればまた新たな万葉歌碑に挑戦していくつもりである。
歌をみていこう。
◆和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河泊 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米
(作者未詳 巻十五 三六〇五)
≪書き下し≫わたつみの海に出(い)でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ我(あ)が恋(こひ)やまめ
(訳)海の神の統べたまう大海にぐいぐいと流れ出ている飾磨川、その果てもしない流れがもし絶える日があったなら、わたしの恋心もなくなるのであろうか・・・(同上)
(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ※参考「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、「當所誦詠古歌」十首とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その620)」で紹介している。
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■東広島市安芸津町 祝詞山八幡神社万葉歌碑:三六一五、三六一六歌■
歌をみていこう。
三六一五、三六一六歌の題詞は、「風速浦舶泊之夜作歌二首」<風早(かざはや)の浦に舶泊(ふなどまり)する夜に作る歌二首>である。
◆和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利
(遣新羅使 巻十五 三六一五)
≪書き下し≫我(わ)がゆゑに妹(いも)嘆くらし風早の浦の沖辺(おきへ)に霧たなびけり
(訳)私が元であの子が溜息(ためいき)をついているらしい。ここ風早の沖辺には霧が一面に立ちこめている。(同上)
◆於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎
(遣新羅使 巻十五 三六一六)
≪書き下し≫沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)が嘆きの霧に飽(あ)かましものを
(訳)沖から吹く風、その激しい風が吹きでもしてくれたら、いとしいあの子の嘆きの霧に、心ゆくまで包まれていることができように。(同上)
(注)飽(あ)かましものを:思う存分包まれように。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1620)」で紹介している。
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■広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜(萬葉集史蹟長門之島碑):三六一七~三六二四歌■
呉市HP「万葉集遺跡長門島松原」には、「倉橋町は古来、長門島と呼ばれ,瀬戸内海交通の要衝でした。736(天平8)年に派遣された遣新羅使はこの地に停泊して歌を残しています。松原が続く桂浜は,歌のとおりの景勝の地で、今も昔ながらの風趣を保っています。万葉集巻十五には大石衰麻(のまろ)の歌など八首が載せられており、その歌碑が桂浜に建てられています。」と書かれている。
ここにいう八首は、題詞「安芸(あき)の国の長門(ながと)の島にして磯辺(いそへ)に船泊まりして作る歌五首」(三六一七から三六二一歌)と題詞「長門の浦より船出(ふなで)する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首」( 三六二二から三六二四歌)である。
まず、三六一七から三六二一歌をみてみよう。
◆伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
(大石蓑麻呂 巻十五 三六一七)
≪書き下し≫石走(いはばし)る滝(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ
(訳)岩に激する滝の轟(とどろ)くばかりに鳴きしきる蝉、その蝉の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。(同上)
左注は、「右一首大石蓑麻呂」<右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)>である。
(注)大石簑麻呂 :?-? 奈良時代の官吏。天平(てんぴょう)8年(736)遣新羅(しらぎ)使として新羅(朝鮮)にむかう途中、安芸(あき)(広島県)長門島でよんだ歌1首が「万葉集」巻15におさめられている。のち東大寺写経生として名がみえる。」(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
◆夜麻河泊能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母
(遣新羅使人等 巻十五 三六一八)
≪書き下し≫山川(やまがは)の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
(訳)山あいの清らかな川瀬で遊んでみても、あの奈良の都は忘れようにも忘れられない。(同上)
(注)奈良の都は忘れかねつも:前歌の結句を承ける。(伊藤脚注)
◆伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖
(遣新羅使人等 巻十五 三六一九)
≪書き下し≫礒(いそ)の間(ま)ゆたぎつ山川(やまがは)絶えずあらばまたも相見(あひみ)む秋かたまけて
(訳)岸辺の岩のあいだから激しく流れ落ちる山川よ、お前が絶え間なく流れるようにずっと無事でいられたらなら、また重ねて相見(あいまみ)えよう。秋ともなって。(同上)
(注)たぎつ【滾つ・激つ】自動詞:水がわき立ち、激しく流れる。心が激することをたとえていうことも多い。 ※上代には「たきつ」とも。(学研)
(注)前歌の「山川」を承け、都への思いを秋待つ心に絞る。(伊藤脚注)
(注)かたまく【片設く】自動詞:(その時節を)待ち受ける。(その時節に)なる。▽時を表す語とともに用いる。 ※上代語。(学研)
◆故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母
(作者未詳 巻十五 三六二〇)
≪書き下し≫恋繁(こひしげ)み慰(なぐさ)めかねてひぐらしの鳴く島蔭(しまかげ)に廬(いほ)りするかも
(訳)妻恋しさに気を晴らしようもないままに、ひぐらしの鳴くこの島蔭で仮の宿りをしている、われらは。(同上)
(注)前歌の妻恋しさを承け、三六一七歌の「蝉」にも応じている。(伊藤脚注)
◆和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流
(作者未詳 巻十五 三六二一)
≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)を長門(ながと)の島の小松原(こまつばら)幾代(いくよ)を経(へ)てか神(かむ)さびわたる
(訳)我が命よ、長かれと願う、長門の島の小松原よ、いったいどれだけの年月を過ごして、このように神々(こうごう)しい姿をし続けているのか。(同上)
(注)わがいのちを【我が命を】[枕]:わが命長かれの意から、「長し」と同音を含む地名「長門(ながと)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)かみさぶ【神さぶ】自動詞:①神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。②古めかしくなる。古びる。③年を取る。 ※「さぶ」は接尾語。古くは「かむさぶ」。(学研)ここでは①の意
一六二一歌は、広島県呉市倉橋町宮浦 桂濱神社の神社説明案内板にも記されている。もう一つは、山口県周防大島町 塩竃神社にある。
続いて、三六二二から三六二四歌をみてみよう。
◆月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良未許具可聞
(遣新羅使人等 巻十五 三六二二)
≪書き下し≫月読(つくよみ)みの光りを清(きよ)み夕(ゆふ)なぎに水手(かこ)の声こゑ)呼び浦(うら)み漕(こ)ぐかも
(訳)月読の光が清らかなので、夕凪(ゆうなぎ)の中、水手(かこ)たちが声呼び掛けあって、浦伝いを漕ぎ進めている。(同上)
(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(学研)
(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)
(注)水手(かこ)の声こゑ)呼び:水夫たちが掛け声を発しながら。(伊藤脚注)
◆山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布
(遣新羅使人等 巻十五 三六二三)
≪書き下し≫山の端(は)に月傾(かたぶ)けば漁(いざ)りする海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ
(訳)山の端に月が傾いてゆくと、魚を捕る海人(あま)の漁火(いさりび)、その火が沖の波間にちらちらと漂うている。(同上)
(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意
(注)沖になづさふ:前歌の月が傾き、漁火が沖の波間にわびしく揺れ動く。旅愁に暮れている。(伊藤脚注)
◆和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里
(遣新羅使人等 巻十五 三六二四)
≪書き下し≫我(わ)れのみや夜船(よふね)は漕ぐと思へれば沖辺(おきへ)の方(かた)に楫(かぢ)の音(おと)すなり
(訳)われらだけが、この夜船というものは漕いでいるのかと思っていると、沖辺の方でも櫓を漕ぐ音がしている。(同上)
(注)楫(かぢ)の音(おと)すなり:闇に包まれた海路の心細さを、楫の音でわずかに慰めている。(伊藤脚注)
三六二四歌の歌碑は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園にもある。
三六一七~三六二四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1618)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」
★「呉市HP」